カスティーリャ王女のフアナ(1479‐1555)は、夫フィリップ美公の関係から精神を崩し始め、夫の死をきっかけに狂気に陥ってしまった悲劇の女性です。狂王女フアナとも呼ばれています。
フアナはカスティーリャ王女のイザベル1世とアラゴン国王フェルナンド2世との間に次女として生まれました。(現在のスペイン) 17歳の時にブルゴーニュ公フィリップ美公と結婚し、ネーデルラントへ嫁いでいきます。始めこそ二人は愛し合うも、真面目なフアナは女たらしであるフィリップが許せず、夫の心は次第に離れてゆきます。結婚から数年後、フアナの兄弟と世継ぎが相次いで亡くなり、彼女はカスティーリャの王位継承者に任命される事になりました。
夫と共にカスティーリャへ行ったフアナ。しかし、フィリップはその地を嫌って祖国へと帰ってしまいました。ショックを受けたフアナは養育が困難になり、5人の子供は兄嫁や父が引き取る事となりました。24歳の時に母イザベル1世が亡くなり、フアナは王位を継ぐこととなります。フィリップは「妻は精神不安定だから俺に王位をくれ」と主張しましたが、彼の野心を見抜いていたイザベル1世は遺言でフアナに王位を託し、決して譲ろうとしませんでした。アラゴン国王である父フェルナンド2世も娘の王位を認めます。そんな最中、フィリップがスポーツ後に飲んだ水にあたり、1506年に急死してしまいました。
夫の死を知ったフアナは完全に正気を失い、フィリップの棺を乗せた馬車に乗ってカスティーリャをさまよい続けたとされています。夫の死の二年後、フアナは父親により修道院に隣接した城に幽閉されてしまいました。彼女は「狂王女」と呼ばれ、政治から完全に隔離されました。フアナは夫の死の後に産まれた娘カタリナに固執し、長男カルロスがカタリナを離そうとすると、狂乱に陥ってしまったそうです。幽閉から約47年経ち、フアナは76歳でその生涯を閉じました。正気を失ってしまったとしても、彼女は「女王」という誇りは持ちつづけていたそうです。王位は息子カルロス1世に受け継がれ、後に孫フェリペ2世へと渡っていきました。
では、愛に裏切られ死に絶望する、狂王女フアナの絵画13点をご覧ください。
「フランダース出身の画家作 1496-1500年」
フアナの肖像画。「狂王女」と呼ばれていますが、その瞳は
知性に光っています。内気な幼少期を過ごした彼女は、
読書好きで多数の言語を話せたそう。頭脳明晰だったものの
政治には興味がなく、とても信心深かったそうです。
「マグダラのマリアの伝説の親方作 1495-96年」
うつむき加減で表情に陰りが現れているフアナさん。
彼女の精神が崩れ始めたのは結婚後。問題児フィリップ美公に
対する愛とストレス故でした。
「Master of Afflighem 作 1505年」
オランダのジーリクゼーにある三連祭壇画の両翼部分。
フアナとフィリップ美公が描かれています。美公という通り名の如く、
フィリップはゲルマン系のイケメンだったそうです。
フランドル画の緻密で美しい作品ですね。
「彩色写本の挿絵より 1482年頃」
フアナの父親フェルナンド2世と母親イザベル1世は共に国を
治めていました。二人はグラナダを陥落してナスル朝を滅亡させ、
800年に渡るレコンキスタを終結させました。
「彩色写本の挿絵より 1482年頃」
お父さんとお母さんとフアナ。彼女は政略結婚の為にブルゴーニュ公
(ハプスブルク家)のフィリップ美公と嫁ぐこととなります。
この時はまだ未来の不幸も知らず、期待が感じられますね。
「エドゥアルド・ロザレス作 1864年」
フィリップ美公の横暴さに次第に病んでいくフアナ。そして1504年に
母親イザベラ1世が崩御してしまいます。カスティーリャ王位は
フアナの手に渡ったのでした。
「Francisco Pradilla Ortiz 作 1877年」
王位の譲渡を迫るフィリップ美公は、なんとスポーツ後に飲んだ水に
あたり、急死してしまいます。女たらしで我儘、横暴で野心家だった
夫。そんな性格でしたが、フアナは夫を深く愛していました。
彼の死はフアナの正気を完全に失わせてしまいます。
「Gabriel Maureta Aracil 作 1858年」
夫の棺を埋葬することを拒み、棺を馬車に乗せてカスティーリャ中を
共に回ったとされています。グラナダにある王室礼拝堂を目指した
とも言われています。赤い棺にしがみ付くフアナ・・・。
「チャールズ・デ・スチューベン作 1788–1856年」
金色の鎧を身にまとった夫の横で、人形のような無表情さを
見せるフアナ。ショックが大きすぎると感情が表に出せないと
言いますが、フアナは夫の遺体を前にどういう表情を見せたの
でしょうか・・・。
「Francisco Pradilla Ortiz 作 1906年」
狂気に陥ったフアナは「狂王女」と呼ばれ、カスティーリャの
トルデシリャスにあるサンタ・クララ修道院に隣接した城館に
幽閉されました。末娘カタリナに執着し、決して離れようと
しなかったそう・・・。
「Willem Geets 作 1876年」
エクソシズム(悪魔祓い)をする教会関係者。16世紀頃は狂気に
陥らせるのは悪魔の仕業であるとも考えられており、フアナを治す
為にこのような儀式も行ったのでしょうか。むろん、フアナの
心の闇は教会でも治せませんでした。
「Vicente Palmaroli 作 19世紀」
音楽によって療養させようとする人々。フアナは劇や映画の題材と
なっている為、そのようなワンシーンなのかなと思います。
どんな心安らぐ芸術もフアナの心は動かされませんでした。
「Louis Gallait 作 1856年」
フアナの心にはずっと夫の存在がありました。彼女の理想では、
二人で仲睦まじく国を治めていく未来を思い描いていたのでしょう。
そうならぬのが世の不条理。なんとも悲しい結末です・・・。
精神を病み、狂気に陥りながらも王女でありつづけたフアナ。絶望に陥って自ら命を絶つ選択も脳裏によぎったでしょうに、信心深い彼女は自殺は罪であると考え、生き続けることを選んだのだと思います。76歳まで存命し、形式ながらも王位を保ちつづけようとしたフアナは誇り高く、芯の強い女性であったと私は思います。
フィリップ美公がイケメンでいい人だったら歴史も変っていたのかな。でも、ラブラブな状態で急死したらフアナさんのショックが倍増してしまう気がします。やっぱり水にあたっちゃったのが不味かったですかね・・・。フィリップ美公が急死せず、野心を持って王位を狙い続けていた方が、フアナさんにとってはまだ救いだったのでしょうか。歴史は変えられませんが、悶々と考えてしまいますね。
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