エジプトへの逃避行の絵画15点。聖母マリアは夫とキリストを連れ、故郷から逃げる | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

エジプトへの逃避行の絵画15点。聖母マリアは夫とキリストを連れ、故郷から逃げる

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 エジプトへの逃避行はマタイの福音書にある、新約聖書の物語の一つです。
 ある日、ヘロデ王はユダヤの新王がベツレヘムにて誕生したことを予言で知ります。玉座を死守したいヘロデ王は、新王となる者を殺そうと、町に住む二歳以下の全ての幼児を殺すよう命じました。罪も無き赤子たちは母親の手から奪われ、無惨にも殺されたのです。→ 幼児虐殺についての絵画を見たい方はこちら

 それより前、ベツレヘムに滞在していたキリストの養い親ヨセフは天使の夢を見ました。天使は「キリストとマリアを連れてエジプトへと逃げなさい。ヘロデ王が息子を殺めようとしています。私が知らせるまでそこにいるのですよ」と言っていました。ヨセフは慌てて二人を起こし、急いで夜中にエジプトへと出発しました。異国への道筋は険しく、荒れ野の中をひたすら進み続けました。彼等はエジプトにヘロデ王が死去するまで滞在しました。言い伝えによると王は70歳の時に恐ろしい病気にかかって、悶え死んだとされています。すると、再びヨセフの夢の元に天使が現れ、「国にお帰りなさい」と伝えました。こうして家族三人はユダヤの土地へ向けて進み、ベツレヘムではなく元居た場所のナザレへと帰ったのです。
 エジプトへの逃亡と滞在、そして帰還の絵画15点をご覧下さい。

 

「ジョット・ディ・ボンドーネ作  1304-06年」
天使の導きを受け、エジプトへと向かう家族三名。キリストを抱くマリア
はロバに乗っております。王の虐殺を逃れようと急いで脱出したはず
ですが、四名のお付きの人がいますね。共に逃げようとした人が
いたのでしょうか。

「ヴィットーレ・カルパッチョ作  1465-1520年」
こちらは三名で寂しく野原ある道を進んでいます。ヨセフは結構な
お歳にも関わらず、巡礼杖を持ってひたすら歩きます。

「カルロ・マラッタ作  1625-1713年」
こちらのマリアは徒歩で進んでいます。右側で天使が「乗りなよ」
と言った感じに、穏やかな表情のロバを示しています。
水が流れていますね。桟橋に差し掛かったのでしょうか。

「アルブレヒト・デューラー作  1471-1528年」
ドイツの巨匠デューラーもこのテーマを描いています。
まだ新生児のようなキリストと、息子を抱くマリアの頭にはしっかりと
後光が描かれています。ですが、ヨセフにはありません・・・。
ヨセフも聖人の一人なのだから、可哀想ですよ・・・。

「バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作  1647-50年」
産着にくるまれるぽっちゃりめのキリストを愛おしそうに抱いています。
他の作品に比べてヨセフがおじいさんではなく、イケメンダンディです。

「クエンティン・マサイス作  1509-13年」
休憩中の家族。背後はまだベツレヘムでしょうか。
キリストにお団子?すもも?をあげています。聖書では当時の
年齢が判然としないので、キリストの育ち方がまちまちですね。
でも、二歳以下を虐殺するということは、一歳は超えているのでしょうか。

「ヤーコブ・ヨルダーンス作  1593-1678年」
こちらの逃避行は、たくましい天使様と小さい天使ちゃん三名が
同行しています。更には牛をプレゼント。なかなか豪華な旅路ですね・・・。

「ヤコポ・バッサーノ作  1510-92年」
こちらも天使の先導でベツレヘムから脱出をしようとしておりますが、
三名の男性が描かれています。何を意味しているのかは分かりません。
家族の脱出を手助けしているのしょうか。何か集めたり、飲んだりして
おりますが・・・。

