ケンタウロスはギリシャ神話に登場する、上半身が人間で下半身が馬の姿をしている、半人半獣の種族です。
一説によると、ラピテス族の王イクシオンとヘラの姿を模した雲ネペレとの間に生まれたとされています。酒好きで粗暴、好色で野蛮とされていますが、英雄アキレスの師匠であるケイロンのように、深い知恵を持った賢者のようなケンタウロスも中にはいます。
ケンタウロス族が登場する神話はそこまで多くありませんが、ラピテス族との戦いや、ケイロンの活躍、ネッソスによるデイアネイラの誘拐などが有名ですね。また、面白い事にケンタウロスは神話を飛び越え、キリスト教の物語にも少しだけ登場しております。
様々な特性を持つケンタウロス族の絵画15点をご覧ください。
「ハドリアヌスの邸宅のモザイク画 130年頃」
いつ頃ケンタウロスの神話が生まれたのかは定かではないですが、
この頃にはしっかりと半人半馬の姿が成立しているようです。
虎や豹、ライオンなどの猛獣とバトルをしていますね。左の仲間は
既にやられており、石を持った彼が敵討ちをしようとしています。
「イングランドのノーフォーク周辺の写本挿絵より 1200-10年」
ローマ時代から1000年以上が経ち、ケンタウロスはこうなりました(笑)
中世の作品は何とも言えないゆるさがありますよね。
何で蛇を持っているの?というツッコミには答えられません・・・^^;
「動物寓意譚の写本挿絵より 12-13世紀?」
謎すぎる怪物をやっつけようとしているケンタウロスさん。
弓を射るケンタウロスは星座のいて座のモチーフになったそうです。
いやはや、本当に意味不明すぎる怪物さんだ・・・。
「Girolamo Donnini 作 1681-1743年」
時代はバロックにすっ飛びます。ぺーレイス王とテティスの息子
であるアキレスを、賢者ケイロンの元へ養育に出したシーンを
描いています。ケイロンはアポロンから音楽、医学、予言の技術、
アルテミスから狩猟を学び、病人を助けて暮らしていたそう。
「Louis-Jean-François Lagrenée 作 1725-1805年」
アキレスはケイロンから弓術、狩猟、学術、音楽などを学びました。
この絵画では弓を教わっていますね。ケイロンの腰に巻かれた
ライオンの毛皮がもっふもふです。
「ピーテル・パウル・ルーベンス作 1577-1640年」
お馬さんに乗ってぱっぱか走る♪ ぱっぱか走る~♪
アキレス少年、お馬さんの背に乗って楽しそうです(笑)
「ピーテル・パウル・ルーベンス作 1636-38年」
しかし、ケイロンのような者は稀です。ケンタウロス族は好色で粗暴な
性質を持つ者が多いです。彼等はラピテス族の王の婚礼中に酒に
酔い、花嫁を誘拐してしまいました。他の者達もそれにならったので、
ラピテス族と大乱闘が繰り広げられる事となったのです。
「アルノルト・ベックリン作 1827-1901年」
ケンタウロスの戦いと題された作品。同族同士で戦ったという物語は
無かったような気がしましたが、気性の粗いケンタウロスはきっと
喧嘩が激しかっただろうと作者は考えたのでしょうかね。
巨大な岩で一発KOを狙っております・・・。
「Louis-Jean-François Lagrenée 作 1725-1805年」
また、ケンタウロス族のネッソスはヘラクレスの妻デイアネイラを
誘拐しようします。「激流は大変だろ?俺が彼女を対岸まで送って
やるぜ」と言うノリで背中に乗せ、攫って行こうとしたのです。
「ジュールス・イーライ・ドローネー作 1828-91年」
ヘラクレスは勿論怒り、矢を放ってネッソスを射止めます。
しかし、ネッソスが死の間際にデイアネイラをそそのかし、その事が
ヘラクレスの身の破滅となるのでした・・・。
「サンドロ・ボッティチェリ作 1482年」
斧を持つ女性がケンタウロスの髪をむんずっと掴んでいる、
SMっぽい(!?)作品。女性は理性や知恵を司る女神パラス(アテナ)で、
暴力や獣性を象徴するケンタウロスを支配しているので、
「理性が欲望を制御している」という意味と捉えることができます。
「ギュスターヴ・モロー作 1826-98年」
ケンタウロスに運ばれる死せる詩人という作品。神話の話ではなく、
作者自身の世界観によるものとなります。賢者風のケンタウロスは
華奢な詩人を担ぎ、その死を悲しんでいるようです。
ケンタウロスは文学や詩そのものの象徴であるかのようですね。
「フランスの国立図書館に収蔵されている写本挿絵より」
象徴主義の作品から一転、中世時代に戻ります。ケンタウロスは
神話から飛び越え、キリスト教の物語にも登場します。ある日、
聖アントニウスは聖パウロを訪ねる旅に出ますが、道に迷って
しまいます。そこに現れたるはケンタウロスです。
「Francesco Guarino 作 1642年」
「老人よ。あちらへ行きなさい」とケンタウロスは道を教えてくれたのです。
アントニヌスはその通りに進み、無事に聖パウロと会う事ができます。
この事から、キリスト教にもケンタウロスは賢者としてみなされていた
事が分かりますね。
「作者不明のフランドル絵画 17世紀頃」
非常に珍しい家族を描いた作品。女性のケンタウロスはケンタウレと
呼ぶそうで、紀元前5世紀の画家が考案したとされていますが、
神話においては登場しません。種を存続させるには家族は必須
ですね。お父ちゃんの持つ子熊(?)がご飯なのかな・・・?
半人半馬のケンタウロスが生まれた経緯として、ギリシャ人が東方の騎馬民族であるヒッタイトやスキタイと戦った際、馬に乗る彼等を見て「うわあぁー馬人間だー!」と怪物視したという説と、テッサリアに住んでいた牛や馬を飼育する人達の集団がモデルであるという説があるそうです。また、どれが正しいかは分かりませんが、ケンタウロスの名前には「牛殺し」や「牛を集める者」、「百人隊」という意味を持っているようです。
馬は昔から人間に馴染み深い動物であり、心を通わせることができれば心強い存在でした。しかし、馬がひとたび暴れれば手が付けようがなく、大事故に繋がったこともあったでしょう。西洋の象徴においても馬は「自由」「高貴」「スピード」「忠実」「怒り」「戦争」「好色」「我儘」という幅広い側面を持っています。その象徴をケンタウロスに当てはめてみると、ぴったりと当てはまるのではないでしょうか。
ケンタウロスは人間と馬との関わり合いの歴史から生まれた種族なのかもしれませんね。
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