剣闘士(グラディエーター)の絵画11点。敗北は死であり、ローマ帝国の光と影の象徴 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

剣闘士(グラディエーター)の絵画11点。敗北は死であり、ローマ帝国の光と影の象徴

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 剣闘士は古代ローマ帝国において、闘技場で見世物として戦わされた戦士です。
 グラディエーターとも呼ばれ、その生き様や勇士は映画で知っている方も多いと思います。グラディウスと呼ばれる小型の剣を用いる剣闘士がみられたことから、その名が付いたそうです。剣闘士の歴史は定かではありませんが、紀元前4世紀の壁画にはその姿がみられたようです。
 剣闘士になる人のほとんどは戦争捕虜や奴隷市場で買い取られた者で、自ら志願して剣闘士になる者はまれでした。彼等は訓練所で徹底的に戦闘の知恵を叩き込まれ、実践の場である円形闘技場に送られました。一対一の戦い、団体戦、猛獣戦、騎馬戦、模擬戦争、模擬海戦など戦闘ジャンルは様々で、観客を熱狂させるため、それらすべてにエンターテインメント性が帯びていました。生き残るには勝利だけが頼りで、敗北をした者の大半は死が待っていました。傷つけ合い、命の奪い合いがショーと化していたのです。
 ローマ帝国の闇の中に生きる剣闘士の姿11点をご覧ください。

 

「ローマのヴィラのモザイク画   250年頃」
鞭や棒を持って戦っています。基本は剣や短剣ですが、
見世物としての戦闘なので様々な武器を用意される時もありました。

「Aniello Falcone 作  17世紀」
剣闘士の集い。彼等のほとんどは戦争捕虜、奴隷市場からやってきました。
犯罪者が剣闘士となることもあり、まれに自由民の志願者も現れました。

「ジョヴァンニ・ランフランコ作  1635年」
個人戦だけではなく、集団で行われる模擬戦争の時もありました。
こんな乱戦の最中で生き残るのは至難の業です。
また、円形闘技場に水を溜めて、模擬海戦を行った記録もあるとか。
ローマの繁栄と深淵恐るべしです。

「円形闘技場からのフレスコ画」
猛獣との戦闘が催される時もありました。ライオンや象、熊、ヒョウなど
様々な動物たちが剣闘士との戦いに集められ、殺されました。しかし・・・。

「ローマのモザイク画」
猛獣に顔をぐしゃあ!とやられることもありました。手負いの動物は
本当に危険です。これで命を落とした剣闘士もごまんといるでしょう。

「Fedor Bronnikov 作   1856年」
剣闘士の勝利と敗北。負けた者の生死の行方は、
観客に委ねられることもあり、死を選ぶことがほとんどだったとか。

「ジャン=レオン・ジェローム作  1872年」
剣闘士の社会的地位は低いですが、脚光を浴びると人気は高まります。
血と戦いと勝利に興奮し、酔う観客たち。一般人が一番恐いです。

「Francesco Netti 作  1880年」
連勝している剣闘士は大人気となり、勝ち続ければ自由を手に入れ、
辞めるかフリーの剣闘士になることができます。
しかし、一回でも負けると・・・。手前のような憐れな結果に。

「Stefan Bakałowicz 作  19世紀」
三又槍(トライデント)を持って、ポーズをとっている剣闘士のおじさん。
兜や剣、網など戦闘で使うものが置かれています。
18世紀に古典回帰が起こり、こういった肖像画的な姿も描かれるように。

「Luigi Rubio 作  1821年」
負傷している剣闘士を、劇的なシーンと肉体美で描いた作品。
葉っぱで隠して素っ裸で戦っているなんて突っ込みたくなりますが、
美術的感覚で言うと「問題ありません」。

「ジャン=ジェルマン・ドルーエ作  18世紀後半」
左足の腿を斬って、負傷している剣闘士。これはもう戦闘うんぬんではなく、
剣闘士の気高さ、勇敢さ、崇高さといった美意識としての
象徴を絵画にした感じです。

 古代ローマの壁画は「当時」の剣闘士の姿、生々しい現実が伝わってきます。剣闘士の見世物は紀元前4世紀から600年頃まで続けられ、681年に公的に禁止されて消滅しました。
 現代の私達から言えば約1400年、18世紀の画家達から見ても約1100年の差があります。その間に剣闘士の姿は様式化されていき、象徴的な存在となっていきます。古典回帰が起こった18世紀の画家達は現実としてのリアルな剣闘士ではなく、「美術」としての昇華された剣闘士の姿を描こうとします。それ故、「剣闘士」というテーマは、生と死、勝利と敗北に彩られた誇り高い男性としての姿となったのかもしれません。

 

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