中世の墓標トランジの彫刻11点。骸骨や腐乱死体の像を彫刻した、メメントモリの一体系 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

中世の墓標トランジの彫刻11点。骸骨や腐乱死体の像を彫刻した、メメントモリの一体系

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 トランジは朽ちた遺体や骸骨をモチーフとした彫刻、レリーフであり、中世時代の権力者の墓標に用いられました。
 現代の私達の感覚からしたら、墓石の像は美しく作って欲しいと願うものですが、中世の人々の考えは違いました。「肉体はいずれ朽ちるもの。現世は儚いものであり、魂が永遠に住まう場所である死後の世界こそ大切にすべきだ。生きている間に徳を積まねば、地獄へ落とされる。故に、死を想わねばならない」と彼等は考えていました。これはメメント・モリ(死を想え)の思想であり、戦争や疫病で死亡率が高かった中世において普及した宗教的スローガンです。
 トランジを希望する者の殆どは裕福層や教会層であり、本人の遺言によって作られたそうです。中世時代のフランスで死者を指す言葉を「トランジ」といい、死にゆく者、通り過ぎる者という意味を持ちます。トランジの中には蛆が湧き、カエルが張り付き、腹には穴が空いているという生々しいものもあります。トランジは死者の弔いの像というより、観る者に気付かせる「警句」的なニュアンスを帯びているのです。
 メメント・モリの精神に彩られた、彫刻やレリーフ作品11点を見ていきましょう。閲覧注意です。

 

「アイルランドにある墓 聖ピーテル教会  12世紀」
ご夫婦でしょうか。二人並んでいるものの、
その姿は腹がぽっかりと開いた骸状態。この世の虚しさを伝えています。

「ジョン三世と妻の墓  1550年」
どんなに権力を有していても、いずれは骨になるというメッセージが
込められた、髑髏のレリーフ。

「フランス Guillaume de Harcignyの墓  1394年」
安らかに眠ってはいるものの、骨は浮き出て、骸骨寸前になっています。
オブラートに包んだ感じにメメント・モリを伝えています。

「ベルギーのBoussuにある墓  16世紀」
腐乱した肉体はあばら骨が露出し、蛆がたかっています。
この像を観た者は肉体の無常さ、魂の永遠性を感じ、
神に祈りを捧げたたのでしょうか。

「Paul Reichel 作のTödlein 祭壇画  1583年」
トランジとは少し形態が違いますが、骸骨が素敵なので。
物憂げな骸骨の手元には大量の骨が。

「モワサックの聖ペテロ大聖堂のトランジ  1120年?」
これも夫婦でしょうか。雨でだいぶ溶けてしまっているものの、
剥き出しの骨、這いまわる蛇は認識ができます。
酸性雨で溶けたトランジは二倍の警句効果がありそうです。

「フランス ブルボンの伯爵夫人の墓 1521年」
生前は美しかったであろう夫人の姿も、容赦なく蛆に晒しています。
綺麗な女性も骨になれば同じ。日本の九相図と同じ考えですね。
ブルボンの伯爵夫人 1521

「Guillaume Lefranchois Arras の墓   1446年」
口を虚ろに開けた骸骨は何かを訴えているよう。
メメント・モリとひたすら囁いているのでしょうか?ホラーすぎです。

「スイスのLa Sarraz 教会にある墓  1363年」
顔面と腹部にヒキガエルがたかるという恐怖のトランジ。
当時ヒキガエルは忌むべき生物とされ、悪魔や堕落の象徴でした。
腕と足には大量の蛆が這っています。この墓に眠るのは遠慮したいです。

「ドイツのインゴルシュタットにあるトランジ  1505年」
思わずうぎゃー!と思ってしまう作品。骸骨のあらゆる穴から蛆やら
蛇やら出まくりです。これが墓に刻まれたら、私は悲しい・・・。

「リジェ・リシエ作のトランジ   1547年」
頭上を仰いで手を掲げている骸骨。均等がとれているその姿は、
神聖にすら見えます。背景の装飾性と骸骨の無常さが合わさり、
静寂に包まれた美しい芸術ができあがっております。

 トランジは12世紀ごろから始まり、16世紀以降のルネサンス開花を境に消滅していきました。メメント・モリの思想はこの後も引き継がれ、様々な絵画や彫刻が作られます。中世の終わりと同時にトランジが消滅してしまったのは、やはり自分のお墓をホラーではなく綺麗に作って欲しいと思う人が多かったからかもしれません。

→ <参考元サイト>
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