新約聖書のマルコの福音書によると、イエス・キリストはヨハネから洗礼を受けたのち、霊の力によって荒野へと送り出されました。そこで40日間断食をしたのち、悪魔(サタン)の誘惑を受けます。キリストは三つの誘惑を見事跳ね除け、悪魔は悔しがりながら退散していきました。その後、救世主は天使達から奉仕を受けたとされています。
悪魔による誘惑を受けるキリストのシーンは印象的で、多くの画家に描かれておりますが、その一方で天使に奉仕を受けているキリストの作品も数多く存在します。40日間断食をして飢えているキリストの為に、天使が数多くの飲み物や食べ物でおもてなしをしているのです。
では、天使の奉仕を受けているキリストの絵画13点をご覧ください。
「サンドロ・ボッティチェリ作 1481-82年」
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画に描かれている連作の
中の一つ。題名は「キリストの試練とライ病者の清め」。
手前には病に苦しむ人々を癒す光景が、奥にはキリストの試練が
描き込まれています。
「右上の部分のアップ」
誘惑に敗れたサタンが落ちる間もなく、天使さん達が楽し気に
ご飯の準備をしています。気が早すぎるって!
「イタリアのフィレンツェの画家作 16世紀頃」
洞窟にテーブルを設置し、お魚やフルーツなどでおもてなしをする
天使達。右上にはぴゅーんと逃げ去るサタンがいますね。
足元には生命や復活、豊穣の象徴である兎がいます。
「Giulio Carpioni の追随者作 1613–79年」
木に布を掛けて簡易的な壁にし、テーブルを設けていそいそと食事を
運ぶ天使達。きっとお皿やご飯も御心パワーで出現させています。
食べてもなくならないような気がします。
「ジャックス・ステラ作 1635-40年」
天を見上げて神に祈っているキリストの元へやってきた4名の
天使達。パンと果物を贈呈です。花びららしきものを上から
ひらひら~と振りかけていますね。
「ジャックス・ステラ作 1650年」
ステラさん二枚目。天使さん達が大勢増え、画面がだいぶ賑やかに
なりました。上から花びらっぽいものをひらひら~とさせるのは
同様ですね。こだわりがあったのでしょうか。
「ルドヴィコ・カラッチ作 1608年」
イエス様お疲れ様でした!と荒野に大量の天使が押し寄せています。
お召し物、飲み物、食べ物と次々と運ばれていますね。このままの
勢いで一戸建てが建っちゃいそうです(笑)
「フランシスコ・パチェーコ作 1616年」
ディエゴ・ベラスケスの師匠(義父)の作品。テーブルの部分を
ベラスケスが描いたという話もあります。荒野に置かれた立派な
白い布テーブル。左側には麗しの音を奏でる楽団も来ています。
「ジェローム・ザビエル神父が指揮したインド北部の祭壇画 1602-4年」
キリストはそこまで変化ありませんが、天使さん達がとても
異国情緒溢れるお姿をしていますね。ジェロームさんはあの
フランシスコ・ザビエルの甥との事です。親戚そろってイエズス会で
インドや日本などの異国へ布教していたなんて凄いですね。
「シャルル・ド・ラ・フォッス作 1685-95年」
17世紀後半になると、立派なテーブルを置くのは変かな?という
風潮となったのか、岩をテーブル代わりにしたりお盆を捧げ
たりする作品が目立ちますね。大きいお盆にご飯がこんもりです。
「シャルル・ルブラン作 1653年」
イエス様、ただいまお持ちしましたー!と一人の天使がお盆一杯に
果物を持っています。可愛らしい天使さん達が赤い布を木々に
巻いており、クリスマスパーティみたいになっていますね^^
「トマス・コール作 1843年」
19世紀に入ると作風は変わり、天使の奉仕は静かなものに変化
しています。二人の天使がキリストをいたわり、果物を捧げている
ようです。
「ジョージ・ヘイター作 1849年」
と思ったら、こちらの作品はおびただしい数の天使さん達が
やって来てしまったようですw
キリストもそのあまりの数に驚きの表情を。←違
悪魔が仕掛けた三つの誘惑と、キリストの返答はこうです。
「お前が神の子なら石をパンに変えてみせろ!」「いいや。力を使うのは誤りだ」
「私にひれ伏すなら国々をお前にあげよう」「いいや。私は神にしか仕えない」
「神の子を証明する為に崖から飛び降りてみろ。天使が助けてくれるのだろう?」「いいや。神を試してはいけない」
これらを否定して、悪魔を見事撃退しました。その後、キリストは天使達から致せり尽くせりの奉仕を受けるのですが・・・。心の狭い私は「神の力を使ってはならないと言ったけど、天使さん達大量に来ているよなぁ。これは神のパワーじゃないのかなぁ・・・」と思ってしまいました^^;
あれですね。キリストから「助けてー!ご飯ちょうだいー!」と言ったわけではなく、神から「イエスは悪魔に対してよくやったから、天使たちよ奉仕してきなさい」ってなったからOKなんですねきっと。全ては神の御心のまにまにですね。
→ キリストの誘惑(荒野のキリスト)についての絵画を見たい方はこちら
→ フランシスコ・ザビエルについての絵画を見たい方はこちら
【 コメント 】
>> 季節風様へ
こんばんは^^
テーブル(岩)で食卓を囲む作品が多い中、地べたに座って休むインド風のイエス様は目立ちますよね。
「イエス様、お香をお焚きします」「イエス様、お茶をお飲みください」「イエス様、マッサージをします」と天使達は東洋風のおもてなしをしていそうです。
私達から見たら、そちらの方が疲れがとれて癒されそうですね^^
こんばんは。
どの作品もキリストに「お疲れ様です」と讃えているようですね。特にザビエル神父のインド風のが、疲れたキリストがリラックスできそうな気がします。地べたではなく畳カーペットを敷いて天使たちの衣を振袖みたいに変えて「おもてなし」してもいいと思います。
>> 美術を愛する人様へ
こんばんは^^
そうなんですか!
