夏の夜の夢は、16世紀後半にウィリアム・シェイクスピアによって作られた喜劇です。
貴族の娘ハーミアはライサンダーを愛しているものの、彼女の父親は「許嫁ディミートリアスと結婚しろ!さもなくば死刑か修道女だ!」と言い、その事をアテネの公爵シーシアス(テセウス)に告げます。シーシアスはアマゾン国のヒポリタ(ヒッポリュテ)との結婚を間近に控えており、「結婚式が行われる4日間の猶予をやろう。それまでにどの選択肢が良いか考えるがよい」とハーミアに言い渡しました。恋人達と許嫁、彼女の友人ヘレナの四人は森へと足を踏み入れます。また、6人の職人がシーシアスとヒポリタの結婚式の芝居の練習をする為に、森へと出かけていきました。
一方、森ではオベロン王とティターニア女王が喧嘩をしていました。オベロンは嫌がらせの為に妖精パックを遣わして、眠るティターニアのまぶたの上に媚薬を塗ってしまいます。それは目覚めて一番に見た者を愛してしまうという効果を秘めていたのでした。パックはこの媚薬をティターニアだけではなくライサンダー達にも塗り、男二人がヘレナを愛してハーミアをけなすという、とんでもないことになりました。パックは職人のボトムをロバ頭に変えてしまい、あろうことか女王は彼を最初に見て恋心を抱いてしまいます。気が済んだオベロンは女王を気の毒に思い、魔法を解いてあげます。この事件でディミートリアスはヘレナを愛すようになり、彼はハーミアの父に頼んで罰を取り消してもらい、ハーミアとライサンダーの愛は認められたのでした。6名の職人も結婚式の芝居を成功させ、パックのお陰で誰もかもが丸く収まり、めでたしめでたしとなったのでした。
では、夏の夜の夢の絵画13点をご覧ください。
「ヘンリー・ハワード作 1769-1847年」
インドの王様の愛妾の子供を巡り、オベロンとティターニアは大喧嘩
をしていました。オベロンは子供を小姓にしたくてたまりませんが、
ティターニアは「私を信仰してくれた人の子だから絶対に渡さない!」
と頑なに拒みます。
「ジョゼフ・ノエル・ペイトン作 1849年」
こちらも「インドの子を寄こせ」と迫るオベロン王に、「嫌よ」と
拒むティターニア女王。業を煮やした王は、花から取った媚薬を
使って女王を懲らしめることを思い付きます。
「ジョゼフ・ノエル・ペイトン作 1883年」
こちらはウェーバーのオペラ「オベロン」を元にした作品。
男女のどちらが心変わりしやすいかという事を巡り、オベロンと
ティターニアは口論します。夕日の中、オベロンとパックが岩肌に
座り、足元には人魚がいますね。
「ジョシュア・レノルズ作 1789年」
悪戯妖精パックを描いた作品。赤ちゃんのような姿で一見可愛らしい
ですが、よく見るといたずら小僧のような笑みを浮かべていますね。
手に持っているスミレをまぶたに塗られたら、あなたは一番
はじめに見た者を愛さなければならない・・・。
「John Lamb Primus 作 1834年」
パックの悪戯により、職人ボトムはロバの頭に変えられてしまいます。
他の職人は「うわぁー!」と逃げてしまい、彼をはじめに見た
ティターニアはボトムをすっかりと愛してしまったのでした。
「エドウィン・ランドシーア作 1802-73年」
ロバ頭の職人ボトムにすっかり惚れ込んでしまったティターニア。
部下達に色々なお世話を命じます。
ウサギさん何気に大きいし、このロバ結構イケメンに見えるw←ぇ
「ヨハン・ハインリヒ・フュースリ作 1790年」
ロバ頭ボトムを中心にして、踊るティターニアと妖精たち。
何となくボトムは恥ずかしそうに顔をうつむかせていますね。
「フランシス・ダンビー作 1832年」
こちらの作者は妖精さんだから小さいのだろう、と考えたようで
