ダヴィデは紀元前千年頃に在位していた古代イスラエルの王です。
ダビデ、ダヴィドなどとも呼ばれます。彼が幼少だった頃、初代のイスラエル王はペリシテ人と戦争をしておりました。そんな時、ダヴィデは戦士ゴリアテを知ります。彼はペリシテ最強の男で、とんでもない巨人でした。イスラエル兵からも恐れられ、ゴリアテは調子に乗って兵を挑発していました。ダヴィデは巨人の前に立ち、勝負を挑みます。「小僧め。すぐに捻り潰してくれる!」とゴリアテは彼を侮りまくっていましたが、ダヴィデは神の力を借り、スリング(石投げ)で石をさっと投げました。石は額にめり込み、ゴリアテは一瞬で気絶してしまいました。ダヴィデは相手の大きな剣を使い、ゴリアテの首を斬り落としました。こうしてイスラエル軍に勝利をもたらしたダヴィデは、次々と戦争に参加して勝利をおさめ、イスラエル王の地位に就いたのでした。
ダヴィデとゴリアテの物語は画家達に好まれ、大量の作品が残っています。その一部をご紹介いたします。生首だらけなので閲覧注意です。
「ピーテル・パウル・ルーベンス作 1616年」
ムッキムキのダヴィデが、今にもゴリアテの首を切り落とそうとしています。
ダヴィデが立派で、ゴリアテの巨人さがあまり感じられない・・・。
ていうか、気絶せずにダヴィデを睨みつけている!
「ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ作 1550-55年頃」
マニエリスム時代で、ミケランジェロと因縁深い画家。
ダヴィデがゴリアテの髪を掴み、首を切ろうとしています。
「ピエトロ・ダ・コルトーナ作 17世紀」
戦いを楽しんでいるように見えるダヴィデ君。大剣をやすやすと
振り上げているところが、未来の大物を感じさせます。
「ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 1452-44年頃」
無事に首を切り落とし、勝利を神に感謝している場面。
下から仰ぐアングルや、落とされた首の描写が見事です。
「ガブリエル・フェリエ作 1876年」
首、とったどー!!と言った感じのダヴィデ君。
身につけるのは毛皮だけで、原人みたくなっています。
「Giuseppe Caletti 作 1650年」
俺、首切っちゃったんだよね。と言いそうな軽そうに見えるダヴィデ。
ゴリアテでかっ!と思いましたが、身長2.9mとされているので、
このぐらいのサイズでしょうか。剣の大きさも忠実に描かれています。
「Andrea Vaccaro 作 1635年」
ずるずる戦利品を引きずるダヴィデ。
この顔の大きさでいったら、身長5m超えていそうな気がします・・・。
「Cima da Conegliano 作 1505年」
首を切った帰り道。ダビデの隣は親友ヨナタンです。
「俺、殺ったわ」「すげぇな」と世間話をしているかのような二人。
「グイド・レーニ作 1604-06年」
セクシーなポーズをとったダヴィデ。物語ではなく肖像画として
描かれており、ゴリアテは単なるアトリビュートと化しています。
「カラヴァッジオ作 1605年」
本物であると見間違えそうな、リアル感のある絵画。カラヴァッジオの
作品は多くの画家に影響を与え、似た作風で描く人が何名もみえました。
「カラヴァッジオ作 1609年」
ゴリアテの顔はカラヴァッジオの自画像と言われています。
彼は罪深き人生を歩んできたので、断罪されたい思いがあったのかもしれません・・・。
「クロード・ヴィニョン作 1620-23年」
こんな首を獲りました。と記念撮影しているかのような感じ。
口が半開きのゴリアテが憐れがしに見えます。
「ドミニコ・フェッティ作 1620年」
こちらも首狩りました~と記念撮影。横目を向いて睨むゴリアテが
まだ生きてるんじゃない?と思わせます。ダヴィデ呪われそうですよ・・・。
ダヴィデは美しい羊飼いの少年とされています。ルネサンスが興り、表現の自由が許されたバロック時代になると、画家たちは段々と物語より、美しい表現を重視していきます。すなわち、ダヴィデが美しい少年として表される絵画が多くなっていきます。それは他の物語の人物たちでも言えることで、聖セバスティアヌスやギリシア神話の登場人物も同様に肉体美が強調されていきます。バロックが過ぎて近代が近付くと、そういった風潮はなりを潜めますが、この表現は中世時代の抑圧の反動だったのでしょうかね。
【 コメント 】
>> 大きな……様へ
こんばんは^^
「おお、なんという大きなカブだ!」
おじいさんとおばあさんは、孫や犬、猫の力を借りて力いっぱい引っこ抜きます。
「うんとこしょー どっこいしょー」
すぽーんと中から出て来たのは、大きな――生く……(放送禁止)
大きなかぶを、おじいさんとおばあさんと……力を合わせて引っこ抜くって童話、ありましたね。←