「二コラ・プッサン作  1657年」
もうすぐで一行はエジプトへと到着します。建物は異国情緒
溢れる感じに。当時、エジプトはローマ帝国の統治を受けていたので、
建物がそれらしいですね。マリア様がどことなくエジプトのお化粧を
しているように見えます・・・。

「フェデリコ・バロッチ作  1570-73年」
エジプトへと到着し、休息をする家族。緑あふれる中、ヨセフは
キリストに枝についた木の実をあげています。ヘロデ王が崩御する
までのんびりと待ちます。エジプトの人々は親切で、何不自由なく
暮らすことができたそうです。平和ですね~。

「フラ・バルトロメオ作  1500年頃」
ヘロデ王は史実によると約33年間在位したとされ、また聖書によると、
当時で40年近く在位していたと書かれているので、王が亡くなった
のは彼等がエジプトへと到着してそれほど時間が経っていない
ように思われます。

「フィリップ・オットー・ルンゲ作   1806年」
変わった植物や花々が咲く夕焼けの中、のんびりとする家族三名。
木の上に座っているのは天使?妖精さん?
エジプトというか、何とも幻想的な雰囲気の作品です。

「Giuseppe Bartolomeo Chiari 作  1654-1727年」
「ヘロデ王は死にました。さぁ、国へお戻りなさい」とヨセフの夢の中
で天使が言うのですが・・・。絵画では現実に登場しちゃっていますね。
しかも天使だらけ。大小あらゆる天使が祝福にやって来ています。

「ルーカス・クラーナハ(父)作  1504年」
こちらも天使がいすぎて大家族状態。なんというか、エジプトへの
逃避行の概念を超えています。マリアの左側にいる少年は洗礼者ヨハネ
でしょうか?もしくはエジプトの少年が遊びに来たのでしょうか?
もしくは依頼者の息子とか?

「ヤーコブ・ヨルダーンス作  1616年」
エジプトからユダヤの地ナザレへと帰還する家族。こうして彼等は
無事にヘロデ王の虐殺を逃れることができたのです。
マリア様がオシャレな帽子を被っていますね。

 聖書において「エジプトへの逃避行」は重要な主題であるものの、ごく短い文章にすぎません。エジプトへの道のりや滞在、帰還は簡単に書いてあるだけで、詳細な部分は分かりません。先導する天使やマリアが乗っているロバの記述もないのです。(私の参照した文献「新約聖書物語 脇田晶子作」「聖書物語 パール・バック作」において)

 画家たちは想像力を膨らませ、「長旅なのだから、子供を抱えた女性には歩かせられないだろう。当時はロバがいるな」とか「ヨセフの夢の中で天使が現れるのは構図的に変だな。よし、実際に登場させてしまおう」とか色々考え、様々なエジプトへの逃避行の作品を生み出しました。その構図は後年へと伝わり、その図式が当たり前のように描かれるようになります。そういった事は聖書の物語のみならず、多くの作品で見られます。文章に描かれていない部分をいかに想像をたくましくして絵画に盛り込むか、そこが画家の腕の見せ所の一つのように思います。

 

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【 コメント 】

  1. 管理人:扉園 より:

     >> 季節風様へ
    こんばんは^^
    ヨセフは老人と言うイメージが定着してしまい、イケメンの姿の方が珍しいのですよね。
    無原罪の御宿りでイエスを産んだマリアを清純のままにするには、ヨセフを老人にしてしまった方が良いという判断なのだと思います。
    季節風様が仰るように、マリアとイエスを目立たせる構成が多く、ヨセフは脇役と言った立場ばかりです。
    聖人であっても、なんとも気の毒な立場ですね…。

  2. 季節風 より:

    ジョット・ディ・ボンドーネ作ですがジョットさんの作品は古い時代ということもあって近寄りがたさと本物感を感じます。
    バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作のヨセフ様はマリア様の夫らしくイケメンで男らしく妻子を守っているんですね。
    聖家族なのにヨセフは歩かされて可哀想ですが絵画なので赤ちゃんであるキリストとそれを抱く母を目立たせるためかなと思います。

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