
エドマンド殉教王は9世紀半ばに、イースト・アングリア王国(現イングランド)の王であった聖人です。
寛容で善き王として知られており、信仰心は篤く、貧しき者に施しを行っていました。良き家臣を優遇し、媚びる者には厳しく接しました。869年にデーン人(現デンマーク人)のヴァイキングたちがエドマンド王の国に侵入し、両者は激しい戦争になりました。結果はエドマンド王の敗北。国は征服されて荒廃し、住民は虐殺されて王はヴァイキングの手により殺されてしまいます。殺害のされ方は一定しておらず、単に戦争中に殺されたものもあれば、ハリネズミのように矢を射かけられ、斬首されたものもあります。エドマンド王の遺体は埋葬され、その場所はすぐに聖地となりました。それから聖エドマンドは王の鑑となり、広く崇拝される聖人となりました。
エドマンド殉教王の絵画12点をご覧ください。
「13世紀の中世挿絵」
エドマンド王は公正で寛大、模範的な王だったと言われています。
二人の僧侶にひざまずかれ、足にダブルキスされています・・・。

「聖エドマンド王の挿絵 1130年」
エドマンド王から施しを受ける物乞いたち。王は彼等に気前よく
食べ物や衣料品を与えたとされています。
→ 物乞いの絵画を見たい方はこちら

「作者不明 中世時代のイコン」
戦闘衣服に身を包み、槍と剣を握る勇ましき王。国に侵入する
ヴァイキング達を追い出そうと、果敢に立ち向かいました。
しかし、戦争に敗れてしまいます。

「聖エドマンドの生涯 11世紀イングランド教会の挿絵」
エドマンド王はヴァイキングたちに連れられ、処刑されてしまいます。
当時、ヴァイキングの勢力は強く、イングランドの
国が次々と侵略されていってしまいます。

「聖エドマンドの生涯 11世紀イングランド教会の挿絵」
弓矢でハリネズミ状態にされて殉教するエドマンド王。
天空からは彼を祝福する神の手がにょっきりと。

「聖エドマンドの生涯 11世紀イングランド教会の挿絵」
射られたその後、エドマンド王は斬首されてしまいます。
首は樽に捨てられましたが、神より使わされた狼が彼の首を持ち出し、
森で守っていたとのことです。それにより、狼は王の守護対象になっています。

「聖エドマンドの生涯 11世紀イングランド教会の挿絵」
狼によって持ち帰られた首が胴体に当てられると、
自然にくっついてしまうという奇跡が起きました。
彼の死体は長年腐敗しなかったという言い伝えもあります。

「13世紀のエドマンド王のタペストリー」
王が被っている竜の帽子も気になりますが、人間のように
にやりと笑う、りっぱな角の牛さんが一番気になる。

「Marchela Dimitrova 作 21世紀 (参照元)」
矢を受けて殉教したとされるので、エドマンド王のアトリビュートの
一つに矢があります。王のような姿で矢を持っていたら、エドマンド王かな
と思っても大丈夫だと思います。
→ アトリビュートについて知りたい方はこちら

「作者不明 中世時代のイコン」
聖エドマンドはイングランドだけではなく、カトリック教などにも広く
信仰され、11月20日を彼の祝日と定められています。

「作者不詳 中世時代のイコン」
お顔が黄金のエドマンド王。
下には弓矢の物語や、狼が守る首の物語が描かれています。

「リュック・オリヴィエ・メルソン作 1846-1920年」
野生の狼とちょっと強気そうに見える天使が、エドマンド王の国の
ものと思われる国旗を持っています。王はキリストのように手を射られ、
首筋には斬られた後があります。美しい作品。

イングランドにあるホクスン公園には、かつて一本の古木がありました。
それは昔から聖エドマンドが括り付けられ、矢を射かけられた木だと信じられてきました。しかし、1849年にその木は切り倒され、信者たちによってばらばらにされてしまいました。言い伝えによると、木の中から矢じりが発見されたり、釘が出てきたと言われていますが定かではありません。木の破片は教会の祭壇画の一部に使用されたり、美術館に展示されたりしています。
木の破片を持っていると聖エドマンドのご利益があると信じ、人々は木をばらしたのでしょうか。そんなことをしなくてもいいのになぁと思うのは、西洋と日本の文化の違いなのですかね。
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