最後の晩餐はイエス・キリストが処刑される前夜、弟子の十二使徒と共に夕食をとり、意味深な会話をした新約聖書の物語です。
最後の晩餐をした使徒はペトロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロメオ、トマス、マタイ、シモン、小ヤコブ、タダイのユダ、イスカリオテのユダです。裏切者とされているのはイスカリオテの方のユダです。そこでキリストは仲間に対する愛を語りながら、三つの予言を残します。一つ「使徒の一人が私を裏切る」。二つ「私の苦難に対し、使徒達は散り散りになる」。三つ「ペトロは三度キリストを否定する」。その衝撃的な予言に、使徒たちは否定したり悲しんだりといった対応をします。しかし、そのいずれもが当たってしまうのです。
一番有名な作品はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品ですが、それだけではありません。最後の晩餐は人気のある主題であり、多くの画家が色々な構図や側面で晩餐風景を描きました。
物語を踏まえつつ、13点の最後の晩餐をご覧ください。
「サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂のモザイク画 6世紀」
夕暮れ時となり、十二使徒とキリストの13名は席で会話をします。
キリストは「これが共に食事ができる最後」と伝えたので弟子達は悲しがります。
「作者不詳のフレスコ画 11世紀」
話が進み、使徒達が「トップになるのは誰か」でもめ出します。
キリストはおもむろに立ち上がり、洗面器を持って
使徒達の足を水で洗い始めます。
「サン・マルコ寺院の壁画 13世紀」
「恐れ多いです!」と彼等はビビりました。
キリストは「手本で示したように、君達も互いに仕え合いなさい」と叱り、
使徒達はしゅんと反省します。
「Jacob Cornelisz van Oostsanen 作(?) 16世紀前半」
次に、キリストが「この中の誰かが、私を裏切るだろう」と言ったので、
使徒達に戦慄が走ります。彼の右側にいたヨハネは寄りかかり、
誰かを問いますが答えようとしません。
絵画の殆どは寄りかかったヨハネを描いています。
「Heinrich Lutzelmann 作 1485年」
ヨハネはキリストが一番大切にしている弟子とされていますが、どうなんでしょうか。
彼等がとったメニューは詳しくは分からないものの、
パン、ワイン、豆のシチュー、子羊の肉、オリーブなどと考えられています。
イスカリオテのユダが「裏切者は私ですか」と小声で聞くと、
キリストは頷き、パンをソースに浸して彼に渡しました。
ユダは黙ってその場を出ていきました。
一人、頭に後光が付いていない者がユダです。
「Ottheinrich’s の聖書の挿絵より 1425-30年」
画家が描くテーブルは長方形、円形と様々ですが、
ユダヤ人は床に座って食事をしていたとか・・・。
神の子はパンとワインを使徒達に配り「これは私の身体と血である」
と伝え、彼等に予言と言付けを与えました。
「レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1498年」
暗号と謎多きレオナルド・ダ・ヴィンチの作品。
「今夜、私を見捨てて羊の群れは散り散りとなり、
信仰深いペトロも明日の朝、私を知らないと三度言うだろう」
というキリストの言葉に、使徒達は強く否定します。
「Juan de Juanes 作 16世紀」
「私を信じて、神を信じよ。私は見えなくとも、聖霊は地上に舞い降り、
いつまでも傍にいる。互いに愛し合い、信仰を捨てるな」
キリストはそう言い、晩餐を終えました。
ユダは欺瞞の色である黄色の衣を羽織っていることが多いです。
「Valentin de Boulogne作 1625‐6年」
後ろ手に何かを握っているユダ。バロック調の暗い色彩で、
最後の晩餐の臨場感を出しています。
「ティントレット作 1592-4年」
最後の晩餐を中景に配置し、給士たちが働いている姿を描く斬新な構図。
左側のユダと思われる男は、席からそっと離れようとしています。
「ピーテル・パウル・ルーベンス作 1630-1年」
小さな円卓に男達がびっしりと座る密度のある絵。
カメラ目線でこちらを見つめるユダ。足元には犬がおり、
忠義に反することを批判しているのでしょうか。
「Dagnan Bouveret 作 1896年」
仄暗い室内に浮かび上がるキリストと使徒。
