悲劇の女王ジェーン・グレイの絵画13点。王権争いで9日目に廃位、後に処刑される | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

悲劇の女王ジェーン・グレイの絵画13点。王権争いで9日目に廃位、後に処刑される

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 ジェーン・グレイは1537年-54年に生きたイングランドの女王です。王権争いによって九日後に廃位させられ、その七か月後に処刑されてしまいました。その為、「九日間の女王」とも呼ばれています。
 政治家であるジョン・ダドリーは、自らの血統者を王位に継がせたいと考えていました。エドワード6世が重病にかかった為、好機とばかりに自分の息子ギルフォードを王の血統を継ぐジェーン・グレイと結婚させます。ジェーンは前王ヘンリー8世の妹の孫にあたります。エドワード6世が病死をすると、ジョン・ダドリーはジェーンの王位を宣言し、女王に仕立てあげるものの、王の姉にあたるメアリー1世(ブラッディ・メアリ)がサフォークで支持派を集め、ロンドンの枢密院が彼女を王女として認めました。ジェーン・グレイが女王でいられたのは、わずか九日間でした。

 女王から一転、反逆者の罪を被せられたジェーンと夫ギルフォードはロンドン塔へ幽閉されてしまいます。首謀者であるジョン・ダドリーは一か月後に処刑されましたが、メアリー1世は夫妻に恩赦を与える気でいました。しかし、メアリー1世がスペイン王フェリペ2世と結婚すると発表するや否や、民衆や政治界の間で猛烈な反対が起こりました。その混乱状態の最中、女王は一部の議員の説得を受け、ジェーンとギルフォードの処刑を決定するのです。それは王位の立場を危うんだ故の判断でしたが、二人にそのような気はありませんでした。廃位から7か月後の2月12日、ジェーン・グレイはわずか16歳、ギルフォードは19歳で処刑されてしまいました。
 悲劇の女王ジェーン・グレイの絵画13点をご覧ください。

 

「作者不詳  16世紀」
現代の感覚で言えば16歳は思春期で、綺麗なものや可愛いものが
好きな人が多い時期のように思いますが、ジェーン・グレイは非常に
落ち着いたドレスを着ていますね。10代の結婚が当たり前に行われて
いた当時では、16歳は一人前の大人とみなされていたのです。

「作者不詳  16-17世紀」
こちらはまだあどけなさが残る表情の肖像画。彼女はエドワード6世が
崩御する6週間前に夫ギルフォードと結婚をしました。ジェーンは始め
女王になるのを嫌がっていたそうですが、目には秘められた強い意志が
あるように感じられますね。

「Lucas de Heere 作  1584年」
フランドル調の清楚なイメージのジェーン・グレイ。ロンドン塔に幽閉
されている時の場面でしょうか。王の死後、王女に選出されたジェーン
でしたが、わずか9日目にてメアリー1世に王位を奪われてしまいます。

「フレデリック・リチャード・ピッカーズギル作  1820‐1900年」
ジェーンとギルフォードは別々に幽閉され、夫の父親であるジョン・ダドリー
は反逆罪で処刑されてしまいました。背後には馬に乗っている人々が
いますが、ジェーンは顔を背けるように本を見つめています。

「作者不詳  16世紀」
・・・ん?ジェーンさん、こ、こんな四角い頭しているんですか?
なかなか個性的な絵画ですね・・・。

「20世紀の本の挿絵」
ロンドン塔に閉じ込められはしたものの、メアリー1世は二人を赦す気で
いました。しかし、その七か月後・・・。

「Hendrik Jacobus Scholten 作  1824‐1907年」
メアリー1世はスペイン王との結婚の問題をめぐって、民衆の激しい
反乱にあい、自らの王位を危ぶみます。そして反乱分子を取り除こうと、
ジェーンとギルフォードの処刑を命じたのです。

「Henry Pierce Bone 作  1779-1855年」
ジョン・フェックナムはウエストミンスターの修道院長でした。
彼はロンドン塔に呼び寄せられ、ジェーンの懺悔の言葉を聞きました。
純白の衣服を着た彼女は手を合わせ、神に祈っているようです。背後の
おじさんは聖人の誰かでしょうか・・・?すみません分かりません。

「ウィリアム・フレデリック・イェームズ作  1835- 1918年」
ジェーンは目を虚ろにして、呆然と座り込んでいますね。
ギルフォードは処刑前日に妻との面会を希望しましたが、彼女は苦痛が
増すばかり、と考えて面会を拒否してしまいます。

「ポール・ドラローシュ作  1833年」
ジェーンを描いた中で一番有名な作品。2017年7月開催の「怖い絵展」
に出品されています。白い衣服と目隠しが彼女の潔白を象徴している
ようで、痛々しいです。登場人物の誰もが悲しみに沈んでいるようです。
足元のわらは、血飛沫を吸収する為に添えられたとか・・・。

「ポール・ドラローシュ作  19世紀前半」
ドラローシュは作品の下絵も描き残しています。下絵から本作はだいぶ
変更がなされているのが分かりますね。画家の作品に対する熱意が
伝わって来るようです。

「ジョージ・ホワイティング・フラッグ作  1835年」
ドラローシュの作品の二年後に描かれた絵画。ジェーンや執行人は
近いアングルで描かれています。息の詰まるような緊迫感というより、
悟りめいた静けさが伝わる作品ですね。

「George Cruikshank 作 書籍 Towers of London の挿絵  1840年」
その後、ジェーンと夫は一緒に礼拝堂へ葬られたそうです。
この理不尽な処刑は、メアリー1世の信用を大きく落とす結果となりました。
潔白だった二人の死は多くの人々の涙をさそうことになったのです。

 「怖い絵展」のメイン作品はドラローシュ作のジェーン・グレイの処刑であり、展覧会のキャッチフレーズは「どうして」という短い一言。どうして私は女王になったの?どうして私は塔に幽閉されたの?どうして私は処刑されるの?どうして・・・?
 夫の父親によって女王に仕立てあげられ、直ぐに権力を失い、塔に幽閉されて余生を送るのかと思いきや、陰謀によって処刑されてしまう彼女。人生の最期の数か月間、「どうして」という想いが胸に巡り巡っていたように感じます。この絵画を見つめていると、彼女の悲痛な心の叫びが聴こえてきそうですね・・・。

→ 展覧会「怖い絵展」の詳細を知りたい方はこちら

 

【 コメント 】

  1. 管理人:扉園 より:

     >> 季節風様へ
    こんばんは^^
    彼女の死の理不尽さ、悲惨さが前面に感じられる作品ですよね。
    血筋のせいで女王に仕立てあげられ、地位のせいで命を落とす。
    修道院長は何の罪もない彼女の独白を聞いて、苦しかったに違いありません。
    死刑執行人も気の毒に感じ、仕事をしたくなかったのだと私は思います。

  2. 季節風 より:

    こんばんは。
    「怖い絵展」ポール・ドラローシュ作のジェーンが一番可哀想です。上等の白い絹みたいな衣服がいたいけな女王らしい。何も見えなくされて途方に暮れていそうな。
    二人の女官が悲しがっているのは分かるのですが、二人の男性はどんな心境なのかな。やはり可哀想だと内心では思っているのでしょうね。

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