では、十一面観音や千手観音、ブラフマーやカーリーなどは比較的古くない神仏であったり、古くは顔や手が少ない感じだったのでしょうか。
宗教が普及していくと「私も助けて」「僕も!」「私だって!」と信仰者が増え、人々の思想や悲痛な願いがつみ重なっていき、その分救済するには神仏の顔や手を増やしたり、天使を総動員したりして対応しなきゃいけなくなるんですね^^;
仏教やヒンドゥーの神仏とかも時代が下るにつれ顔や手がいっぱい生えてきた
宗教が発展して爛熟期に入るとゴテゴテして派手になるのは世界共通だね
>> 美術を愛する人様へ
こんばんは^^
天使は時代や人々のイメージによって姿形が変化しますよね。
少しだけ調べた知識によると、1世紀頃のキリスト教の天使には羽はなかったそうです。4世紀頃にギリシャ神話の影響を受けて天使に羽が描かれるようになり、様々な羽の形や色が生まれて現在に至るそう。(正しいかは分かりません)
これらの天使さんを見てみると、ルネサンスからバロックの移行の時に羽が白になっているような気がします。
近代だと羽が描かれない作品があるのは、原点の回帰なのかしら?
今は白で定着していますが、もしかしたら100年程経ったらまた羽色が変化しているかもしれませんね^^
今だと天使の羽って白色のイメージですけど昔は結構カラフルだったり実在の鳥さんの羽みたいな色合いだったりしますね
>> テーマ違い様へ
こんばんは^^
他の作品のキリストは元気にしていますが、最後のジョージさんの作品はグロッキー状態(?)になっているので、悪魔にやられた聖アントニウスを彷彿とさせるのかもしれませんね。
天使の取り巻き方も尋常じゃないですし…^^;
た、確かに腕を振った天使さんが、Massimo Stanzione さん作の皮むきアポロンに少し通じるものがあるような気がする!
崖っぷちのこんな状態でいじめられたら、マルシュアスが皮むきの痛さよりも恐怖によるショックで絶命してしまう。アポロンとミューズ、鬼畜なり…。
(聖書から話しが変わってるw)
>> テーマ違い様へ
こんばんは^^
他の作品のキリストは元気にしていますが、最後のジョージさんの作品はグロッキー状態(?)になっているので、悪魔にやられた聖アントニウスを彷彿とさせるのかもしれませんね。
天使の取り巻き方も尋常じゃないですし…^^;
た、確かに腕を振った天使さんが、Massimo Stanzione さん作の皮むきアポロンに少し通じるものがあるような気がする!
崖っぷちのこんな状態でいじめられたら、マルシュアスが皮むきの痛さよりも恐怖によるショックで絶命してしまう。アポロンとミューズ、鬼畜なり…。
(聖書から話しが変わってるw)
おお……
私も最後の絵を見て、聖アントニウスのほうを思ってしまった……^^;
もしくは、マルシュアスをいじめるアポロンとミューズたち……
(左腕を大きく振りかぶっているのが、アポロン)
>> 美術を愛する人様へ
こんばんは^^
天使さん達がなんだか所帯じみた風に感じられる作品もありますよね。
聖アントニウスも悪魔の誘惑や攻撃を凌いだのに、神様と天使はご飯をあげなかったのでしょうかね…。
私だったら「うわー(汗)」って天使さん達の数に圧倒されて、緊張でご飯が喉を通らないかもしれません。
「ありがとうございます」って言って、タッパーやジップロックにご飯を入れて持ち帰ります(笑)
こんなテーマの絵画があること自体、今回初めて知りました。
何だか神聖な場面というよりは、聖アントニウスの誘惑の方を思い出します。
自分なら悪魔だろうが天使だろうが、わざわざご飯を準備してくれたら喜んで食べてしまいそうですが。
残したらもったいない気がしますし。