人体から切り離された首を「生首」と私たちは呼んでいます。
首は古代では勝利の象徴となっており、戦場で将軍を討ち取ったかが分かるように、首を斬り落として自国へ持ち帰った事が由来となります。絵画における生首の登場は、「旧約聖書」「(ギリシア)神話」「聖人崇拝」「斬首された罪人」の四つに大まかに分けられます。それらの中では戦利品という理由を持つ生首もありますし、死の象徴としての生首、その人のシンボルとしての生首もあります。
7種類のパターンに分けた生首の絵画、12点をご覧ください。閲覧注意になるので、グロテスクが苦手な方はご遠慮ください!
サロメと聖ヨハネの生首
「ベルナルディーノ・ルイーニ 作 16世紀前半」
旧約聖書の魔性の悪女の一人であるサロメ。
彼女は母の言いつけで「洗礼者ヨハネの首が欲しい」と義父に
頼みます。義父は衛兵に斬首させるよう命じ、ヨハネの首は
お盆に乗せられて、サロメに渡されたとされています。
「ジャンピエトリーノ作 1510-30年」
この絵画のサロメは目を背けていますね。
生首に対する反応は微笑していたり嫌悪していたりと様々です。
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ユディトとホロフェルネスの生首
「Lorenzo Sabatini 作 1530 -76年頃」
旧約聖書における勇敢な魔性の女ユディト。
彼女は自分の国を守るために、単身敵国の将軍ホロフェルネスの
もとへ赴き、色仕掛けをします。
「ピーテル・パウル・ルーベンス作 1616年」
まんまと騙された将軍は寝首をかかれます。
生首は自国へ持ち帰られ、ユディトは功績を称えられました。
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ダヴィデとゴリアテの生首
「Guiseppe Vermiglio 作 1621-25年」
旧約聖書の物語より。イスラエルとペリシテは戦争していました。
巨人の将軍ゴリアテは超強敵で皆が恐れていたものの、
少年ダヴィデはその者をいとも容易く倒してしまいます。
「Alessandro Turchi 作 17世紀」
それもそのはず。ダヴィデは未来のイスラエル王になる者だったからです。
戦利品の首を持つダヴィデの絵画は数多く描かれています。
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オルフェウスの生首
「アンリ・レオポルド・レヴィ 作 19世紀後半」
ギリシア神話の吟遊詩人オルフェウスは一人の女性を愛し続けたせいで、
他の女性の嫉妬を買って殺されてしまいます。遺体は八つ裂きにされ、
生首は海へ流れていきます。
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メデューサの生首
「ピーテル・パウル・ルーベンス作 1617-18年」
ギリシア神話のメデューサは見た者を石化させる能力を持つ怪物です。
彼女は英雄ペルセウスによって首を斬られてしまいます。生首は盾に
取り付けられ、敵を石化させる便利な武器になりました。
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聖人の生首
「 写本 Heures de Charles VIII より 1475-1500年頃」
キリスト教の聖人サン・ドニ(パリの聖ディオニジオ)を描いた作品。
剣で首を斬られて殉教したので、自分の生首がアトリビュートに
なっています。
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「Matthäus Günther 作 (作品部分) 1740年頃」
彼はキリスト教の聖人パウロです。伝承によれば彼はローマで殉教
したとされており、その場面を描いたものだと思われます。
斬首された者の生首
当時、西洋ではギロチンの公開処刑を行っていました。一般の者の
目にも、生首は珍しいものではなかったでしょう。
画家もリアルな生首に注目し、絵画を幾つか残しています。
「テオドール・ジェリコー作 19世紀前半」
罪人の生首を実際に見ながら描いたとされる作品。
リアルに描写され、血の匂いや空気がここまで伝わって来そうです・・・。
歴史ではブルボン王朝のルイ16世、マリー・アントワネットらがフランス革命によりギロチンで処刑されています。フランス、ドイツ、ベルギー、スイスの四か国がギロチンを導入しており、フランスでは1792年に認可されています。この国と時代に生きた罪人は、ほぼギロチンによって処刑されたと考えても問題がなさそうです。
また、英国の王チャールズ一世、スコットランド王女メアリ・スチュアートなどは斬首により処刑されています。ギロチンが導入されていない国の多くは、両刃の剣や斧を用いて斬首を行いました。他の処刑方法もあることはありますが、西洋の歴史は斬首と生首に彩られた歴史ということが分かりますね・・・。
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