セミラミスは紀元前800年頃に生きたとされる、メソポタミア北部のアッシリアの伝説の女王です。
シケリアのディオドロス著の「歴史叢書」によると、セミラミスの母親はアフロディテ(ヴィーナス)の怒りを買い、若き信者に情愛を抱く呪いをかけられました。母はその時に身籠った赤子をシリアの砂漠に放置し、湖へと身を投げました。砂漠に残された幼いセミラミスは、鳩が運んできたミルクやチーズを食べて生き延びます。やがて発見されたセミラミスは羊飼いによって育てられ、シリア総督のオンネスの元へ嫁ぎます。二人はニネヴェで暮らし、二児をもうけました。
その後、アッシリア王のニヌスはバクトリア国へと攻めました。夫のオンネスも参加しましたが、包囲戦が長引いたので妻が恋しくなり、彼はセミラミスを陣営へと呼び寄せました。知己に長けた彼女は戦地の状況を見てとるや、兵に指示を出して戦争を勝利に導いてしまいます。彼女の才色兼備に驚いた王は、オンネスに「娘をあげるから、お前の妻をよこせ。さもなくば目玉をえぐるぞ」と脅しました。妻を愛していたオンネスは狂気に陥り、首を吊って自害してしまったそう・・・。王はセミラミスを妻として迎い入れ、一男を得た後に命を終えました。かくしてセミラミスはアッシリアの女王となったのです。
彼女はニヌス王を越えると言う野心を抱いて都市バビロニアを建設させ、他地域にもインフラを整備させました。領土拡大を目論んだ彼女は最大の国という噂のインドへの遠征を計画し、三年かけて国力の増強に努めます。こうしてアッシリアとインドの激しい戦争が起こりました。始めこそはアッシリアの優勢となりましたが、セミラミスの奸計に気付いたインド側が勢力を盛り返し、追い返されてしまいます。兵の三分の二を失い、セミラミスは国へと帰らざるを得ませんでした。
セミラミスはかつて「息子が彼女に陰謀を企てるときが最期となる」という予言を受けていました。この時、息子ニニュアスが宦官を使って陰謀を図ったのです。セミラミスは命こそ助かったものの、そのまま姿を消してしまったとされています。
では、優れた知恵を発揮した女王セミラミスの絵画13点をご覧ください。
「フランツ・カーシグ作 1755-1828年」
母親に放置されたか弱き赤子。そのままでは餓死してしまい
ますが、鳩が食べ物を運んで来た為に生き延びることができました。
「Ernest Wallcousins 作 1915年」
赤ちゃんを発見する現地の人。王室の羊飼いの元で育てられる
事となり、彼女はセミラミス(シリア語で鳩の意)と名付けられました。
美しく成長したセミラミスはシリア総督のオンネスの元へ嫁ぎます。
「グイド・レーニ作 1625年」
また違う伝承によると、セミラミスは美しい娼婦から、王の妻となり
ました。彼女は王に「5日間だけ王位をちょうだい」と説得し、
王位を得るやいなや周囲を丸め込み、二日目には夫を牢屋に
ぶちこんでしまいます。そのままセミラミスは女王となりました。
「ペルーのクスコの工房作 17世紀」
ライオン狩りをするセミラミスの作品。シリアにはかつてライオンが
生息していたので、捕まえて戦闘の腕を磨いていたのかもしれ
ません。馬に乗って弓を射る技は、並大抵の技術じゃないですよね。
「ピエトロ・ダ・コルトーナ作 1596–1669年」
ある逸話によると、セミラミスが髪の手入れをしている最中に反乱の
情報が入りました。彼女は髪の半分を結わずにすぐに出撃し、
街を包囲したそうです。髪は鎮圧が終わるまでそのままであったとか。
「Padovanino 作 1588-1649年」
この「戦争で髪は結わぬ」ストーリーは印象に残ったようで、
多くの画家が作品を描いています。半分三つ編みの時に兵士から
一報が。まだおめかし気味ですが、すぐに戦闘モードになるのでしょう。
「グエルチーノ作 1645年」
髪を櫛ですいてもらっている時に、「反乱だー!」というお知らせが
来ています。机には王冠が置かれていますね。そのすぐ上には
手のようなものが描かれた心霊かと思いきや、鏡でしたw
「ルカ・ジョルダーノ作 1652年」
侍女と思われる老女が「王女たるもの身だしなみをきちんとせねば」
と訴えているようですが、セミラミスは「私は剣を握る王女よ」と
兵士の剣を示しています。
「アドリアーン・バッケル作 1669年」
少し寛いでいるように見えるセミラミスさん。