キノコ並みに小さい妖精として描いています。ティターニアが
子供を渡すと承諾した為、オベロンはやっと彼女の魔法を
説いてあげました。
「ジョゼフ・ノエル・ペイトン作 1821-1901年」
ティターニアの魔法が解けた瞬間、ボトムを見て「なんて不細工で
けがらわしい」。・・・魔法が解けたからってそれは酷いw
そこかしこに妖精がおり、ハーミアと思われる女性がぐっすりと
眠り込んでいますね。
「デイビット・スコットの追随者作 19世紀」
こちらも女性に対し、妖精がしゃらら~と魔法をかけているようですね。
本編にこのようなシーンはなかったような気がするので、
「森であった事を夢うつつの状態にする」という感じなのでしょうか。
「ギュスターヴ・ドレ作 1870年」
森の中で踊る妖精たち。物語の雰囲気は滑稽で騒々しい感じですが、
ドレは神秘的で静かな妖精たちを描いていますね。
「ウィリアム・ブレイク作 1786年」
妖精たちが楽しそうに踊り回り、パックもそれをはやし立てている
ようですが、オベロンだけは浮かれない顔。ティターニアにかけた
魔法をまだ引きずっているのかな?
「ジョン・シモンズ作 1870年」
妖精の森に入り込んだ事で、愛を勝ち取ったハーミアとライサンダー。
ディミートリアスとヘレナも相思相愛でめでたしめでたしです。
二人の周囲に動物たちや妖精さんがおり、とても素敵な作品です。
この記事を書くに当たって、家にあった「夏の夜の夢」を再読してみました。
すると、想像していたより言葉遣いが大袈裟で激しかったですw やはり喜劇とする為か、好きとなったら「愛している。君だけだ。美しい」を連呼して歯の浮くような台詞を言い、嫌いとなったら「お前の事を毛の程に思わない。胸焼けがする。チビ。どけ。邪魔だ」と悪口を連呼する。中には差別を感じさせるような悪口もあり、なんだか読んでいて面白いよりも心がちょっとだけ沈みました^^; 男性二人の愛語り&ヘイト合戦だけではなく、女性二人の口論も読んでいて怖かった・・・。喜劇じゃなかったらドロドロ状態です。
まぁ、ラストは結果オーライで、パックが読者に対し「気に触っていたとしても、笑って許してね」と言っていたから良いのですが、この喧嘩シーンを喜劇として笑っている人がいた考えるとなんだか心がすっきりしません。個人的にはボトムさん率いる職人側の方が読んでいて和めました。グダグダの劇を観てみたいですw
これは管理人の感想なので、きっと皆様色々に思うところがあるでしょう。私はこの今の感想を、夏の夜の夢のように、もやもやっと曖昧にさせてしまおうと思いますw
【 コメント 】
>> 季節風様へ
こんばんは^^
素敵な夢を見ている間に悪戯されてしまうかもしれませんよ(笑)
メンデルスゾーンの曲は有名ですね。
過去に多くの差別反対運動を経て、現代があるのですよね。
今でこそ様々な差別問題がありますが、当時よりは改善されています。
未来では現代の小説が「差別的に感じるな」と言われているといいなぁと思います。
私は小説を読んで映画を観るパターンの方が多いかもしれません。
やはり映画は時間的制約や登場人物の内面が描写しにくい為か、小説の方が深くて詳しくなりますよね。
原作の方が面白いと思う方がほとんどです。
ただ、個人的にはダン・ブラウンの「天使と悪魔」は映画の方が面白かったかも…。
扉園様、こんばんは。
素敵な夢が見られそうな絵が多いですね。真夏の夜の夢は読んだことが無くメンデルスゾーンの曲で知っています。
日本の古典文学でも弱者への差別用語とか多いですね。身分制度が徹底していた時代の悪習だと思います。
私は映画を先に観てその後に原作の劇や小説を読むと映画より詳しくて面白いと思うことが多いです。文章が面白かったり時代背景がよく分かって楽しいと思うのです。例えば映画ではそこまで描けなかった主人公の家の経済苦とか、小説版ではよくわかり感動や同情が増すとかあります。
