バウキスとピレーモーンはギリシャ神話に登場する、善人の老夫婦です。
ある日、ゼウスとヘルメスは貧しい身なりの人間に変装してフリギア(トルコ中部)を旅していました。夜になると彼等は近くの家の戸を叩き、一晩泊めてくれるよう頼もうとしましたが、不親切にも戸を開けてくれません。やっとの事で二人は迎えてくれる所を発見します。そこはボロボロの家で、貧しい老夫婦が住んでいました。彼等は二人を歓迎し、暖かい火を起こして質素ながらも精一杯のもてなしを行いました。
食事中、夫婦はある事に気付きました。なんと自然と酒瓶から酒が湧き出ているのです。眼前の者達が神である事を知ると、二人は貧しいもてなしを詫び、守り神のようにして飼っていたガチョウを供物にしようとしました。しかし、ゼウスはそれを止めて「私達はこれからこの村に罰を与える。お前達だけは助けるから、共に来るがよい」と言いました。夫婦は直ぐにそれに従い、神々と一緒に険しい坂道を上ってゆきました。
そして夫婦が頂上へ着いた時、村はすっかり湖に沈んでしまい、彼等の家だけが残っているだけでした。二人が驚いていると、その家は豪華な神殿へと変貌していったのです。「徳の高い夫婦よ。望みの物を言ってみるがいい」というゼウスの問いに対し、二人は「この神殿の祭司とさせていただき、この世を去る時は同時に逝くようにしてください」と頼みました。この願いは聞き届けられ、年月が過ぎて夫婦がすっかり年老いると、二人の身体は同時に樹木に変化していきました。オークと菩提樹の木はいつまでも神殿に残っているとされています。
親切な者は救われる。バウキスとピレーモーンの絵画14点をご覧ください。
「ウォルター・クレイン作 書籍の挿絵より 1983年」
貧しい旅人に変装して各地を旅するゼウスとヘルメス。夜になって
宿を探すも、何処の家も固く戸を閉ざしています。この作品だと
子供と犬にめちゃ虐められていますねwヘルメスのパンチラが・・・!
「ヤーコブ・ヨルダーンス作 1593 – 1678年」
唯一、ボロボロの家に住む老夫婦が宿を提供してくれました。
暖かい食事や身体を洗う為の湯や寝台が準備され、貧しいながらも
かいがいしくもてなしてくれました。
「ヤーコブ・ヨルダーンス作 1593 – 1678年」
ヨルダーンスさん二枚目。どの絵画もそうですが、ゼウスとヘルメス
全く人間に変装する気がありませんね。ほぼ全裸の姿で現れた
客人を、もてなしてくれるご夫婦凄すぎます。
「ヨハン・カール・ロス作 1659-62年」
日頃のストレスが溜まっているのか、ヘルメスがゼウスに「そもそも
見境なく女に手を出そうとするからいけないんですよ」と言って、
口喧嘩が始まっているようです。←違うと思いますw
そんな事が起こったら老夫婦困っちゃいますよね・・・。
「アンドレア・アッピアーニの工房作 19世紀頃」
ギリシャ彫刻を見て描きました!と言わんばかりのゼウスと
ヘルメスの姿ですね。肉体凄すぎですって・・・。
何気にお婆さんの風格が神並みにある。
「ウォルター・クレイン作 書籍の挿絵より 1983年」
お食事中、お酒を注いでも注いでもなくならず、むしろ増えている事に
気付いた老夫婦は、接待をしている相手が神だと言う事を知ります。
このお婆さんはびっくりする余り酒を零しまくっていますね。
しょうがないな~とニヤリと笑うヘルメスが個人的にツボww
「Antonio Zanchi の追随者作 18世紀頃」
あらま~気付かれちゃいました。と言った感じのヘルメスに、
お前のせいだぞ!という風のゼウス。また喧嘩気味のようですw
老夫婦は恐縮しており、お婆さんは結構な剣幕でガチョウを
捕獲しようとしています。
「ジェイコブ・バン・オースト(父)作 1603-71年」
守り神的なガチョウを供物にしようと、老夫婦は頑張って追いかけ
ますが、逃げ回ってしまいます。絵画だとガチョウを捕まえようと
するのはかなりの確率でお婆さんです。鳥を絞めて羽をむしって
料理をする所まで女性がやっていたのでしょうかね・・・。
「ダフィット・リッケール3世作 1612-61年」
ゼウスはガチョウを絞める事を制し、「我々は今から不誠実な村に
罰を与える。お前達は救われるから、儂等と共に来い」と伝えます。
ヘルメス寛ぎまくってるし、よく見るとお婆さんナイフ持ってます。
「Nicolas Auguste Hesse 作 1818年」
「村を滅ぼすから我らについて来い!」というゼウス達に、ただただ
恐縮して頭を垂れるご夫婦。素朴で牧歌的な二人から見たら、
「ひいぃー!?」な展開ですよね。それよりも、どうしても
お尻に目が行ってしまう・・・^^;
「ピーテル・パウル・ルーベンス作 1620年」
険しい道を登り、夫婦は神と共に山頂へと向かいます。
頂上へと着いた時には、村はすっかり湖に呑み込まれていました。
自分達の家を除いて。夫婦が隣人達に起きた不幸を悲しんでいると、
彼等の家は立派な神殿に変わってゆきました。
「オレスト・キプレンスキー作 1782-36年」
「お前達の望みは何か?」というゼウスの問いに、夫婦は「神殿を
見守る事と、天へ召される時は二人同時にしてください」と願いました。
これぞ真実の愛ですね・・・。
「Giulio Carpioni 作 1613-78年」
ゼウスとヘルメスはその願いを聞き入れ、去っていきます。
あれ、ちゃっかりガチョウもらってない?お土産!?
