テンプル騎士団の絵画13点。十字軍を率いたが、異端とされて火刑となった組織 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

テンプル騎士団の絵画13点。十字軍を率いたが、異端とされて火刑となった組織

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 テンプル騎士団は12‐14世紀頃に活躍した、エルサレムへの巡礼者を守護する騎士団の一つです。
 第一回十字軍が成功し、西洋人の手によるエルサレムの統治が行われましたが、治安は非常に悪いものでした。そこで、巡礼者が安全に歩けるようにとユーグ・ド・パイヤンが1118年に9名の有志を募って「キリストの貧しき騎士」を名乗り、道の安全を守りました。彼等の行為は高く評価を受け、かつて神殿のあった場所を王が授けた為に「テンプル騎士団」と呼ばれるようになりました。

 彼等は修道士であると同時に戦士であり、厳しい戒律を有していました。その勇猛果敢さはお墨付きで、数々の戦いに参加して勝利を収めました。組織が拡大するにつれ、独自の財務管理や銀行のようなシステムを持つようになり、テンプル騎士団は全ヨーロッパに広がっていきました。他にも騎士団は無数にありましたが、テンプル騎士団が最も強い権力を持つようになったのです。しかし、財力や権力が高まれば、周囲からの風当たりは強まるもの。イスラムとの戦争で総長が戦死すると、テンプル騎士団の威信は地に落ちて行きます。さらにフランス王フィリップ4世は騎士団の財産を欲しており、壊滅を図ろうと「奴らは男色と悪魔崇拝をしている」として、彼等を起訴してしまいます。1307年、騎士団の者は一斉に逮捕され、嘘の自白をするまで徹底的に拷問をされます。教皇クレメンス5世もフィリップ4世とグルであり、テンプル騎士団の解散を命じました。四名の指導者は口封じのために火あぶりにされ、騎士団は崩壊してしまったのです。
 権力に潰された悲劇の組織、テンプル騎士団についての絵画13点をご覧ください。

 

「12世紀の写本挿絵」
テンプル騎士団のユニフォームは白い長衣に赤い十字が付いている
ものです。騎士団と言っても戦闘に出るのは数パーセントの者で、
従士や司祭なども存在していました。その者は異なる衣装を着ていました。

「本の挿絵   1820-30年」
テンプル騎士団の入会儀式は秘密とされました。その事が「反キリスト
の儀式をしている」と嫌疑を掛けられることになってしまいました。
しかし、実際に行われていたのは騎士や修道士の心得である、
清貧、貞潔、従順の誓いをしているに過ぎなかったのです。

「Jean Colombe 作  1474年」
テンプル騎士団の上流階級は決して降伏せず、戦死こそが天国の道
であると考えていました。充分な装備品と日頃の鍛錬が、彼等に
「最強の騎士団」という称号を与えました。

「フランソワ・マリウス・グラネ作  1844年」
テンプル騎士団は正規の修道会であった為、大規模な聖堂もありました。
組織は騎士、従士、修道士、司祭の四つに分けられ、各々の役割を
果たしました。一人の騎士に10名ほどの従士が付いていたそうです。

「作者不詳  19世紀」
テンプル騎士団の最後の総長ジャック・ド・モレー。
彼は組織の存続に尽力しましたが、フィリップ4世の狡猾な策により
騎士団は壊滅してしまいます。

「フランソワ・マリウス・グラネ作  1843年」
ジャック・ド・モレーの入会を描いた作品。
ひざまずいて誓っている様子の青年が若き日のモレーだと思います。

「Claude Jacquand 作  1846年」
1288年、イスラム勢とエルサレムを巡る大規模な戦いが行われました。
その時に騎士団の総長ギヨーム・ド・ボージュ―は戦死、
1291年に城塞は陥落し、聖地は明け渡されてしまいました。

「フルーリー・フランソワ・リチャード作  1806年」
テンプル騎士団は徐々に威信を失っていき、財産と権力の保有の為に
周囲に疎まれるようになっていきます。そして、遂に財産に目を付けた
フランス王フィリップ4世により、突然騎士団は逮捕されてしまいます。

「作者不詳  19世紀頃」
彼等は悪魔崇拝や男色、反キリストの嫌疑を掛けられ、
罪を認めるまで残酷な拷問をされ続けました。挿絵では足を
潰されていますね。うう、痛そう・・・(汗)

「作者不詳  19世紀頃」
テンプル騎士団は黒ミサを司る悪魔バフォメットを崇拝しているとされ、
異端審問で有罪判決を受けました。
19世紀にいたるまで、それは本当のことだと信じられてきました。

「作者不詳  16‐17世紀頃」
クレメンス5世により開かれたヴィエンヌ公会議により、テンプル騎士団の
解体が決定され、組織は崩壊してしまいました。しかし、フランスの決定は
他国に無視され、他国にいた騎士団の者は弾圧を免れたようです。

「作者不詳  19世紀頃」
総長ジャック・ド・モレーと代表者三名は、死刑判決を受け、火刑に
処されることになりました。「ママ、あの人どうしてあそこにいるの?」
「こら、やめさない!」と手前で親子が話しているように見えます。

「作者不詳  19‐20世紀頃」
火あぶりにされるモレーと仲間たち。神の正義の為に戦ったのに、
冤罪により処刑される彼等の心情やいかに・・・。

 西洋では13日の金曜日が不吉な日と考えられています。ジェイソンが登場する映画で有名ですね。どうしてその数字と曜日が不吉となったか、という起源の一つに「テンプル騎士団が逮捕された日が13日の金曜日だったから」というものがあります。入会儀式の神秘性や、嫌疑とはいえ悪魔崇拝のイメージが定着して、最も不吉な日とされたのでしょうか。
 また、ジャック・ド・モレーが火あぶりにされる際、フィリップ4世とクレメンス5世に呪いの言葉を掛けたとされています。同年、フィリップ4世は脳梗塞で倒れて急死、クレメンス5世も死因こそ分かりませんが亡くなっています。クレメンス5世に至っては安置されていた棺桶に落雷が当たり、遺体が焼け焦げてしまったのです。これをモレーの呪いと取るのか、偶然と取るのか。もしくは、神は人の行いを見ていたのでしょうか・・・。

 

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