聖ルカは、新約聖書の「ルカによる福音書」と「使徒列伝」の作者とされる聖人です。
「コロサイ書」や「ルカによる福音書への反マルキオン的序文」には「職業は医者」と記述があり、彼の職業は医者と考えられてきました。その為、聖ルカは医者や薬剤師の守護聖人とされています。しかし、聖ルカは画家の守護聖人ともされており、彼が聖母マリアと幼子イエスの肖像画を描いている場面ばかりが作品として残されています。それはルカの職業が画家で、聖母マリアを始めて描いた者であるという伝承がある為です。また、異教徒へ伝道する際に、自らが描いたイエスやマリアの肖像画を使用したという話もあります。
聖ルカの作品は中世ルネサンス期に多く、とりわけ北方が目立ちます。では、様々な容姿や姿で聖母マリアとイエスを描く聖ルカの絵画14点をご覧ください。
「ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作 1435-40年」
赤い衣服をまとった聖ルカが羊皮紙を手に持ち、聖母子を
描こうとしています。構図や建築、中央の景色を見る人物など、
ファン・エイク作の「宰相二コラ・ロランの聖母子」を彷彿とさせます。
「Derick Baegert 作 1470年」
優雅な聖母子を一生懸命見て、筆を走らせる聖ルカ。
長時間のモデル仕事にイエス様は少し飽きておられる様子w
右端では何かをしている天使さんがおりますね。
「聖なる血のマスター作 1510年」
立派な聖堂のような家の中、懸命に筆を動かす聖ルカ。
マリア様は集中が切れた(?)イエスにお乳をあげています。
「ニクラウス・マニュエル作 1515年」
この画家は「聖母子様が生身で来たのではなく、聖ルカが幻視で
見たのだ」と考えたのか、彼の視線は天の方を向き、画面には
いない聖母子を描いています。弟子が絵画のお手伝いをしている
ようですね。
「ラファエロ・サンツィオの追随者作 1483-1520年」
微笑みながら聖母子を描く聖ルカの背後には一人の青年。
彼はラファエロとされており、「彼はルカと同列だ」という追随者の
尊敬の念が伝わってきますね。ルカのアトリビュートは牡牛。
右端でカメラ目線をしており、さり気なく目立っていますw
「ヤン・ホッサールト作 1520-25年」
こちらの聖ルカは幻視でもこもこっと現れた聖母子を描こうと
奮闘しています。「イエス様はこう描くのですよ」と天使に教えられて
いるようですね。楽器を弾く天使はよく登場しますが、絵画を
たしなむ天使はなかなか珍しいです。
「ジョルジョ・ヴァザーリ作 1565年」
かなりびしっとポーズを決めた聖母子様。天使達も無理ありげな
ポーズを全力で行っています。こちらの聖ルカは学者や聖人の
風貌というよりも、政治家のような厳しげなお顔をしていますね。
「マールテン・ド・フォス作 1602年」
こちらの聖ルカはあともう少しで完成しそうです。
手が画面に直接触れないように、添え木を当てて描いているのが
分かります。当時にもこのような道具があったのですね。
イエス様は牡牛の角を掴んでお遊びに徹しています。
「ファン・ヘームスケルク作 1498-1574年」
絵画によって聖母子のやる気度合いが違うのが面白いです^^
自然体を貫く姿が多い中、こちらの聖母子のポーズはビシッと
決まっています。天使様も松明を持ち、やる気満々ですね。
「ピエール・ミニャール作 1695年」
聖ルカの左端にたたずむ男性は画家自身。自らを描き入れたのは、
聖ルカに近付きたいという憧れや意気込みか、聖人への祈りか、
はたまた「私は聖ルカになりうる者だ」という自信の表れか・・・。
「エル・グレコ作 1608年」
先程の構成とは全く異なり、グレコは聖書内に聖母子を描き入れ、
それを私達に見せている聖ルカを描いています。
「ルカによる福音書」を書いたという事が感じられる作品です。
「フランス・フロリス作 1560年」
聖ルカとしての画家リシャール・アーツという作品。
背後で絵具の元の顔料を砕いているのはフロリス自身。
「聖ルカほどに素晴らしい画家だ」という最高の栄誉が込められた
作品だと思います。フロリスの目線はちょっと痛いけれど・・・。
「メルチョル・ペレス・デ・オルギン作 1714年」
かなり厳しいお顔をされた聖ルカ。牡牛も「なんか文句あるのか」
とばかりにこちらを睨んでおります。いや、それよりもマリア様!
マリア様がホラーになっとる!
「シモン・カンタリニ作 1612₋48年」
絵を描く聖ルカの元へ忽然と現れた聖母子と言った感じですが・・・。
マリア様がかなり近い!というか、パレットから上に浮遊しとる!
画家の守護聖人である聖ルカ。その影響により「聖ルカ組合」という名称が、芸術家のギルドにほぼ共通して付けられていたそうです。近代初期の西洋、とりわけネーデルラントに多かったとか。そんな「THE・画家」の聖人であるにも関わらず、聖ルカの職業は医者という説も存在します。
現代のように写真が存在しない時代、視覚的に頼れる存在は「イラスト(絵画、図版等)」しかありませんでした。聖書で内容を説明するにも、医者で患者に病気を説明するにも、病気を治す薬草の説明にも、具体的に見せる為にはイラストが必要でありました。中世時代に美しい図版が入った「彩飾写本」が修道士である写字生達が行っていたように、医学書のイラストは医者自身が行っていたのかもしれません。
また、初期北方ルネサンスの画家ファン・エイク兄弟は当時未熟であった油彩技法を、様々な物質の調合を経て完成させました。かのレオナルド・ダ・ヴィンチも解剖や科学、化学などのあらゆる分野に手を出しています。現代でも画家を志すには解剖図の勉強が必要との声もありますね。
話は長くなりましたが、一見無関係に思える医者と画家は切っては切り離せない関係にあるような気がします。だからこそ、聖ルカは二つの職業を掛け持ってしまったのかもしれませんね。
→ ファン・エイク兄弟についての絵画を見たい方はこちら
→ 音楽を奏でる天使についての絵画を見たい方はこちら
【 コメント 】