「我に触れるな」の絵画16点。復活したキリストがマグダラのマリアへ告げた言葉 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

「我に触れるな」の絵画16点。復活したキリストがマグダラのマリアへ告げた言葉

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 「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」はキリストが復活した後、最初に出会ったマグダラのマリアに向かって放った言葉です。
 ヨハネの福音書によれば、キリストが埋葬された墓地へマグダラのマリアと女たちが行くと、墓が暴かれているのを目の当たりにしました。墓の両側には二人の御使いがいます。そして背後に人影が見えたので、マリアは「私の主を一体どこへ移動させてしまったのですか」と問います。人影を墓の管理人だと思ったのです。しかし、彼は「マリアよ」と優しく言ったので、キリストであると分かりました。彼女は嬉しくて近付こうとしますが、キリストは「私に触れるな。まだ父の御許へ行っていないのだから」と伝えます。
 「我に触れるな」という台詞は劇的であった為か、実に多くの絵画作品が残されています。大半は近づこうとするマグダラのマリアと、それを避けようとしたり拒否するキリストで表わされます。しかし、中には「ん?」と思う個性的な作品も一部存在します。
 「我に触れるな」と言い放つキリストと、触れたいマグダラのマリアの姿の絵画16点をご覧ください。

 

「フランスのプティ・パレ美術館の中世絵画   1400年頃」
横に棺桶があり、ひざまずいて触れようとするマリアを
手で制しています。手に持っている農具は墓の管理人に間違えられた
逸話から来たのであり、実際に持っていた訳ではありません。

「Anton Raphael Mengs 作  1728‐79年」
優しげに触れようとするマリアを、そっと留めるキリスト。
「私は復活したばかりで、まだ父の御許に昇ってはいないのだから、
触れてはならないよ」という気持ちがよく表れています。

「シャルル=アンドレ=ヴァン=ルー作  1705‐65年」
後光が輝くキリストを驚きの表情で見つめるマリア。
「我に触れるな」というより、そのままキリストが触ってしまいそうです。

「ドイツのズエルモント・ルートヴィヒ美術館蔵の作品  1515-20年」
「お願い先生、触らせてください」
「え、いや、ちょっと待って。まだ父の元へ行ってないからね、待って」
と少し挙動不審に見えるキリスト。

「ハンス・バルドゥング・グリーン作  1539年」
赤黒いマントをたなびかせ、カメラ目線のキリスト。
なんだかスーパーマン状態になっています。
奥にもマリアがいるので、異時同図法になっております。

「ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作  1490‐1576年」
ひざまずいて裾を掴もうとするマリアに、ひゅっと上手に避けるキリスト。
拒否るキリストもいれば、避けるキリストもいますね。

「アーニョロ・ブロンズィーノ作  1503‐72年」
「ぜひ触れさせてください~♪」「いや、ならぬ~♪」とダンスを踊って
いそうな二人。「触れるな」という話なのに、躍動感が凄いです。
背後の女性たちが意味ありげな会話をしていそうです。

「アンドレア・マンテーニャ作   1431-1506」
「嗚呼、どうして貴方は高台にお立ちになっているのですか?」
「私に触れてはならないからだ」
キリストの持っている十字の旗は、死に打ち勝ったことを象徴しています。

「ラヴィニア・フォンターナ作  1581年」
墓の管理人というより、完璧に農夫の恰好をしているキリスト。
これじゃあマリアさん間違えてしまいますって。復活したてなのに、
この格好をしているキリストって一体・・・。

「アブラハム・ヤンセンス&jan Wildens 作 1620年」
案外、農夫スタイルでキリストを描く画家は多いです。
背後には野菜がぎっしりと置かれており、「今から畑耕してくるから、
ちょっと待っててね」と言っているように感じます。
ストーリー変わりすぎではないですか・・・?

「バルトロメウス・スプランヘル作  1546‐1611年」
こちらも農夫スタイル。さすらいの農夫のようなキリストは、
マリアに向かって昔話でも聞かせていそうです。

「Marcantonio Franceschini 作  1648‐1729年」
枠外に出てまで拒否るキリスト。「まだ触らないでね。あっちにいる
父なる神まで行ってくるから」と枠外へ歩いていきそうです。

「アントニオ・ダ・コレッジョ作  1495年」
決して怒っているシーンではないと思われるのに、厳しめの容姿の
キリスト。「私は天へ行くのだから、触れるでないっ!」と言っているように
感じてしまい
ます。ちょっとくらい触ってもいいじゃないですか。←ぇ

「フランチェスコ・ソリメーナ作  18世紀」
「触れるでないっ!」とぷんぷん気味の、筋肉質なキリスト。
そんなに怒らなくてもいいじゃない・・・。

「アロンゾ・カノ作  1601‐67年」
我に触れるな・・・って、がっつりとマリアさんの頭を触っていますって!
怒った顔をしているのに、自分が触っているってどうですか!?

「バティスタ・フランコ作  1510‐61年」
我に触れるな・・・って、キリストこらーー!!
目線もそれとなく見てるし、下心丸見えになってますって!

 「ノリ・メ・タンゲレ」という主題は物語のごく一部のシーンなのに、画家によってこうもバリエーション豊富なのが絵画の興味深いところですよね。主題通りに描きますという素直な者と、同じような作品にしてたまるか!という意気込みの者、どうしてこのようにしたのだろうと疑問に思ってしまう者など、様々です。作品は画家の心象風景を映すといいますが、宗教画も適用されるのでしょうかね。やっぱり絵画は奥深いです。

→ キリストの復活の絵画を見たい方はこちら
→ 「この人を見よ(エッケ・ホモ)」の絵画を見たい方はこちら

 

【 コメント 】

  1. 管理人:扉園 より:

     >> 季節風様へ
    こんばんは^^
    亡くなったと思った大事な人が生き返り、再会を喜ぼうと駆け寄ったら「我に触れるな」と言われてしまうなんて、「えぇーなんで!?」と思っちゃいますよね。
    「まだ父の御許へ行っていないから」という理由も、私達からしたら「??」となってしまいます。
    それでもキリストを信じ続けたマリアさんの信仰心は凄いです。
    農夫ではなく、本当は墓堀人に間違えられたのです…^^;
    なのに、絵画では農夫状態となっていましたね。
    これは推測なのですが、当時、墓堀人は忌むべき仕事とされており、その恰好をキリストにさせたくなかったのかもしれません。
    (もしかしたら墓堀人の恰好が農夫とそっくりであったり、伝説によって農夫に間違えられたバージョンもあったりしたのかも?)

  2. 季節風 より:

    たしか十二使徒はちりじりに逃げた後もマグダラのマリアは危険も顧みずキリストに寄り添っていたのでは。この瞬間に「私に触れるな」なんて言われてムカつかなかったのでしょうか。
    でも農夫に間違われたからといってキリストが農具を持っていたり野菜も登場したり微笑ましいですね。

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