モーセは旧約聖書の「出エジプト記」に登場する人物です。イスラエル人(ヘブライ)はつねづねエジプトの圧政に苦しんでいたので、「エジプトを脱出せよ」と神託を受けたモーセは彼等を束ね、この地を発ちました。→ エジプトを脱出するモーセについて知りたい方はこちら
約束の地を求めて旅をするイスラエル人たち。神から与えられたマナという食糧を摂取しながら、進み続けます。しかしモーセが神の預言を受けている間に、人々は金の子牛を崇拝し始めたのでモーセは激怒し、子牛を壊します。いざこざを起こしながら旅をして40年が経ち、モーセたちは神の言いつけ通り進みました。しかし、些細なことがきっかけでモーセは罪を犯し、次の指導者はヨシュアに変わってしまいます。役目を終えたモーセはネボ山の頂上に登り、約束の地カナンを眺めながら生を終えました。享年120歳でした。
出エジプトから指導者が変わるまでのモーセの旅路の絵画、11点をご覧ください。
「作者不詳 1460-70年」
イスラエルの民が飢餓にならないよう、神は天からマナという
食糧を降り注がせます。マナは白くて薄くて壊れやすいもので、
蜂蜜ケーキのような味がするそうです。
「ジェームズ・ティソ作 1896-902年」
毎朝マナは降り注ぎ、日差しが強くなると溶けて消えてしまいます。
自分が食べられる分だけしかもらえず、とっておこうとすると臭くなります。
「トーマス・ブリグストック作 1840-60年」
中心をモーセにして、モーセの兄アロン(右)と、マイナーな仲間ハー(左)。
このように三位一体のように描いた絵画は幾つか存在します。
「ジョン・エヴァレット・ミレー作 19世紀」
こちらも倒れそうなモーセを支えるようにしている仲間二人。
爺さん三名が奮闘中です。
「二コラ・プッサン作 1633年」
モーセが行方不明になってしまったので、
アロンの扇動で金の子牛を崇めているイスラエルの人々。
「ドメニコ・ベッカフーミ作 16世紀前半」
帰って来たモーセはそれを知り大激怒!折角神からもらってきた
十戒の石板を叩きつけて、粉々にしてしまいます。
(また代わりの石板をもらえましたが)
「バッキアッカ作 1525年頃」
「水がない」と不平を洩らす人々。モーセが祈ると「岩を打て」との
神託が。人々を集めて大きな岩を打つと大量の水が出てきました。
「アブラハム・ブルーマールト作 1596年」
しかし、岩を打つ際に「神が水を出す」ではなくて「モーセとアロンが出す」と
言ってしまったので神はへそを曲げてしまい、
「貴方たちだけでは民を約束の地に導けません」と断言してしまいます。
「フランドルの画家 17世紀」
「荒野で死にたくないし、マナを食べ飽きた」とイスラエルの人々が
不平を洩らしたので、神は怒って地上に毒蛇を送ります。
毒牙にかかってバタバタと倒れていく人々。
「ベンジャミン・ウエスト作 18世紀後半-19世紀前半」
モーセが許しを乞うと「銅の蛇を柱につけろ」と神が言いました。
毒蛇に噛まれた人々がそれを見つめると、あら、神の御力!
すっかり元気になりました。
「ジェームズ・ティソ作 1896-902年」
神は「次の指導者をヨシュアにせよ」とモーセに告げます。
モーセは岩を打った時に罪を犯したので、約束の地を踏めませんでした。
土地を遠くで眺めながら、彼は120歳の人生の幕を閉じました。
この記事を書いていて、「ちゃんと絵画の内容を調べないといけないな・・・」と切実に思いました。
なぜなら、私は、以下の絵画が「表紙」の「北欧神話の洋書」を持っているからです。
これ・・・。題名は「ヴァイキングの神話と伝説」。ばっちり表紙になっているでしょう・・・。
中を見ると一面にこの絵画が印刷されており、中央がオーディン、右がロキ、左がヘーニルと紹介されています。ついこの間まで、私はこの絵画を北欧神話のものだと信じていました。でも、オーディンがへろへろに疲れていて、ロキとヘーニルに支えられている場面なんてないよなぁとは思っていました。
そして今回、モーセについて調べてみたら、この絵画が出てきてモーセと紹介されていたではありませんか!管理人、目が点。頭にクエスチョンマークです。おかしいと思って調べてみたら、やはりこの絵画はモーセ、アロン、ハーを描いたものだと判明し、北欧神話の洋書はまったくの嘘っぱちが書いてあったのです。
私たちは本に書いてあることは正しいと思いがちです。しかし、やはり本も人が作ったものだから、間違いもあります。(安いコンビニ本とか読むと、北欧神話の物語にたまに間違いがあります) このブログも気を付けているつもりですが、間違えを含んでいる可能性があります。誤りを見つけましたら、遠慮なくご指摘を!
長文失礼いたしました。読み手である私たちが情報を吟味し、取捨選択していかなければなりませんね。
【 コメント 】
>> 新約聖書を愛する人様へ
こんばんは^^
神自身を模して崇拝している訳ではないのでギリセーフ!?…ではなさそうですけどw
旧約聖書の神様は自分で選んだ人材でも、ちょっとでも信仰がそれたら容赦なく見限ってきますよね^^;
十戒の規則もかなり厳しいですし、信仰するのは大変そうです。
聖書は何千年も前の人々の口伝や信仰、文書がつみ重なって生まれた存在ですから、矛盾があって当たり前なのですよね。
その矛盾や象徴が込められた内容を宗教化し、整合性を持たせようとするから様々な解釈が生まれ、争いに発展してしまう…。
それでも現代まで信仰する人が大勢いるのですよね。
現代でも聖書のツッコミ本は色々出版されているような気がしますが、図書館の本は消えてしまったのですか^^;
矛盾を指摘する存在を抹消しようとする姿勢は、個人的に賛成できません。
ブラックなツッコミを入れられても、笑って許せる世界になったらいいなぁと思います。
偶像崇拝はダメなのに、銅の蛇は良いんだ!?
と、突っ込んだら負けですかね?笑
旧約聖書の神様は、言うことが矛盾してたり基準がよく分からなかったり無理難題ふっかけたり…と、メンドクサイ奴やなぁ。と思います。
10数年くらい前に図書館で、「聖書のここが変だよ!!」的なガイド本を見付けて読んだことがあります。
アメリカ人?の方が書いた本で、旧約・新約聖書の矛盾や虐殺のシーンや神様発信の無理難題などにいちいちツッコミを入れる
という書き方が面白かったです。
とても面白かったのでまた読みたいと思ったのですが、ソッコーで除籍されてました。苦笑