賢い乙女と愚かな乙女の絵画13点。準備や勉学を怠るなかれというキリスト教の逸話 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

賢い乙女と愚かな乙女の絵画13点。準備や勉学を怠るなかれというキリスト教の逸話

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 賢い乙女と愚かな乙女(十人の処女たちのたとえ)は、日頃からの準備や勤勉を怠るなかれという警句が込められたイエス・キリストのたとえ話です。
 灯を持って花婿をむかえる10名の乙女がおり、5名は賢く5名は愚かな乙女でした。賢い乙女は灯の他に油を持っていましたが、愚かな乙女は準備していませんでした。花婿が時間に遅れたので、灯の油が足りなくなってしまいました。賢い乙女は油を追加しましたが、愚かな乙女の灯は消えてしまいます。
 油を分けてくれと頼んでも「もう余分はないの。急いで買いに行きなさいな」と言われ、愚かな乙女達は油を求めて店に走っていきます。その間に花婿が到着し、賢い乙女たちは花婿と共に婚礼の部屋へと入りました。遅れてしまった愚かな乙女たちは中に入る事は許されず、花婿に「私はお前達を知らないな」とまで言われて締め出されてしまったのでした。

 これは天国へと入る門の比喩であり、天国へと入る為には臨終の間際では間に合わない。日頃から準備し、敬虔に祈って真面目に生活しなさいという意味が込められているのです。
 では、賢い乙女と愚かな乙女についての絵画13点をご覧ください。

 

「東ローマ帝国彩色写本より  6世紀」
替えの油を持っていた乙女たちは天国へ、灯だけしか持って
いなかった乙女は門前払いをくらってしまっています。たとえ話は
花婿ですが、キリストが語る天国への道の話なので救世主自らが
花婿として登場します。

「Peter Lisaert IV 作  1595-1629年」
この例えは「備えあれば患いなし」の他に「勤勉を怠るな」という
意味があります。この絵画の前のご婦人方は、洗濯物や
洗濯板(?)を持って仕事しているのに対し、奥のご婦人方は
きゃっきゃうふふと遊んでいるようです。

「フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー作  1789-1862年」
右側の賢い乙女達は灯を手に持ち、愚かな乙女達に「どうだー!」と
見せております。キリストやマリアは賢い乙女達に視線を送って
おり、愚かな乙女達は悲しさのあまり倒れ伏しているようです。

「Julius Wilhelm Louis Rotermund 作  1826-59年」
10名の乙女は構成上大変だったのか、二人の乙女で物語が
表現されています。どちらの乙女が天国へといざなわれたのかは
一目瞭然ですね。

「ウィリアム・ブレイク作  1800年」
ブレイクの乙女達は独特の姿をしていますね・・・。
天使に導かれる乙女達と、追いすがる愚かな乙女達。
しかし買いに行きなさいと言われてしまっております。

「Ernst Friedrich von Liphart 作  1886年」
ただ準備を怠っただけで天国へ行くことができないのは
厳しいですよね。キリストに祝福された彼女らを見て、
悔しさのあまり悶絶です・・・。

「Leonhard Sturm 作 カール・フォン・ピロティが加筆  1884年」
キリストのたとえというより、神話的な雰囲気がただよう作品です。
賢い乙女達はお花をまとって笑顔で右側の天国へGOです。
中央の二人は「何でもしますから油をください」「跪いたって駄目な
ものは駄目よ」と会話しているのでしょうかね。

「ペーター・フォン・コルネリウス作  1813-16年」
天国へと向かう者達が前景を支配し、愚かな乙女達は
中央よりの右奥へと追いやられてしまっています。キリストだけ
ではなく、聖人や天使までがお出迎えです。

「Charles Haslewood Shannon 作  1863-1937年」
「蜘蛛の糸」をなんとなく彷彿とさせる、おどろおどろしい乙女達。
天使を掴みながら天上へと昇ろうとする乙女達の足元に、
「私も連れて行ってくれー!」と追いすがる乙女達。そんな彼女らに
天使は武器まで持って阻止しようとしています。

「Jan Adam Kruseman 作 1848年」
こちらも乙女二人で対比させています。右の乙女は油が入った
壺を持ち、灯りがしっかりと灯っています。左の乙女は灯が消えた
のみならず居眠りまでしてしまっている様子。

「フィービー・アンナ・トラクエア作  1852-1936年」
先程までの厳しい警句から打って変わって和やかな乙女達。
勤勉>怠惰という対比もなく、「みんなで油を分け与えて天国へ
行こうよ!」っていう雰囲気がします。うん、これがいいね。←ぇ

「Charles Haslewood Shannon 作  1863-1937年」
こちらも伝統的な二分性ではなく、灯りを持った乙女達が眠る
乙女を起こし、船に乗せようとしているようです。19-20世紀に
なると、みんなで天国へ行こう。という風潮になるのでしょうかね。

「ウィリアム・ジョン・ウィンライト作  1899年」
最後に、乙女10名でハイ、ポーズ♪
灯りを持ってみんなで天国へ
行けると思いきや、背後の愚かな
乙女達が入り遅れちゃいそうな予感!?

