この物語はヨハネの福音書に見られ、キリストが姦通の罪を犯した女性を庇い「罪のない者だけが石を投げよ」と言って周囲を黙らせた物語です。
ある日、キリストが宮で話していると、律法学者やファリサイ派の人達が一人の女性を連れてきて、こう言いました。「先生、この女は姦通の罪で捕まりました。モーセの律法は石を投げて殺すよう命じていますが、どう思いますか?」これはキリストを捕まえる為の口実で、律法通りにしたら「お前の説く愛はどうした」と言えるし、許せというなら「律法に背いたな!」と言えるのです。キリストは身を屈めて何かを指で書いていました。彼等が催促をすると、キリストはこう答えました。
「貴方がたの中で罪のない者が、この女に石を投げつけるがよい」と。
人々は黙り込んだまま次々に出ていき、 遂にはキリストと女性だけになりました。罪のない者など誰もいなかったのです。そしてキリストは「私も貴女を罰しません。家にお帰りなさい。もう罪を犯さないように」と告げたそうです。
「罪がない者が石を投げよ」と告げるシーンの絵画13点をご覧ください。
「ピーテル・ブリューゲル(子) 1600年頃」
罪を犯した女性を連れ、「お前はどう思うのかね?え?」と難癖を
付けるファリサイ派や律法学者。キリストは足元に何やら文字を
書いています。野次馬とか眼中にないって感じでしょうか。
「Ambrosius Francken 1世の工房作 1544-1618年」
キリストが罰せよと答えたら「非道な奴だ」と言えるし、許せと答えたら
「律法に反している」と言える。律法学者たちはキリストを訴えたくて
仕方がなかったのです。当事者は気にせず書き書きを続けます。
「ルーカス・クラーナハ(父)作 1532年」
彼等が余りにもしつこく問うので、キリストはこう答えました。
「貴方達の中で罪のない者がまず、この女に石を投げなさい」と。
そうしたら全員が黙りこくってしまいました。
「ルーカス・クラーナハ(子)と工房作 1545-50年」
クラーナハ親子は同テーマの作品を何枚も描いています。
女性の罪をあげつらって罰せよというが、人は誰しも罪を犯す。
この中で罪を犯していない人は誰もいなかったのです。
なんか既に女性の腕を持つ老人が罪っぽい感じに見えますが・・・。
「パオロ・ヴェロネーゼ作 1528-88年」
この女性の正体は定かではありませんが、マグダラのマリアだと
考える説もあります。マグダラのマリアもかつて快楽に溺れて
悔悛した女性なので、重ねられる部分があったのです。
「ピーテル・パウル・ルーベンス作 1577-1640年」
金色の衣服を着たおじいさんのリアルさが半端ない作品。
ルーベンスにしては珍しく、女性は豊満すぎる肉体をしていません。
(この主題でセクシーすぎたらいけませんよね^^;)
「ロレンツォ・ロット作 1480-1557年」
キリストに詰め寄る学者やファリサイ派たち。ダ・ヴィンチやボス、
クラーナハらが描いた、人間の顔を誇張するカリカチュアが
用いられていますね。ちょっと女性が暇そうにしているような。
「ティントレット作 1518-94年」
今まさに「罪のない者が石を投げよ」と伝えているようですね。
それより気になるのが、両側のお洋服を着ていないおじさん二人。
この二人も罪ある人・・・?
「Jean Germain Drouais 1784年」
キリストの返答に黙ってしまった民衆は次々と部屋を後にし、
二人以外誰もいなくなってしまいました。
キリストは女性に対し「私も罰しないから、家にお帰り。もう罪を
重ねないように」と伝えたそうです。
「レンブラント・ファン・レイン作 1644年」
遠っ!レンブラントは荘厳な神殿と思われる建物を背景にして
いますね。キリストのヘアーがとても豊かだ・・・。
「グエルチーノ作 1621年」
とても穏やかな話し合いに見える作品。老人とキリストが女性を
指さし、兵士の手と女性の手が重なる事で女性に目線が行くよう
工夫されているのですね^^
「Valentin de Boulogne 作 1620年」
劇的なカラヴァッジオ的な雰囲気を称えた作品。
背後の老人三名はキリストのお言葉に怯えているかのようですね。
「Alessandro Turchi 作 1578-1649年」
あれ、女性マジ切れしてない・・・?どうしたの・・・?
「石打ち」という処刑法は、下半身を生き埋めにした状態の罪人に対し、大勢が石を投げて処刑する方法です。古代オリエントの時代では一般的であったそう。石打ちの刑に値する罪は、姦淫だけではなく以下のようなものがありました。
・モレク(異教の神)に自分の子供をささげる者
・霊媒や予言をおこなう者、また、彼らに相談する者
・自分の父母の上に災いをよびもとめる者
・姦淫、同性愛、獣姦など、『倒錯した』性行為をおこなう者――Wikipediaより
また、聖ステファノが石打ちにより殉教し、聖パウロも石打ちにあっています(生き延びました)。キリストも石打ちの刑にされそうになったという記述があることから、異教の罪でも石打ちになるようですね。握りこぶしくらいの石が雨あられと降り注ぐ刑罰・・・。なんとも恐ろしいです。
【 コメント 】
>> 美術を愛する人様へ
こんばんは^^
ご覧いただきありがとうございます!
ベルギーいいですね^^
フランドル絵画が大好きな私としては羨ましいです…。
ルーベンスの石打ちはベルギーの王立美術館にあるんですね!
(紹介しているくせに把握していなくてすみません^^;)
知っている絵画が思いがけない美術館にあると、妙にテンションが上がりますよね。
ルーベンスは肉感というか、圧倒的な質量(ボリューム)を感じさせます。
クオリティが凄いうえに作品数が多い、正に職業画家の鑑ですよね。
こんにちは。
いつも勉強になるなーと楽しくみてます!
私ごとですが、先月ベルギーに行きまして、王立美術館にまさに今回のルーベンスの石打ちの絵がありましたよ!フランス語の解説でなんて書いてあるからわかんなかったんですが、精緻な描写に圧倒されっぱなしでした…
>> 石こづめ、なんてのもありますね。様へ
こんばんは^^
小石パワーで圧死させる…。日本の刑罰もなかなかの残虐さですねw
「誰もが石に打たれればいい」
石を投げる人、打たれる人…。
完璧に潔白な人なんていないから、投げる者を含めて石に打たれるがいいという強烈なメッセージを感じました。
パリサイ派の人達が「わしゃ潔白じゃー!」と逆切れしてきたら、キリストは落ちていたロープを結んで鞭を作り、「嘘を付いてはならぬ!」と鞭を振り回して彼等を追い散らしたかもしれません。←物語が違うw
ボブ・ディランの『雨の日の女』という曲を思い出します。
しかし、パリサイ派の人たちは案外素直なのですね。
「わしゃ罪など犯しとらーん!」とか言って殴りかかってきたらどうするつもりだったのでしょう。←ぇ