>> 児童文学も愛する人様へ
トイレの謎(?)を解明してくださり感謝です!^^
海外文学ではトイレシーンはちょくちょく出てくるのですね。
しかもヘンリー君が明確な答えまで用意してくれて。
私は主人公が村や町に行ったり泊まるシーンがあったら、文章になくても合間にトイレを済ませているのでは?なんて考えちゃいますが、ヘンリー君は「文章に書いてないからおトイレに行けなくて困る」と考えるのですね。
私が読んだ作家さんは「そろそろトイレに行く時かな」と主人公を気づかってあげていたのですね!納得です。
文章として表現しないと行為が生まれないという考えに、日本絵画の「余白の美」と西洋絵画の「描き込む美」なんて事を連想しちゃいました。
日本は余白を連想の幅としてたしなむ文化があり、西洋は描かなければ無いと考える。
これまた想像と現実の尺度の差が関連しているのかもしれませんね^^
>> 美術を愛する人様へ
こんばんは^^
同意見がいただけて嬉しいです!
職人劇の場面の方が楽しいですよね。ピラムスとティスベの物語を見ると、私も脳裏に思い出してしまいます。
「私はライオンですが違います。危険ではありません!」と必死に弁護するライオンだったら、二人も平和だったでしょうに…。
頑張るおっさん集団の絵を探したのですがありませんでした(: 😉
おっさん達は華やかな主題を求める画家達にはむさ苦しすぎたのでしょうかね。
>> アイリッシュを愛する人様へ
こんばんは^^
ハリー・ポッターは前半こそ面白かったのですが、段々とファンタジーにしては生々しい描写(恋愛などの人間模様にしても戦闘にしても)が多くなり、ラストの方ではドビーやヘドウィグを含む死者だらけになるのを知って読むのを止めてしまいました。
大人向けならまだしも、児童文学でこんな展開にする?と疑問に思いました。
ハリー自体も性格がいいわけではありませんよね。彼の行動に段々とついていけなく
なりました…^^;
メリー・ポピンズは最新作の映画を見ました。
想像していたよりツンツンした性格しているな~と思ったら、原作ではもっと性格が悪かったとは(笑)
イギリスやアメリカの小説はやたらとブラックジョークが多いのもありますよね。
やはり文化の違いで「?」となり、内容を呑み込むまでにやたら時間がかかったり、訳が分からないままのもあります。
ファンタジーと現実は近しいもので、意地悪役の敵だけではなく、主人公でさえも現代の私達と同じように間違いを犯しながら悩み生きている。また、戦いはあくまでも命の奪い合いであり、執筆者の希望により都合のいい運命を与えてはならない、という考えがあり、私達日本人より理想を排し、感情を露わにした現実を見据えているのかもしれませんね。
>> フュースリおたく様へ
こんばんは^^
画家達の作品では、妖精のみならずボトムのロバさんですらイケメンに見えますからね(笑)
シェイクスピアオンリーの美術展、いいですね!
ロマン主義や象徴主義を中心にして、どのような画家達が手掛けたのか、シェイクスピアの戯曲にどのような背景があったのか、なんて知れたら一石二鳥です^^
美術館の企画の方、そんな展覧会待ってます!
>> フュースリおたく様へ
こんばんは^^
画家達の作品では、妖精のみならずボトムのロバさんですらイケメンに見えますからね(笑)
シェイクスピアオンリーの美術展、いいですね!
ロマン主義や象徴主義を中心にして、どのような画家達が手掛けたのか、シェイクスピアの戯曲にどのような背景があったのか、なんて知れたら一石二鳥です^^
美術館の企画の方、そんな展覧会待ってます!
あ、ファンタジー小説なのにトイレ行く!?