 現代の感覚でこの物語を読むと、「ちょっとくらい油を分けてくれてもいいじゃない」「お前らなぞ知らんと言った主人、冷たすぎる・・・」「天国厳しすぎ!」と思ってしまいがちですが、災害などの緊急事態に照らし合わせてみると、納得できる部分があります。
 「非常食や救急キットなどを準備している人」と「準備していない人」がおり、災害直後で救援が来ないとなると、「準備していない人」はかなり困ってしまう事になります。「準備している人」にご飯をくださいとお願いをしても、「家族分しか準備していないから、申し訳ないけど分けられない」と言われてしまうかもしれません。この状況では「何で分けてくれないの!?」と怒る事はできませんよね・・・。

 それでも「愚かな乙女達」は灯りは持ってきて準備はちゃんとしていたことになるので、「天国へと行けてもいいじゃない」とも私は思います。何か救いがあってもいいのではと。「準備はできる限りのことを行い、それでも何か不足があれば助け合うようにする」。
 何やら色々矛盾めいたことを語りましたが、これが一番であるように思いますね。うん、これから災害用リュックの中身を再確認します^^;

 

【 コメント 】

  1. 管理人:扉園 より:

    >> びるね様へ
    こんばんは^^
    鑑賞者から見て左が天国、右が地獄&煉獄という作品が多い印象ですが、シュトラスブルク大聖堂は逆なのですね。
    ただ、東ローマ帝国写本やフリードリッヒさん作、Leonhardさん作など天国が右側にあるという構図なので、位置的にはそこまで形式化されていなかったのかもしれません。
    十名の乙女ではなく各4名ずつなのですね。
    と思ったら、賢い乙女の左側がおじさんでした^^;
    キリストなのでしょうか。
    クライドルフさん童話的でファンタジーな絵を描かれる人ですよね。
    このテーマを手掛けているとは知りませんでした。
    淡くてちょっとシュールな世界観。私も好きです^^

  2. びるね より:

    絵画ではなく彫刻ですが、シュトラスブルク大聖堂の「愚かな乙女と賢い乙女」は不思議なことに逆の配置になっていました。
    いまだに逆の理由はわかっていないそうです。
    クライドルフの作品も好きです。

  3. 管理人:扉園 より:

     >> 季節風様へ
    こんばんは^^
    準備は大切だと思いますが、準備している人=偉い!という図式は納得しかねる部分がありますよね。
    キリストは貧者に施しを与えなさい、困っている人がいたら助けなさいと教えているのなら、油を分けて助けてあげる方が天国へ相応しいのではないかと私も思います。
    イエス様、ちょっと違った比喩を用いた方が良かったのかもしれません…^^;
    天国への門を締め出され、落ち込む5人の乙女たち。
    でも皆で奮起し、助け合いながら天国への道をつかみ取る。
    彼女達だったらきっと皆で物を分け合い、全員で天国へ行こうよ!ってなりそうですね。
    感動サクセスストーリーで人気が出そうな予感がします^^

  4. 季節風 より:

    こんばんは。
    賢い乙女たちが勝ち誇っていたり、買いに行きなさいと言ったりなんだか出世競争に勝とうとする人達みたいですね。比喩だから仕方ないですが。油を分けてくれたり、起こして船に載せてくれる賢い乙女たちの方が天国に相応しいかも。
    ウィリアムさんの作品は私も同感です。可愛い花輪を頭に飾った愚かな乙女五人が門を閉められてしまう映画のラストシーンみたいです。でも映画のパート2があってそこでは悔い改め力を合わせ天国に行きそうなストーリーみたいな予想をしてしまいます。

  5. 管理人:扉園 より:

     >> 美術を愛する人様へ
    こんばんは^^
    私も「遅刻した花婿も悪いのでは」と思いました…。
    確かに10対1の集団結婚って違和感ありまくりですよね^^;
    進研ゼミの漫画懐かしいです!
    昔、私も読んでいました。(読んだだけでポイっとしちゃいましたが(笑))
    「ゼミをやったかやらなかったか」が運命の分かれ道。
    この物語と同様の手法が見え隠れしますね…。
    恐らく天国へと行けなかった愚かな乙女さん達は、永遠の懲罰である地獄までは行かず、煉獄へと行くことになるのではないかと思います。
    煉獄では罪を贖って善行を積めば、天国への門をくぐることができます。
    すみません言葉足らずでした(> <) ウィリアムさんの構図まとまりがあって私も好きです^^ 「正と誤」で分断することなく「逆転するぞ!」という意思が感じられる。 漫画や小説の表紙がこの絵画なら欲しくなっちゃいます。

  6. 美術を愛する人 より:

    「そんな油忘れたくらいで…」とか「男の方が遅れてきたんじゃん」「そもそもどうして集団結婚なの」とか思ってしまうんですけど話の趣旨としてはそういうことではないんですよね…(^^;
    進研ゼミの漫画に通ずるところがありますね笑
    天国に行くか地獄に行くかの話なので花婿の姿も描く必要はないかとは思うのですが、にしても構図に組み込めないものかと考えてみたんですがやっぱりそうするとこの話のモヤモヤした気持ちの矛先が彼らに向かいそうと思ってしまいました笑笑
    どの作品も構図にこだわりがあって興味深いですが、個人的に一番下の作品の構図がかっこいい〜なんて思いました。
    愚かな乙女たちがカメラ目線で、主人公たちがこれから逆転するみたいな漫画の表紙みたいです←?

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