ラオコーンの作品13点。彫刻で有名となった、トロイ戦争で蛇に絞め殺された神官 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ラオコーンの作品13点。彫刻で有名となった、トロイ戦争で蛇に絞め殺された神官

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Pieter Claesz Soutman 1601-57 -

 ラオコーンはギリシャ神話に登場するトロイの神官です。
 パリスがスパルタの妃ヘレネを誘拐したことにより始まった、ギリシャ連合軍VSトロイの戦争は泥沼状態となり、10年間続きました。そしてある日、トロイ勢は敵が撤退し、巨大な木馬が残されているのを発見しました。近くにはシノンという兵がいて拷問したところ、「私はオデュッセウスらに置きざりにされてしまった。我等は女神アテネの怒りを鎮めるためにこれを作った。これが城内に入るとギリシャ側が負けると予言に出たから、入れさせないよう巨大に作ったのだ・・・」と彼は白状しました。それを聞いてトロイ勢は大喜びし、早速木馬を城内に入れようとしました。

 しかし、待ったをかけたのがアポロン神殿の神官ラオコーン。彼は人々に「奸計ですぞ!」といさめ、槍を木馬に突き刺したのです。すると木馬から不気味なうめき声が上がりました。しかし、この行為はアテネの怒りを買ってしまい、女神は巨大な海蛇を呼び寄せました。海の怪物はラオコーンの二人の息子目がけて進み、毒牙にかけました。ラオコーンは叫んで反抗しようとしますが、瞬く間に身体に絡みつかれ、絞め殺されてしまったのです。この悲惨な情景を見て、人々は木馬をいち早く入城させようと考えました。こうして木馬は城内へと入り、トロイは一夜にして陥落してしまったのでした。
 神話におけるラオコーンの絵画と、有名なラオコーン像に関わる作品13点をご覧ください。

 


「Vatican Vergil という名の彩色写本  年代不明」
両腕を広げて赤マントをつけた、スーパーマンめいたラオコーン。
新生児のような息子達が父親にしがみつき、彼等の胴体に蛇が
巻き付いています。左側は神殿でしょうか。
Death of Laocoön from the Vatican Vergil

「イタリアのウルビーノで描かれた陶器の作品  1530-45年」
モノトーンのグリザイユで描かれた作品。右腕はとれちゃった!?と
一瞬思ったのですが、よく見たら背後で蛇がくわえているようです。
→ グリザイユについての絵画を見たい方はこちら
 1530-45

「テ離宮のフレスコ画  1524-34年」 
棍棒を片手に反撃をしようとするお父さん。ヘラクレスのように逞しい
お姿ですが、頑張りは虚しく息子ともどもやられてしまいます。
頭上から現れているのはアポロン。罰を与えたのはアテネではなく
アポロンという説もあるのです。(神殿内で不祥事をしたとのこと・・・)
1524-34  fresco  Palazzo del Ti   Guilio Romano

フォティス・コントグルー作  1938年」
近代のフレスコ画家が描いたラオコーン。
断崖の中、ちょっと可愛らしいサイズの蛇にやられています。
 Kontoglou  Laocoon 1938

「Antonio(?)作  1812年」
「助けて」と抱きつく息子を助けようと、必死な感じの父。もう一人の
息子は既に息絶えているようです。左側ではトロイの人々が
「アテネ神の災いだ!」と怯える様子が描かれています。
Laocoon  Antonio De Antoni, 1812

ピーテル・サウトマン作  1601-57年」
息子二人は腰布をしているのに、ラオコーンは上手に(?)蛇で隠して
います。胸をがぶりされている感じが痛そうです・・・。
Pieter Claesz Soutman 1601-57

フランチェスコ・アイエツ作  1812-68年」
しっかりと洋服を着ている珍しいラオコーン。役職は神官なのだから、
本来なら服を着ていないと変ですよね・・・。絵画ミステリーの一つです。
右上には木馬が描かれ、城門へと既に搬入が始まっているようです。
Francesco Hayez 1812-68

「アゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロス作  ラオコーン像」
古代ギリシアで作られたこの大理石像は、1506年1月に発掘され、
ルネサンス開花の一助となりました。ミケランジェロはこの作品から
大いに学んだそうです。この見事な作品が紀元前に作られたなんて
思えませんよね。
アゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロス

アレッサンドロ・アローリ作  1550年」
ラオコーン像を模写して色を付けた作品。16世紀に、腕を伸ばした
この絵画の姿に修復されました。しかし、このポーズは誤りだった為、
20世紀に今の状態に戻ったそうです。ラオコーンの表情にしょんぼりさが
何とも言えない・・・。
Alessandro Allori, Laocoon   1550

「Louis Ducros & Giovanni Volpato 作  1787-92年」
ヴァチカン美術館に置かれた像は、鑑賞作品として絵画に登場しています。
当時はこのような感じに展示されていたのですね。
Louis DUCROS  and Giovanni VOLPATO 1787-92

「Jean de Gourmont  作  1506年以降」
って、このラオコーン像のポーズが違いすぎやしませんか!?
像を下敷きにして、自分なりに変更を加えた作品なのでしょうか。
背景は廃墟となったコロッセウムや神殿っぽい柱など、古代ローマを
思わせるモチーフが配置されています。
Jean de Gourmont  1506

「Marco Dente 作  1506年以降」
こちらは違う方の作品ですが、似たような感じの構成になっております。
両腕を広げたラオコーンは「ヘルプミー!」と叫んでいるかのようです。
左の建物はパンテオン神殿に見えますが・・・いかに?
Marco Dente  1506 after

「ティツィアーノ作  1545年」
ラオコーンブームとも言える雰囲気に対し、巨匠ティツィアーノは
「どいつもこいつもこの作品を猿真似のように摸倣して!」と思ったようで、
このような風刺画を残しています。
ティツィアーノの風刺画は初めて見たので、新鮮です。Monkey Laocoön and His Sons by Titian 1545

 神の天罰を受けて蛇に殺されたラオコーンは、物語上においては有名ではない部類に入ると思うのですが、古代ギリシャでこんなに立派な像が作られるなら知名度は結構あったのでしょう。ルネサンス時代にこの大理石像が発掘されて沸いたことにより、16世紀の作品が特に多いです。エル・グレコも同作品を描いています。(トロイ戦争の記事参照) 中世の抽象的な作品から脱却しだした彼等にとっては、ラオコーン像はさぞかし肉感的でリアルで迫真性に満ちて見えたことでしょう。
 しかし、ティツィアーノのように古代ギリシャを崇拝する風潮に異を唱える者も少なからずおり、筋肉が大好きでミケランジェロを尊敬していたウィリアム・ブレイクも「古代ギリシャの摸倣は害である」と言っていたそう。ただ真似をするのではなく、いかに作品を咀嚼して吸収して自分の画風にするかが大切である、と伝えたかったのかもしれませんね。

→ トロイ戦争についての絵画を見たい方はこちら
→ トロイの木馬についての絵画を見たい方はこちら


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