キリストの磔刑は、救世主イエスが磔にされて処刑されてしまう場面を表したものであり、キリスト教の中で一番重要なシーンと言えます。
イスカリオテのユダに裏切られ、ユダヤ教の司祭達に捕らえられてしまったキリスト。一方的に裁判に掛けられ、死罪判決となってしまいます。彼は自らが磔にされる巨大な十字架を背負い、他の二名の強盗を働いた罪人と共にゴルゴダの丘を登ります。頂上に着いたキリストは執行人によって手足に釘を打たれ、十字架にくくり付けられ、さらし者とされてしまったのでした。両脇に二名の罪人も十字架にかけられました。
真昼の空が急に暗くなってきました。嵐が来そうな天候の中、キリストは大声で「神よ。何故私を見捨てなさったのですか」と言い、それから程なくして命を落としました。これは文字通りの意味ではなく、昔ダヴィデが歌ったという詩の始めの言葉であったようです。翌日、息絶えた事を確認する為に兵士が遺体の胸に槍を刺し、キリストは十字架から降ろされたのでした。
宗教画において最も多く描かれていると言っても過言ではない、キリストの磔刑の絵画13点をご覧ください。
「イタリアのナポリの工房の作者作 1620年」
今まさに磔にされようとしているキリスト。やはり磔刑されている
絵画の方が沢山ありますが、磔刑前の準備の絵画も少ないながらも
存在します。右端の少年の笑顔が不気味ですね・・・。
「ホアン・リバルタ作 1615年」
キリストの手首を持つ男の手には金槌が握られています。
両側には共に磔刑されようとしている囚人の二人が描かれており、
足元には頭蓋骨が転がっていますね。
「フィリップ・ド・シャンパーニュ作 1602-74年」
ひいぃ・・・。四人がかりで釘を打たれ、かなり痛そうな絵画ですね。
キリストの衣服は彼等四人で分けられたとされており、縫い目のない
下着はくじ引きで貰い手が決まったそうです。下着まで・・・。
「ジョット・ディ・ボンドーネ作 1300年頃」
青の色彩が美しい磔刑図ですね。当時、鮮やかな青は宝石の
ラピスラズリでしか出せなかったので、非常に高価でした。
キリストの足元にいるのがマグダラのマリア、青い衣服を着て
気絶気味なのが聖母マリアです。
「ルーカス・クラナッハ(父)作 1532年」
ちょっと生々しい感じがするキリストの磔刑図。
十字架の上の「INRI」という文字は「ユダヤの王」を表しており、
自ら王を名乗ったという罪が書かれております。右下では、
兵士達がキリストの着衣を巡って醜い争いを繰り広げているようです。
「ベルナールト・ファン・オルレイ作 1515-20年」
キリストの十字架は十字をしているという印象がありますが、
絵画を見てみるとT字をしているものが結構あります。
T字型は初期の時代に採用されて描かれていましたが、後年になって
十字(ラテン型)に取って代わられていったようです。
「アントネロ・ダ・メッシーナ作 1475年」
こちらは十字架の形をしていますね。足元にはマリアとヨハネ(?)と
思われる人物のみが描かれています。それにしても、囚人二人の
格好がとんでもない事になっていますね・・・。
「Antonio Gonzalez Velazquez 作 1723-93年」
ベラスケスという名字ですが、有名な画家とは別人となります。
こちらは物語としてではなく、象徴として磔刑図が描かれていますね。
頭上には神や天使、足元には聖人や悪魔を踏む天使ミカエル様が
描かれ、賑やかな感じになっております。
「ピーテル・ブリューゲル(子)作 1615年」
ちっちゃ!これは磔刑図というより、磔刑の場の風景画状態ですね。
ブリューゲル親子は宗教であれ神話であれ、このようなタイプの
絵画を幾つか残しています。
「レンブラント・ファン・レイン作 1606-69年」
レンブラントもブリューゲルに感化され、このような風景画風の作品
を残しています。そして、よーく上の作品と見比べてみてください。
若干背景は異なりますが、ブリューゲルの作品の近景に立った
人の視点で描かれているのです。
「エル・グレコ作 1596-1600年」
うねるような独特のタッチと高い等身が魅力のエル・グレコは
何枚かの磔刑図を残しています。高さが3m12cmある作品のようで、
前に立ったらかなりの迫力がありそうですね。
「ウジェーヌ・ドラクロワ作 1853年」
ドラクロワの磔刑図は形式にのっとりながらも、構図的に異なった
風に描いていますね。キリストの死の間際、暗雲が立ち込めて暗く
なっていく雰囲気が出ております。
「オディロン・ルドン作 1840-1916年」
無意識を表現する画家ルドンは構図的に複雑な物を排し、象徴的な
磔刑図を描いていますね。キリストの足元にある赤と黄の色彩の
爆発はルドン自身の葛藤や苦悩を表しているのでしょうか。
キリストの死後、死を確認する為に兵士が脇腹を突き刺した槍は「ロンギヌスの槍」と呼ばれ、様々な伝説が生まれています。兵士の名のロンギヌスさんから由来しており、彼は白内障でありましたが、キリストの血を目に受けて視力が戻った為に、キリスト教に改宗したそうです。
エルサレムがペルシャに占領された際、ロンギヌスの槍はコンスタンティノープルに移動していったと考えられています。その後、先端部のみがフランスへと渡り行方不明となり、本体はオスマン帝国からイタリアへと渡り、現在サン・ピエトロ大聖堂にて保管されているようです。ただ、それは「ローマの聖槍」と呼ばれており、その他にもロンギヌスの槍とされる聖遺物は幾つも存在します。2000年前以上に生きた伝説の人物を刺した槍が、現代に残っているなんて普通に考えたら無謀のように思えますが、それが存在すると考えて追い求めるのがロマンですよね。
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