ローランの歌の挿絵13点。騎士ローランの武勲を称える、フランスの英雄叙事詩 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ローランの歌の挿絵13点。騎士ローランの武勲を称える、フランスの英雄叙事詩

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 「ローランの歌」はシャルルマーニュの甥ローランを称える、11世紀に成立したフランスの英雄叙事詩です。
 シャルルマーニュには優れた12名の勇士(パラディン)がおり、その中の一人がローランでした。サラセン帝国の支配下にあるイベリア半島を奪い返そうと、彼等はスペインで戦闘していました。戦いは優勢となり、サラセン側の王は停戦交渉を持ち掛け、もしシャルルマーニュがフランク王国へ帰るなら、自分はキリスト教へ改宗して人質をも差し出そう、と言いました。条件を呑もうか考える王に、ローランは「止めよう。罠だ」と、ガヌロンは「受け入れよう」と進言しました。
 結局シャルルマーニュは条件を呑むことにして、使者を誰にしようか悩みます。そこで、ローランは「ガヌロンを推薦する」と言って、それが採用されました。しかし使者の役目は危険がつきもの。ガヌロンは「自分を殺して、領地を乗っ取るつもりか?」と疑心暗鬼に駆られ、ローランへの復讐を目論んでしまいました。

 使者としてサラセン側へ行ったガヌロンは、退却しようとしたシャルルマーニュの軍を背後から襲撃し、ローランを殺害しようと王たちと計画を立てました。フランク王国へ帰ることを決めたシャルルマーニュは、「最後尾を誰にしよう」と言うと、自軍へと戻ったガヌロンはローランを推薦します。殿軍を務めることになったローランの元に、サラセンの大軍が押し寄せてきます。敵の余りの多さに軍は総崩れとなり、ローランはやっとのことで援軍を呼ぼうと角笛を吹きました。裏切りに気付いたシャルルマーニュらは直ぐに戦闘に加わり、更に援軍を寄こします。その間にローランは獅子奮迅の戦いを見せていましたが、親友は命を落とし、遂に彼も力尽きてしまいます。戦争には勝利したものの、英雄は戦場でその命を散らしてしまったのでした。
 中世と近代の二種類から、ローランの歌の作品13点をご覧ください。

 

「作者不詳 中世彩色写本の挿絵  1400年頃」
シャルルマーニュ(カール大帝)の部下である12名の勇士(パラディン)。
その中で一番秀でていたのがローランでした。天使より与えられ、
王がローランに授けたという聖剣デュランダルを持っています。

「作者不詳  Grandes Chroniques de France の挿絵」
サラセン帝国は劣勢と分かるや、停戦交渉を持ち掛けてきました。
悩むシャルルマーニュに、ローランは「使者は賛成派のガヌロンに
やらせましょう」と言います。しかし、ガヌロンはそれが気に入りません。

「作者不詳  14世紀頃の中世写本挿絵」
ガヌロンは自国を裏切って、サラセン人と共にローランの殺害を
計画します。ローランに軍の最後尾を任せ、背後からだまし討ちを
するという暴挙にでました。それが、778年にピレネー山脈内で
起こったロンスヴォーの戦いです。

「オディロン・ルドン作  1869年」
二万の軍勢を率いるローランの背後に、膨大な数のサラセン人が
襲い掛かります。ローランの親友オリヴィエは「援軍を呼ぼう」と
言いますが、彼は虚栄心の為に断ってしまいます。

「作者不詳  中世彩色写本の挿絵」
ローランたちは獅子奮迅の戦いを見せますが、大量の軍勢に押され、
パラディンたちも次々と討ち取られていき、
あっという間に二万の軍勢は60騎となってしまいました。

「アルフォンス・ドヌー作  1883年」
角笛を吹くローラン。「ローランの歌」は中世以降、美術世界から
離れており、19世紀にルドンやドヌーらが描くまで眠ったままでいました。
ローランはピンチに陥った時にやっと角笛を吹き、援軍を呼んだのです。

「William Rainey 作  1852–1936年」
騎士道精神があったのでしょうが、早めに援軍を呼んでいれば、
仲間達を殺すことも、自分も死ぬこともなかったかもしれないのに・・・。
と思ってしまいます。それが中世と現代の思想の違いなのでしょうか。

「作者不詳 南ネーデルランドのタペストリー作品  1475-1500年」
敵味方がひしめき合う、阿鼻叫喚とした戦場を描いております。
援軍を呼んで奮起したローランは、サラセン王の右腕を切り落とし、
王子の首を斬り落としました。この戦いぶりにサラセン側は恐怖し、
撤退を始めていきます。

「Ernest Lavisse 作(?) 1913年」
しかし、ローラン側も限界が近付いていました。
パラディンたちは次々に命を落としていき、親友オリヴィエは傷付き、
ローランの婚約者である妹のオードを心配しながら命尽きました。
オリヴィエは実は、ローランよりも武勲が上であったそう・・・。

「作者不詳  中世挿絵」
そして、ローランも戦闘の最中で傷を負ってしまいます。命運尽きた
と思った彼は聖剣デュランダルを奪われまいと岩に叩きつけますが、
剣は折れるどころか岩を真っ二つにしてしまいました。剣はその後、
シャルルマーニュが所有者になったと言われています。

「作者不詳  中世彩色写本の挿絵」
窮地に陥るローランと、ローランの死を描いた中世画。
ちょっとシュールな感じですね・・・。角笛でオリヴィエ(?)をチョップ
している感じとか、頭から血を流しているローランとか・・・。

「作者不詳 中世彩色写本の挿絵 14世紀頃」
シャルルマーニュらも奮戦し、サラセン側は敗北しました。王が
ローランの元へ駆けつけるも、彼は既にこと切れていました。


「作者不詳 中世の挿絵 1455–60年」
胸に手を置き、そっと目を閉じるシャルルマーニュ。目をかけていた
甥の戦死の事実は、王の胸に深く突き刺さったに違いありません。
首謀者であるガヌロンは捕まえられ、裁判に掛られて八つ裂きの刑に
されたそうです。

 ローランは実在した人物ではありますが、「カール大帝伝」という本に名前がちょろっと出ているだけに過ぎません。その伝説が脚色を加えられながら吟遊詩人によって語り継がれ、数世紀を経て「ローランの歌」が誕生しました。戦争がそこら中で起こり、戦いが珍しくなかった時代、ローランの行動は善策ではなかったものの、騎士道にのっとった格好いい最期の規範だったのかもしれませんね。
 ・・・でも、私は「遅すぎる!」というオリヴィエの意見に賛成しますw

 

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