ナルキッソスはギリシャ神話に登場する美青年です。
ある日、ニュムペーであるエコーはナルキッソスに恋をしました。エコーはヘラに罰を与えられており、相手の言葉を繰り返す事しかできませんでした。そんな彼女にナルキッソスは愛想をつかし、酷い言葉で振ってしまいます。エコーはショックのあまり身体を失い、木霊(こだま)になってしまいました。他のニュムペーもナルキッソスに愛を訴えましたが、彼は冷酷な仕打ちをするばかりです。そこで、ある処女が復讐の女神ネメシスに「彼が愛に報いられないようにしてください」と頼み、それが受け入れられました。
ナルキッソスは狩りの疲れのため、澄み切った泉にやってきました。喉の潤いを癒そうと泉にかがみこむと、超美青年の顔が水面に映り、彼はそれを水の精霊だと思いこんで恋に落ちてしまいました。顔を近付けて手を伸ばしますが、水面が揺れて相手は逃げてしまいます。それは自分の顔だというのに、ナルキッソスは全く気付かないまま、食べることも寝ることも忘れ、水面をずっと眺めていました。恋煩いで彼はみるみる衰弱していき、痩せ細っていきます。ナルキッソスの悲嘆の声に、姿を失くしたエコーの声が重なり、そのまま彼は力尽きて死んでしまいます。その遺体はどこにも見つからず、代わりに一輪のスイセンの花が静かに揺れていたそうです。
自分を愛しすぎてナルシストの語源にもなった、ナルキッソスの絵画15点をご覧ください。
「Jan Cossiers 作 1600-71年」
多くの女性の愛をはねつけて来た冷淡な美青年ナルキッソスは、
自らの姿を水の精霊だと思いこみ、一瞬で恋をしてしまいます。
「Christian Gottlieb Schick 作 1776-1812年」
光り輝く目、美しい巻き毛、ほんのりと赤みが差した頬、象牙のような肌、
形の整った唇。ナルキッソスはその全てを愛してしまいます。
「ルネ・アントワーヌ・ウアス作 1688年」
「おお、どうして僕が近付こうとすると君は逃げるんだい?僕の心は
愛おしさではち切れそうだよ!」と自分の顔を見続けるナルキッソス。
ネメシスの罰だからといって、そんな事をしているのはかなりイタイ人です。
「Placido Costanzi 作 1702-59年」
悲嘆に暮れる彼の背後で、木霊になったはずのエコーが悲嘆に
暮れています。エコーが登場する絵画も数多くあります。
「Vinzenz Fischer の追随者作 19世紀」
隣でにやりと笑って指をくわえているのは愛の神クピドでしょうか。
自らの愛に溺れたナルキッソスを表現しようと、皮肉で描かれたの
かもしれません。背後にうっすらとエコーさんが。
「Adolf Joseph Grass 作 1867年」
絵画の殆どのナルキッソスは布を身にまとった半裸の美青年として
描かれています。どれだけ美しく青年の肉体を表現できるかを、画家が
競っているように感じます。
「Joseph Dionysius 作 1820年」
やはり実際にモデルを見ながら描いたのでしょうか。個人的に
スキャンダラスな匂いがします・・・。葉っぱ隠しきれていないし。
「ピア・ジョゼフ・セレスタン・フランソワ作 1815-30年」
うっとりと自分を見つめるナルキッソスに、背後から声をかけようとする
エコー。それに愛の神クピドが、しーっと口に人挿し指を当てています。
「ナルシストは諦めた方が良いよ」というメッセージなのでしょうか。
「Manuel de Eraso 作 1767年」
自分をガン見するナルキッソスに、彼をガン見するエコーさん。
エコーさん実体化して、かなり近くまで這い寄ってきています。
「ミケランジェロ・カラヴァッジオ作 1597年」
ナルキッソスの絵画の中で結構有名な作品。水上に映る顔は美青年
というより、どちらかと言えば本人より悲し気に見えます。
彼の心の光と闇を描いたかのような、鏡合わせの作品。
「クリスティーヌ・ド・ピザン作 1364‐1430年」
中世時代のナルキッソスとエコー。
ワンコが水を飲んでいますし、エコーさんの帽子が凄い事になっています。
「クリスティーヌ・ド・ピザン作 1364‐1430年」
同じ作者さんの作品。たなびく髪の爽やかな笑顔の自分に、
ナルキッソスは鼻の下が伸びきっています。それに対し馬がキレ顔。
「Nicolas Bernard Lepicie 作 18世紀」
自分に見とれ続けるあまり、このまま動けずに飲まず食わずで
ナルキッソスはどんどん衰弱していきます。
「ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作 1849‐1917年」
地面に這いつくばってガン見の彼をエコーが心配そうに
見つめています。衰弱して痩せ細り、従来の美しさもなくなってゆき、
彼はそのまま死んでしまいます。
「二コラ・プッサン作 17世紀」
ナルキッソスの遺体はスイセンの花になったとされています。
この物語が元になり、自己愛-ナルシストという単語が生まれました。
多年草であるスイセンは生命力が強く、家の庭にも白と黄色のスイセンが咲いています。
自分の容姿に恋をして死んでしまったナルキッソスより、スイセンの方が図太く生きているように感じられますが、神話によると水面を見ているナルキッソスの姿が、うつむきがちに咲くスイセンの花と重なったからとされています。なるほどです。スイセンは漢字で水仙と書くので、中国(日本?)では水の仙人のありがたい花と考えられていたかもしれません。古代の人々の想像力は凄いですよね。
でも、スイセンには強力な毒がありますので、間違っても食べないようにご注意ください。
【 コメント 】
>> またまた過去の記事へ様へ
日本における水仙の物語を検索して読んでみました。
可憐な美女を巡って兄弟が争うこととなり、「私のせいで争うなんてごめんなさい」と彼女が海に身を投げて、流れ着いたのが水仙…。
自分大好きなナルキッソスとは違い、王政ローマを変えたルクレチアのような自己犠牲の精神を持った女性というイメージなのですね。
植物や動物などは地域によって呼び方が全く違いますよね。
(ニュースで見ましたが、彼岸花は星の数ほど呼び名があるそうです)
地域別、国別での伝承を調べてみるのも面白そうです^^
東洋における水仙のお話は、山種美術館の絵の説明文で読んだ気がします。内容は忘れてしまいましたが^^;
「水仙 東洋 意味」で検索したところ、それらしい伝説は出てきました。
同じ花でも、地域によってまったく違う伝承があるというのはおもしろいですね。