死の象徴である死神は、西洋において大量に描かれたり作られたりしたモチーフです。
中世ルネサンス、バロック時代は戦争や疫病、魔女狩りなど、常に死を隣に感じているような時代でした。死に関する主題は、メメント・モリ(死を想え)、死の舞踏、死の勝利、ヴァニタスなど沢山ありました。死は骸骨の姿で動き回り、死神として芸術内を動き回りました。今回は人の臨終の前に訪れたり、特定の人の元へ来て死をもたらしたり、鎌や矢を持っていたりと、死神らしい役目を担った骸骨の絵を集めました。
やる気に満ち溢れた、ノリノリな死神の姿12点をご覧ください。
「ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット 1450年」
鉢巻をして格好良く立って、やる気満々の死神。
中世の死神は鎌ではなく弓を持っている場合があります。
「ヒエロニムス・ボス作 守銭奴の死 1490年頃」
死神の矢は男の胸に標準を合わせています。
天使が上を仰ぐよう促していますが、
男は悪魔の差し出した金を受け取ろうとしています。
「ヤン・プロヴォスト作 守銭奴の死 16世紀前半」
こちらも強欲な方の元へやってきた死神さん。あの世へは貯金を
持っていけませんよ。と言っているのでしょうか。
「Frans II Francken 作 守銭奴と死 17世紀」
ヴァイオリンを弾きノリノリでやって来た死神。足で砂時計を踏み、
残された時間が無いことをお伝えしています。
右奥でも同じようにお迎えが来ているようです。
「中央フランスの写本 1480年」
道化棒のようなものを持った僧侶(?)を迎えに来た、
いかつすぎる顔をした死神。左手に鎌、右手に数本の矢を持ち、
仕事をする気満々です。
「Denise Poncher 作(?) 1500年」
鎌を持ちすぎの死神。兵士、女性、誰であろうが我が武器の
前には倒れるのみ。腰を反らせて得意げな感じです。
「ジャン・フロワサール作 15世紀前半」
幹を斧で切っていく様を寿命に例えた絵。幹は今にも倒れそうで、
上に登った男はグリザイユとなっており、今にも息絶えそうです。
→ グリザイユについて詳しく知りたい方はこちら
「Ignacio de Ries 作 1653年」
こちらは象徴的な絵。樹の上では俗世の人々が遊び浮かれていますが、
下の幹は直ぐにでも倒れそうで、死神と悪魔が待ちかまえています。
鐘を鳴らして警告を発しているキリストが不安顔。
「ジャン・フランソワ・ミレー作 19世紀」
貧富関係なく死神は現れる。一介の農夫にもその時は訪れました。
さり気なく出て来た白い後姿が、逆に恐怖です。
「ドイツの工房 19世紀」
遠景で同じやり取りが交わされています。あえて遠い雪景色を見せることで、
死の突然性、生の侘しさと余白の美が伝わるように思います。
「ウィリアム・ホルブルック・ビアード作 1889-90年」
死は何よりも強く、誰も倒すことができない。そのことを表した作品。
象さんと虎さんを倒す、超アグレッシブな死神。
「ハーマン・ヒューゴ作 1659年」
誰もが死の懐の中。それを表現するのに、この手法は斬新に思えました。
「俺の手を逃れられる奴なんかいないんだよ。ん、分かったか?」
骸骨の上機嫌なドヤ顔がなんとも言えません。
画家はどのような事を思いながら死神を描いていたのでしょうか。守銭奴の死なら「強欲になっちゃいかんな」と思うでしょうし、警句なら「死ぬ前に善行をしなくちゃ」と思います。しかし、ミレー作の農夫に現われた死神や、ドイツ工房の静かな死神は「誰もがいずれ死が訪れる。私自身にも来る時が・・・」と画家自身、背後に密やかな死を感じながら筆を動かしていたのでしょうか。
死は恐ろしく目を背けたくなる主題ですが、目を逸らしてはいけないような主題のように私は思います。
→ メメント・モリについての絵画を見たい方はこちら
→ 死の舞踏、死の勝利についての絵画を見たい方はこちら
→ ヴァニタスについての絵画を見たい方はこちら
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