「この人を見よ(エッケ・ホモ)」の絵画15選。ピラトに示されたキリストは民衆に晒される | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

「この人を見よ(エッケ・ホモ)」の絵画15選。ピラトに示されたキリストは民衆に晒される

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 「エッケ・ホモ」はラテン語で「この人を見よ」という意味であり、ローマ帝国の総督ピラトが発した言葉です。
 キリストは有罪となって磔刑を宣告され、鞭を打たれて茨冠を被せられました。そしてうるさく騒ぎ立てる民衆の前に引き出されました。その時にピラトは民衆に向かって「エッケ・ホモ」と言ったのです。この言葉は劇的で、重要なシーンであった為、「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」と共に多くの絵画が生まれました。
 始まりは9~10世紀頃のビザンティン美術とされ、通常はエルサレムの街を背景に、キリストとピラト、侮蔑する民衆が描かれます。15世紀以降になると肖像画としてのエッケ・ホモも描かれるようになり、フランドル地方で特に人気となりました。茨冠や縛られた縄、十字架などが添えられた肖像画としてのエッケ・ホモは様々なバリエーションがあり、「受難」という宗教的イメージを強めていきました。
 「この人を見よ」という主題の絵画15点をご覧ください。

 

「ヒエロニムス・ボス作  1490‐95年頃」
ボスの描くピラトや民衆は誰もが悪そうで、侮蔑に満ちています。
その中でキリストは小さくなり、惨めとも見える姿をさらしています。
手前には依頼者の家族が描かれていたようですが、何故か
塗り潰されてしまいました。後世の影響なのでしょうか。

「クエンティン・マサイス作  1515年」
左手前にいるピラトは厳かな表情をし、民衆に「エッケ・ホモ」と
語りかけています。ここの民衆はかなり邪悪で治安が悪いですね。
壇上にまで上がってキリストを揶揄しようとしています。

「クエンティン・マサイス作    1520年」
マサイスさん二枚目。こちらは肖像画に近い作品ですね。縛られた
キリストはうつむき、悲しみに沈んでいます。背後にさりげなく潜む
男が憎い感じですね。

「ヤン・モスタールト作   1470-1556年」
揶揄ってるにもほどがある、恐ろしいエッケ・ホモ。
ピラトは右端へと追いやられ、道化のように見える民衆四人が
キリストをからかいまくっています。受難というテーマでも、
神の子をこんなに辱めてもいいのでしょうか・・・。

「ファン・ヘームスケルク作  1560年」
豪華な衣装を着たピラトは踏ん反りながらキリストを指さしています。
左の二名が小男なのと、顔が崩れている者がいますが、心が醜いという
表れなのでしょうか。(象徴の話なので、障害の方を指している訳では
ないと思います)下の足場にはエッケ・ホモと書かれています。

「Bartolomeo Cesi 作  17世紀」
こちらの作品は先程とは打って変わり、ピラトはキリストの信仰者の方に
「エッケ・ホモ」と呼び掛けています。この画家は侮蔑のシーンを描くに
耐えず、美しい主題に変えたのかもしれません。

「チーゴリ  ロドヴィコ・カルディ作  1607年」
バロック期になると、キリストの肖像画率がぐっと増えます。暗闇を
背景に、キリスト、ピラト、拷問者(?)の三名が演劇的な感じで立っています。

「Ludovico Cardi 作  16世紀」
エッケ・ホモをよりアップに描いた作品。ピラトの目線は鑑賞者に
向けられており、私たちに「エッケ・ホモ」と呼び掛けているようです。

「ティツィアーノ・ヴェリッチオ作  1570-76年」
粗いタッチのこの作品は、他の作品と異なる雰囲気を出していますね。
歪んだ禍々しい世間の波を、キリストはうつむいて耐えているようです。

「ティツィアーノ・ヴェリッチオ作   1570-76年」
こちらもティツィアーノの作品。背後にうっすらと浮かび上がる微笑む
男が不気味です。キリストが持っている植物は一体なんでしょうか。
麦?小麦?象徴的なものですが、すみませんが分かりません。

「グエルチーノ作  1647年」
兵士が頭を押さえ、暴力をふるっている作品。鑑賞者はこの作品を
見て、キリストの受難を思い、信仰を深めたのでしょうか。
・・・キリスト教って複雑で深いですね。

「Giovan Battista Langetti 作  1625‐76年」
ピラトはキリストを指しているというより、縛られた手を示して「この
仕打ちを受けている神の子を見よ」と言っているように感じます。

「ミケランジェロ・カラヴァッジオ作  1605年」
安らかともいえるキリストに、拷問者は布を肩にかけてあげています。
老人のピラトは両手でキリストを指し、敬意
を表しているように見えます。
慈愛に溢れた優し気に感じる作品ですね。

「ポルトガル出身の画家  15世紀」
キリスト単独の作品。白布を被ったキリストは、痛々しい姿を垣間
見せています。頭の布から出ている茨冠が痛そう・・・。
配置や十字架の後光が美しい作品です。

「フランチェスコ・マッフェイ作  17世紀」
こちらも単独の作品。腕を組んで横を向いたキリストの頭は眩し気に
輝いています。エッケ・ホモの概念を超越していても、「この人を見よ!」と
いうメッセージが強く感じられる作品です。

 愚かな民衆によってからかわれている神の子を見よ、信仰者を先導する輝かしい神の子を見よ、縛られ殴られ受難を受けている神の子を見よ、キリストそのものを見よ!・・・と、作者によって同じ「エッケ・ホモ」でも、どこに主眼を置いているかによって、ピラトの示す場所や構図が変わるのが興味深いですね。また、総督ピラトはキリストを有罪判決した者ですが、後年にキリスト教に改宗しています。なので、ピラトを悪人としたり、善人としたりと意見が分かれているのも、画家の見方が分かって面白いですね。

→ 「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」の絵画を見たい方はこちら

 

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