最後の集いという、寂しく神妙な雰囲気がよく出ています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐だけが「謎や暗号がある」と大いに取り出されておりますが、本来聖書は謎や神秘を多分に含んだもので、最後の晩餐自体が謎に包まれているのです。他の画家たちの作品も暗喩やアイロニー、シンボルが込められていて、魅力的なものがあります。
ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」の影響でしょうか。(私も面白く読みましたが)日本語版を調べてみると、最後の晩餐の書籍がダ・ヴィンチ系しかありませんでした。それでもいいのですが、他の画家が描いた最後の晩餐を鑑賞するのも面白いと思います。
→ < 参考サイト Wikipedia(英語版) >
【 コメント 】
>> 季節風様へ
こんばんは^^
ダ・ヴィンチの最後の晩餐には様々な謎が隠されていると言われていますよね。
使徒達の位置もヨハネが離れているのも、彼等のシルエットにとある暗号が隠されているからだとか…。
ダ・ヴィンチ・コードも含め、半信半疑のものばかりですけれど^^;
使徒達がざわついているのは、イエスが使徒達に「はっきり言っておく。君達のうちの一人が、私を売り渡すだろう」と宣言した後のシーンであるからだと思います。
ペトロがヨハネに「誰なんだ」と聞き、ヨハネがイエスに「主よ、誰ですか」と問うシーンがその後に続きます。
そして、ユダがその場をそっと離れていくのです。
こんばんは。
レオナルド・ダ・ヴィンチ以外の最後の晩餐を初めて観ました。ヨハネさんはよほどキリスト様に寵愛されていたんですね。
ダ・ヴィンチのヨハネはむしろ身をキリストから避けてます。(ダ・ヴィンチ・コードの説は私も読みましたが半信半疑です。)ユダがギクリとしているのは不思議はないですが、その横の男性は殺気立ってるのは何故ですかね。他の弟子たちも騒然となった様子ですね。
ティントレット作のはキリストの大切な話が弟子たちに聞こえてるのかなと心配になります。
>> 火山や砂漠の風景画が観たい( ̄▽ ̄)様へ
こんばんは^^
火山&砂漠の絵画特集やってみましょうか!
場合によっては氷山や深海なども含まれた、極地の絵画特集になるやもしれないので、お願いします^^
ごゆるりとお待ちください♪
聖書音読アプリがあるとは!知らなかったです。
別の事をやりながら聞けるので便利ですね。私も検索してみよう。←ぇ
ですね。キリスト「そうだ。しようと思っていることを早くしなさい」ってユダに催促までしちゃってますからね^^;
しかも「私がパンを与える者が裏切者だ」とユダにパンを渡しまでしているのに、使徒達は全く気付かないという…。
「こんな場面を描くの!?」って思える程のマイナーな場面でも、画家は描いてしまうのですよね。
「神への嫉妬によって兄が弟を殺した。世界最初の殺人」という劇的な設定があれば、記述のボリュームは問わないかもしれません。
もしかしたら、詳しく書いていないからこそ、画家や音楽家、小説家などの芸術に携わる人の創造性が膨らんで創作がはかどるのかもしれませんね。
どうも。
最近、『マタイによる福音書』でこの場面を読みました。
読んだというか、聖書音読アプリで聴いたんですけど、正確には(笑)
マタイさんによると、
ユダ「まさか私じゃないでしょー 笑」
神の子「あんただよw」
みたいな感じで、こんな率直に言っちゃうのかと、びっくりしました。
今度は『創世記』を聴きはじめていますが、カインがアベルを殺した描写がほとんどなかったので、あのわずかな記述から(他に文献があるのか知りませんが)たくさんの絵や創作物が創られているのだと思うとふしぎです。
>> haru様へ
はじめまして!メメント・モリにお越し頂き、更にはコメントして下さってありがとうございます!
管理人が興味のあるテーマの絵画や情報を紹介していくブログですが、楽しんでいただけてとても嬉しいです^^
私もクリスチャンではありませんが、宗教画に魅力を感じています。昔の西洋絵画は独特の魅力があるんですよね。
「失われた福音」面白そうですね!ダン・ブラウンの作品はすべて読んでいて、暗号が好きなので楽しめそうです。教えてくださって感謝です。
毎日更新していきますので、よろしくお願いします。
またお越しください!^^
はじめまして。haruです。
素敵な絵がたくさん紹介してあって、私はクリスチャンではないですが、イエス様関係の絵画は、いつまでもみていて飽きることがありません。とても興味があります。
これからも時々お邪魔させてくださいね。
イエス様と言えば、絵画ではありませんが、
『失われた福音』 シンハ・ヤコボビッチ (著), バリー・ウィルソン(共著) (著), 守屋彰夫 (監修)
こちらをお薦めします。
今までのイエス様のイメージが変わるかも。