「アーサー・ラッカム作 1867-1939年」
年月が過ぎ、神殿の中で二人はすっかりと年老いました。ある日、
お互いの身体が樹木へと変わっていったのです。最期の時を悟った
夫婦は、別れを惜しみながら口が聞けるまで会話をしました。
そうして彼等はオークと菩提樹の姿へと変わったのでした。
夜更けにピンポーンとチャイムが鳴り、あなたは玄関へ行って扉を開けます。こんな遅くに誰だろうと思いながら。そこに立っていたのは、偉そうな爺さんと翼の付いた帽子を被った青年。爺さんは「一夜だけ家に泊めてくれ」と頼んできました。さて、あなたはどうしますか?
私だったら間違いなく断ります^^; 夜更けに男二人が来て「泊めてくれ」とか怪しすぎますって!怖すぎる!現代日本と神話の物語を比較するのはあれですが、知らない人をいきなり家に入れて泊めてあげる人は極少なのではないでしょうか。
しかし、古代や中世の人は旅人を家に泊めるのがセオリーであったようで、ゼウスとヘルメスの物語だけではなく、北欧神話のオーディンも「訪ねて来た旅人は快く迎えてやれ」と箴言を残しています。(オーディン自身も放浪癖があり、よく人間に化けて訪問していました) 土地の開拓が充分にできておらず、旅人が多かった時代ならではの箴言なのかもしれませんね。
もしかしたら、今夜あなたの家に老人と青年が訪問するかもしれませんよ・・・。
【 コメント 】
>> 季節風様へ
こんばんは^^
時代の移り変わりですね。
現代は古代より平和になりましたが、見知らぬ人を泊めるのは危険という意識で拒絶するようになってしまいました。
旅人にも親切にできるくらい平和な世の中になったらいいですよね。
神話にはガチョウの行方は書かれていませんが、家は立派な神殿になったし、夫婦が「供物にします」と宣言したし、恐らく新築祝い(?)にガチョウは神に貰われていったのではないでしょうか。
二人は夫婦の鑑ですよね。
神に「願いは何か」と聞かれ、あのように答えられる人は凄いです。
欲にまみれた私は「一生のんびり暮らしたいです」なんて愚かな願いを言っちゃうかも…^^;
(そもそも家に泊めるのを拒否って水に沈むパターン)
見知らぬ人を止めるなんて危険すぎますが神話や民話では神様は貧しい格好をして人間を試すようなことをなさいますね。
「Giulio Carpioni 」作。この老夫婦の守り神のガチョウが生きていたのは安心しましたが、結局はゼウスとヘルメスに食べられるんでしょうか。
老夫婦が恩返しとして神殿を見守り、最期は仲良く樹になったことは感動します。
>> 美術を愛する人様へ
こんばんは^^
うっ…確かにヘルメスが一緒だと、イケメン&お尻パワーで心が揺らいでしまいそうです…!でも、目のやり場に困って歓待ができませんw(ノωノ)
>> 美術を愛する人様へ
こんばんは^^
喜んでいただけて嬉しいです!
私もこの物語を始めて知った時、ほっこりとしました。
ゼウス様の登場にしては色恋もなく、素敵な純愛ですよね。
お肉&野菜にチーズにオリーブ。現代で考えてもバランスがよくて、美味しそうな食事ですね。素朴で美味しい食事。
日本で言えば、ご飯と焼き鮭と味噌汁って感じなのかな^^
>> ケーリュケイオンでバレますなw様へ
こんばんは^^
一般人にするにしては怪しすぎる杖を所持してますよねw
確かにパリスはヘレネをさらっただけではなく、主人の歓待を裏切ったという二重の罪がありますね。
パリスの審判でヴィーナスの褒美を受けたとはいえ、それが原因で国が滅んでしまったのだから、ヘクトル兄さん泣いちゃいます(:_;)
誘惑して寝首を掻いたり、誘惑して頭を丸坊主にしたり、味方と見せかけて金槌で頭に釘を打ち付けたり…。ユダヤの女性は怖い事をしますw
とっても面白い神話ですね…!!
ゼウスさんだけだと断ってしまいそうだけど、あんな魅力的なお尻の青年が一緒だとついつい家に入れてしまいそう、、(笑)
この話はギリシア神話の中で一番好きなのですが絵画としては見たことがなく嬉しい記事でした。女性に理不尽な話が多いギリシア神話の中でこの老夫婦の絆はホッとします。
昔読んだ本では塩漬け肉と菜っ葉の煮込みにチーズとオリーブを供する描写があって、大雑把なイーリアスの焼き肉描写よりよほどおいしそうだなと思ったのを覚えています。
ギリシャ神話では、お客は丁重にもてなすのが礼儀らしいですね。
たしか『イーリアス』でも、敵陣を訪れたりするシーンでは敵とは思えないような歓待があったような……
主客の礼儀という点で、逆に客であったのに主人を裏切ったパリスの罪は重い……ともいえるようで。
ダメなのですかね、ユダヤの英雄みたいに、「よく来たなあ、飲め飲め」という心優しい敵将の寝首を掻いたりしちゃ←