でも思い出しました。
なぜか海外の児童文学は、物語の主人公たちのトイレ事情を気にする子どもがちょいちょい出てきます。
がんばれヘンリーくんシリーズの、ヘンリーの妹が保育園で先生に絵本を読んでもらった時や、タイトルは忘れたのですが別の作品でも、お姉ちゃんから絵本を読んでもらっていた妹が、
「主人公はいつおトイレに行くの?」と質問し、先生やお姉ちゃんから
「書いてないから知らないわ。物語には関係ないから書かないのよ」と返され、
(関係なくないのになぁ。私だったら冒険の途中でおトイレに行きたくなったら困るもん)と、考えるシーンがあります。
なので、そのファンタジー小説の作家さんは、読者の為に主人公がちゃんとトイレに行くシーンを書いてあげたのかも知れませんね。
良い話だなぁ~(°∀°)
こんばんは。職人の劇、楽しそうですよね。
文庫本と映像作品を持っていますが、私もケンカの場面が見ていてきついので、恋人たちの主筋よりも職人劇の場面を繰り返し見ていました。
おかげでこちらでも記事のあったピラムスとティスベの絵を見るたびに完全な悲劇に見えないクセがついてしまいました。
でも絵画は華やかな妖精の場面が多いですね。
頑張るおっさん集団の絵も、なかなか楽しそうな題材と思うのですが。
確かに…そう言われてみれば、イギリス文学の登場人物たちは、どこか恐い人が多いような…
ハリー・ポッターの原作も、ハリーのお父さんの方がDQNでしたし、原作のメリー・ポピンズはめちゃめちゃ性格悪いです笑
ジェーン・エアも、ジェーンやヒーロー役の伯爵?だか何かの貴族の男性も、脈絡なく(本当はあるのでしょうが)感情が豹変したりするので、読んでてたまに眉間にシワが入ります。
イギリスは、皮肉とかのブラックユーモアやブラックジョークが好きだから、怒りや不安や不満といった姿の方が、滑稽に見えるのかも知れませんね。
ストーリーはドロドロですけど、18.9世紀のロマン主義、象徴主義の画家の手にかかると、こんなにも幻想的になるんですね〜。
「シェークスピアの世界を描いた画家たち」的な美術展をどこかの美術館でやってほしいなと思ったり’◡’
>> レモンの妖精様へ
こんばんは^^
クリムトも「夏の夜の夢」を描いていたのですね。更に来日していたとは。
ハーミアとヘレナ、不毛の戦いでしたね…^^;
元々昼ドラ系が苦手だったこともあり、「うわぁ…どうしてこうなる」って引いちゃいました。
不思議の国のアリスは未読ですが、日本人が思っている以上に色々と精神倒錯している内容という事は知っておりますw
トーマスは顔が怖くて子供の頃トラウマでした(笑)
お友だちのゴードン(だったかな)は常に怒っているイメージがありますね。
海外の登場人物は感情の起伏が激しい印象を私も持っています。
小説を読んでいても「そこで怒るのね」と思ったり「そんな展開になる!?」とツッコんだり…。
やはり文化や民族の違いなのかもしれませんね。
印象に残っているのは、題名は忘れましたがファンタジー小説を読んでいたところ、主人公が旅先で前ぶれも意味もなしに「尿意をもよおしてトイレに行った」こと…。(汚くてすみません)
「ファンタジーなのに行く!?」なんて思っちゃいました。
ギャグや現代舞台ならまだしも、日本のファンタジー小説ではなかなかみられないように思います。
こないだウィーン・モダン展でクリムトの『夏の夜の夢』を見てきましたよ^^
ハーミアとヘレナ、のっぽで逃げ足が速いとか、小さいけど爪が目に届くとか……そんなでしたっけ^^;
ところで今、『不思議の国のアリス』を読んでいるのですが、アリスもなかなかですね。すぐ怒るし、なんか乱暴だしw
子供の頃、『きかんしゃトーマス』を見て、英国人はみんなこんなにプンスカしてるのか? なんて思った覚えがありますが、文化の違いなんでしょうかね。