聖母の戴冠の絵画12点。昇天したマリアは神とイエス・キリストに王冠を授けられる | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

聖母の戴冠の絵画12点。昇天したマリアは神とイエス・キリストに王冠を授けられる

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 「聖母戴冠」は、マリアが天上で神によって王冠を授けられている絵画のことを指します。
 聖書にはそのような記述はありませんが、マリアは死して三日後に復活を果たし、天国へと昇って行ったとされています。そこで彼女は戴冠を受けるのです。王冠を授ける者は神であったり、キリストであったり、三位一体であったりします。十二使徒が上空を仰いでいたり、天使や聖人たちが祝福していたりする場合もあります。王冠の意味は女帝というよりも、女教皇である方が正しいかもしれません。権威より栄光や信仰。マリアは聖なる教えを伝えていく最たる者、といった立場なのだと思います。
 栄誉に満ちた聖母戴冠の絵画、12点をご覧ください。
→ マリアの死についての絵画を見たい方はこちら
→ マリアの被昇天についての絵画を見たい方はこちら

 

「カルロ・サラチェーニ作  1610年」
こちらは聖母の死&被昇天の作品。十二使徒+αの人々がマリアを
取り囲み、天空では天使達が祝福をしています。右側でなにやら
囁いている二人組が怪しく見えるのですが・・・。何か企んでる?

「Jacopo di Mino del Pellicciaio 作  1340-50年」
天国へいざなわれたマリアは神やキリストによって、王冠を授けられます。
手前にはミニマムな天使が音楽を奏でています。

「Enguerrand Quarton 作  1454年」
下にはキリストの磔刑と最後の審判らしきシーンが描かれています。
左右には聖人がびっしりと描き込まれていますね。神とキリスト、
聖霊を表す鳩の三つが描かれる構図は、後年にも受け継がれます。
→ 三位一体についての絵画を見たい方はこちら

「ミケル・シトウ作  1492-96年」
三位一体の神の御座の前で祈りを捧げるマリアは、息子よりも若い
少女に見えます。マリアの死のテーマでは熟女といった感じの絵画
がありましたが、聖母戴冠では若々しい姿ばかりです。

「サンドロ・ボッティチェリ作 1490‐92年」
マリアは肉体、魂ともに上昇したとされていますが、天界へ昇ると
うら若き姿となるのですね。下に四名の聖人が描かれているのは
珍しいように思います。
→ ボッティチェリの絵画をもっと見たい方はこちら


「リドルフォ・ギルランダイオ作  1504年」
輝く光を背に、王冠を受けるマリア。今気づいたけれど、このような
青空の背景は少数派なんですね。青色は宝石ラピスラズリで出しており、
高価だったことも一つの原因なのでしょうか。

「ペルーの絵画  18世紀後半」
三位一体全て同じ顔という少しシュールな作品。スペインの者達が
アメリカ大陸に渡り、異文化に触れて独自の絵画様式を生み出しました。
西洋にはない独特の雰囲気がありますよね。
→ ペルーで描かれた銃を持った天使の絵画を見たい方はこちら

「スウェーデンのゴットランド島Källunge教会の祭壇画  15世紀」
絵画ではなく、木彫りの半立体の作品。こ、こちらもちょっとキリストの
表情がシュールに見えますね。北欧圏の美術も個性的な感じで
素敵だと思います。

「Meister des Marienlebens 作  15世紀」
背面が全て金箔張りの作品。中世、ルネサンス時代はテンペラ画に
金箔を張る作品がよく見られます。足元の黒い衣服を着た二人は
絵画の依頼者なのでしょうか。

「ピーテル・パウル・ルーベンス作  1577‐1640年」
ルーベンスは被昇天と戴冠の二種とも描いています。ヨハネの黙示録に
「太陽を着て月に乗った女性」という存在が現れますが、それはマリア
ではないか、という説もあります。しかし、個人的には違うような・・・?
→ ヨハネの黙示録についての絵画を見たい方はこちら

「エル・グレコ作  1591年」
このグレコの作品は十二使徒が7名しかいませんね。絵画によって全員
入れる作品と人数を変える作品があるのが興味深いです。
12名みんな描き入れるとごちゃっとしてしまうから、構図的に抑えたの
かもしれません。

「ディエゴ・ベラスケス作   1635-36年」
青と紫、赤紫が鮮やかな美しい作品。ベラスケスの王冠は金属ではなく
花輪のような感じですね。聖母の戴冠は勝利や権威の象徴というより、
栄光や信仰のように思えるので、こちらの方がしっくりするかもしれません。

 ちょっと関係ない話になりますが、「アヴェ・マリア」という言葉はラテン語で「こんにちは、マリア」または「おめでとう、マリア」という意味らしいです。つい最近それを知りました。なんというか、アヴェ・マリアは聖歌として考えていて、意味があるとは思っていませんでした。アーヴェ―…マリーアー…♪と歌を聞くと、神秘的で崇高なイメージを抱いていましたが、「こんにちは、マリア」と歌っていたと思うと、なんだか親近感が湧きます。
 キリスト教の方は聖母マリアに挨拶や祝辞を伝えてから、祈りを捧げていたのですね。

 

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