「バビロニアでの反乱ですって?しょうがないわね~。髪を半分
結わえてから出るわ。あとちょっと」と言っていたりしてw ←ぇ
「Matteo Rosselli 作 1578-1650年」
こちらは兜を被るのももどかしく、剣を握り締めて走り出そうと
しているセミラミスさん。この迅速さは王女の鑑ですね。
それにしてもドレスのまま戦うのかな?違うよね・・・。
「クリスチャン・コーラー作 1852年」
こちらも差し出された剣を握り、腰を上げている王女。
西洋チックな作品が多い中、この作品はアッシリアの
オリエンタル感がどことなく出ていますね。
「ルカ・ジョルダーノ作 1634-1705年」
戦争に繰り出したセミラミス女王。自ら先陣に立ち、指揮を執って
います。インドでの戦いで彼女は矢で負傷しているので、躊躇なく
戦乱へ飛び込んでいったと思われます。勇ましい・・・。
「Cesare Saccaggi 作 1868-1934年」
豹を従え、スケスケセクシーな服を着たセミラミス。彼女は好色で
非道という説もあるので、ファム・ファタールとされる場合もある
のでしょう。背後には王権を象徴するスフィンクスの壁画がありますね。
大都市を築き上げて他地域を征服し、長年アッシリアに君臨し続けた女王セミラミス。息子ニニュアスが謀反を企てた時に静かに姿を消す賢王とされる一方、上記の作品のように男を食い物にし、残虐で危険な女王と考えられている説もあります。
セミラミスは従軍した者の中からイケメンの兵士を選んで行為に及び、後にその者を殺したとされています。また、オロシウスの「歴史」によると、セミラミスは激しい色欲と残虐さを持つ君主であり、彼女の治世中は絶え間ない不節制と殺人が続き、遂には息子との間の近親相姦が露見しました。そこでセミラミスは、誰もが親子の間であっても自由に結婚できるように法令を出したとされています。なんというか、もしこれが本当なら恐ろしい女王様ですよね・・・^^;
紀元前800年の時代の事は誰にも分かりません。個人的にはセミラミスさんはそんな非道な女王であって欲しくないです。いずれにせよ、男顔負けの武勇と知性を誇った、勇猛果敢な女傑であった事は事実のように私は思います。
【 コメント 】
>> ファムファタルって……様へ
こんばんは^^
ですよね。昔から男性が抱いていた女性への恐怖、魅力、不信、畏怖などが混ぜ合わされ、サロメやユディト、クレオパトラやこのセミラミス女王、キルケやメディアなどの強く恐い伝説が生まれ、後世にファムファタールとして概念化されていった。
アリストテレスもそうですし、キリスト教の神学者も偏見を持った人がかなり多いですよね。
トマス・アクィナスが偏見の塊の文章を書いていたことを知り、地味に悲しかった記憶があります^^;
働かない雄蜂…。現代のSNSで議員が呟こうものなら、大炎上しそうな比喩ですねw
ギリシャ神話は確かに地母神由来の女神様も沢山いますが、内容は男性目線そのもののような気が私もします。
神話を伝え記述した人が、男性だったから仕方ないと言えばそうなのですが…。
魔性と神秘は表裏一体だと私は思っています。
ジャンヌ・ダルクは魔女とされてしまいましたが、聖女として返り咲きました。
セミラミスも賢王と悪王の二つの顔を持っているので、男性は女性にそのような二面性をイメージするのかな…と思います。
「カルメン」は小説でも言及されていましたね^^
心変わりの悲哀…。
ファムファタルって、世紀末の産物みたいに思われるかもしれないけれど、実は昔っから男たちの心の中には住み着いていたのですよね。
ヘシオドスの『神統記』に出てくるパンドラもそのひとりで、著者は人間の女性を働かない雄蜂に例えていました。比喩表現こそうまくて好きなのですが、差別というか偏見というか、そういうのがね……現代人の私たちからすると^^;
ギリシャ神話に女神さまが多く出てくるのって、もと母系社会の神をそのまま取り入れたからとか言われているけど、ホントは男性社会のギリシャだからこそだったんじゃないの、と勘ぐってしまいますw
まあ、異性に抱く神秘的なイメージとか畏怖の念というのは必ずしもマイナスばかりではない……と思いたいですけどね。
といいつつ、最近プロスペル・メリメの『カルメン』(ビゼーのオペラで有名)にハマってしまった私でしたw