「阿呆船」は「愚者の船」とも呼ばれ、15世紀のドイツ作家セバスティアン・ブラントによって書かれた風刺文学です。あらゆる愚者たちが集結し、阿呆の国ナラゴニア目指して航海するという筋書きですが、物語形式ではなく一章ごとに異なる愚者を皮肉り、風刺していく形式となっています。例えば知識ある本を買い集めるだけで全く読まない者や、法に反した裁きをした者、強欲の者、流行をおっかける者など、全112種類の愚者が風刺の対象になっています。今回は書籍に掲載された挿絵と、本文を一部抜粋して紹介したいと思います。
やたらと会議して法を無視する阿呆は、豚の丸煮えでも食ってろと。
ドイツの画家アルブレヒト・デューラーは若い頃に「阿呆船」の挿絵を描いたそうで、
ここからデューラーが描いた挿絵となっています。
どんな罪でも赦されると思いこみ、罪を軽んじた者は鵞鳥となれ。
本文を一部抜粋しました。韻律のある文体で、
ブラントの風刺がどんなものかが分かると思います。
31 日延べのこと「罪や悪とは縁を切り、
よりよい生活をするために、
きょうこそ改心するのだ」と、
いくら神が勧めても、
すぐに改心できないで、
一日二日と日を延ばし、
明日の命も知らないで
「あした、あした」と鳴く阿呆。
「あした、あした」と歌いつつ、
多くの阿呆が死んでった。
罪悪、阿呆のことならば、
みんな勇んでとんでくる、
神やまじめな話だと、
なかなかそばへは寄りつかず、
何とか延ばそと苦労する。
「懺悔はあしたのほうがよい、
あしたになればちゃんとする。」
放蕩息子の言い草だ。
同じあしたは二度と来ない、
雪のように溶けてゆく。
魂が消えてゆくときに、
はじめてあしたがやってくる。
そのときゃからだが苦しくて、
魂どころの騒ぎじゃない。
ユダヤ人もあのように、
神が定めたかの土地に
ひとりもたどりつけないで
荒野の中で消えてった。
悔いる力のないものは、
できないことがなおふえる。
きょう神の声があったとて、
あしたあるとはかぎらない。
あすは改心願いつつ、
死んでゆく者数知れぬ。―阿呆船(上)より抜粋
この風刺は心に刺さりました。神への改心の話ですが、現代の私たちでも通用するもののように感じます。私自身面倒くさい事は後まわしにしがちで、「明日やる。だって眠いもん。だって仕事があるもん」と言い訳をしてしまいます。そんなこと言っていたら一生できない阿呆になるぞ、とブラントに言われてしまいそうです。112章の中にはバリエーション豊かな阿呆があり、社会的批判のものや格言めいたもの、過激すぎな風刺、思わず笑ってしまう皮肉がごたまぜになっています。ちなみに、この「阿呆船」は画家ヒエロニムス・ボスも読んだと言われています。ボスの作品「愚者の船」は直接この本をテーマにした訳ではないですが、影響は受けていたようです。ボスが読んだと言われていたから、私も本を読みたくなったんです(笑)
作者セバスティアン・ブラントは前書きでこう言っています。
「本書は世の利益になるよう、英知、理性そして良風を教え、広める為に、またあらゆる身分の者の痴呆、盲目、誤解、愚鈍を笑って戒める為に、粉骨砕身の努力をもってバーゼルにおいて編集されたものである。」
当時の西洋の人々は、この本を見て笑いながら自らを戒めていたのでしょうかね。
▽以下の本が参考文献となります。
【 コメント 】
>> 愚者は愚者らしく様へ
こんばんは^^
いえいえ、気になさらないでください。
私も誤字脱字たくさんやらかしてますので(^^;ゞ
そう言っていただけると本当に励みになります!感謝です。
過去の作品がまだ幾つかありましたので、掲載しますね。
長編の方は好き嫌いが激しく分かれそうな作品ですが…。
私も筋金入りの愚者です。
「お金が欲しいのに働きたくない愚者」だし、「頑張らなきゃと思うのにダラダラする愚者」で、「買ったのに読んでない本だらけの愚者」でもあります^^;
せめて「阿呆船」の風刺を素直に受け止め、転覆しそうな阿呆船から逃げ出せる愚者でありたいなぁと思います。
扉園さん、こんばんは。
前回のコメントは誤字・脱字ごめんなさい。お礼の気持ちを早くお伝えしたくてあわててしまいました。
ぜひ書いてください!扉園さんの世界を扉園さんの中にだけ閉じ込めてしまってはもったいないです。素晴らしい世界を持っていらっしゃるんですからぜひ。
私は立派な愚者です。「明日こそ、明日こその愚者」だったり「買ったのに読んでない本で足の踏み場もない愚者」だったり。そして愚者らしく『阿呆船』を注文してしまいました。本は買って読みたい愚者・・周りの賢者は図書館を利用してお部屋スッキリです。
また誤字脱字があるかもしれないけれどお許しを・・
お休みなさい。