「失楽園」はイギリスの17世紀の詩人ジョン・ミルトンによって書かれた叙事詩です。
旧約聖書の「創世記」を踏襲しており、神に反抗心を持つルシファー(サタン)は志を同じくする天使と共に神に反逆し、敗北して堕天使(悪魔)となります。ルシファーは悪魔達と共に神への復讐を考え、人間アダムとイブを堕落させることを思い付きます。かくしてルシファーは蛇の姿となってイブに禁断の実を食べるようそそのかし、彼女はその実を食してしまうのでした。アダムは「彼女だけが追放されるくらいなら共に行こう」と神よりも愛を選び、妻と共に楽園を去ることを選びます。大天使ミカエルに今後彼等が直面する災いを告げられ、アダムとイブは荒野へと足を踏み出すのでした。
魔女狩りが行われる時代に書かれたにも関わらず、「失楽園」は唯一神の栄光を前面に表すのではなく、ルシファーの「服従よりも自由を選ぶ」というある種の英雄像、人間の「安泰な神の服従よりも、苦難の愛を選ぶ」という愛と意思の偉大さを描きました。それに影響されてか、神や天使ではなくルシファーにスポットライトを当て、劇的に描く絵画が登場するようになりました。
では、ジョン・ミルトンの「失楽園」にまつわる絵画12点をご覧ください。
「ムンカーチ・ミハーイ作 1878年」
「失楽園」を語るジョン・ミルトンのシーン。彼は過労により盲目と
なったようで、失明した6年後に失楽園に着手しています。
ミルトンが物語を話し、娘達が書きとっております。
「ギュスターヴ・ドレ作 1832-83年」
ルシファー(サタン)は部下と共に反乱を起こしたものの、ミカエル
率いる天使軍にこてんぱんにやられてしまいます。そのまま地獄
へと堕とされ、彼等は堕天使(悪魔)となってしまったのです。
「ウィリアム・ブレイク作 1807年」
当時の宗教のありように疑問を抱いていたブレイクは、
失楽園の何枚もの連作を手掛けています。
神自らが矢を手に持ち、裏切り者達を地中へと堕としています。
堕天使たちは祈るような仕草で落下中。
「ギュスターヴ・ドレ作 1832-83年」
「くっそー!この借りは必ず返してやるからな!」とルシファーは
固く誓ったのでした。中世ルネサンス時代では例に漏れず悪魔は
不気味で滑稽な姿に描かれていましたが、ドレのルシファーは
美青年の姿ですね。
「ウィリアム・ブレイク作 1757-1827年」
炎が荒ぶる地獄の底で横たわっている仲間達に対し、
「お前達よ起きろ!」とルシファーが呼び起こしている場面。
ひとまず住居を作ろう!と地獄の資源でトンテンカンと、
彼等は宮殿パンデモニウムを作りあげてしまいます。
「ギュスターヴ・ドレ作 1832-83年」
「どうしたら神に一矢報いることができるのか!?」
悪魔達はパンデモニウムで散々話し合います。こうして思い付いた
秘策が「そうだ、神が可愛がっていた人間を堕落させてしまおう!」
「ウィリアム・ホガース作 Sin and Death 1735-40年」
「私が人間を堕落させてみせよう!」とルシファーは意気込んで
地獄から地球へと行こうとしますが、門番で現れたのは「死」という
恐ろしい怪物。ルシファーが戦おうとすると「罪」という半怪物の
美女が「止めなさい」と制止します。
「ウィリアム・ブレイク作 1757-1827年」
こちらもルシファーと「死」の決闘を制止する「罪」。
罪はルシファーの神に反逆する心から生まれた美女で、
罪は死を産み落としました。つまり、罪も死も彼の子孫なのです。
「ヨハン・ハインリヒ・フュースリー作 1741-1825年」
「罪」を生み出すルシファーという題。神に反逆すると決意した
瞬間、甘美で危険な罪が生じた。悪者の立場であるルシファーが
猛々しく立派な存在として描かれていますね。
「ウィリアム・ブレイク作 1808年」
ルシファーの奸計に気付いていた神は、「悪魔にそそのかされる
であろう人間を贖う者はいないか」と訊ね、イエス・キリストが
「私が人の罪を背負いましょう」と申し出ます。楽園追放の罪は
イエスの死によって贖われるのでした。
「リチャード・ウェストール作 1794年」
ルシファーは人間を堕落させる為、宇宙を抜けてエデンの園へと
足を踏み入れます。この先は旧約聖書の通り。彼は蛇に変身して
イブをそそのかし、禁断の実を食べさせて人間を破滅の道へと
いざなったのでした。
「ヨハン・ハインリヒ・フュースリー作 1794年」
そんな「失楽園」の物語を全力で語るミルトン氏。
お顔が、こ、恐い・・・。
夜中にこの絵画を見たら卒倒しそうです^^;
イエスが原罪の罪を背負ったものの、地球はルシファーの子孫である「罪」と「死」が支配し、今でも神の聖なる勢力とルシファーの闇なる勢力が争い、人類に影響を与え続けている。キリスト教の立場からすれば、「神に仕える事が栄光への道であり正しきこと。悪魔に与することはあってはならない」という風であると思いますが、この「失楽園」は「光は安寧と束縛、闇は破滅と解放。だが光を選ぼうが、闇を選ぼうが、それは自由意思。間違いではない」というメッセージが込められているような気がします。
17~18世紀は科学技術が進み、国家権力に疑問を持ち、人権の主張を求めて市民革命が行われていました。自由意思が叫ばれていた時代なのです。国家権力を神になぞらえるとしたら、それに反逆して自らの主張を叫ぶルシファーは自由の象徴であったのではないでしょうか。
現代風で言えば、ちょっと意味は異なるかもしれませんが「安寧で豊かだが、様々なしきたりに縛られながら平坦な日常を送り続けるか、貧乏で苦しい生活だが、しがらみに反して自らの意思(夢)を貫いて生き抜く」か。サラリーマンをやめて、上京して有名歌手になるぞ!という感じなのかも。
「いいじゃん頑張れ!」という人もいれば、「無理だからやめとけ!」という人もいると思います。様々な意見はありますが、私個人としてはミルトンのように自由意思を尊重したいです。
だいぶ以前に読んだのですが、その時は難解で理解がしきれなかったので、もう一度読んでみようかなーと思います^^
→ アダムとイブの楽園追放についての絵画を見たい方はこちら
→ 反逆天使の墜落についての絵画を見たい方はこちら
【 コメント 】
>> もち様へ
こんばんは^^
個人的にルシファーは失楽園の印象が強いのですが、彼もかなりの歴史があるのですね。
ルシファーとミカエルが双子の兄弟という説の由来は、カナン神話からだったとは!
説は知っていても、記述がなくて謎に思っていました。
バアルやダゴンなどの神々は悪魔とされていても、物語の構成などは生き残っているのですね。
勉強になりました!
兄弟の戦いは胸熱展開…よく分かります(笑)
こんにちは、もちです。
旧約聖書のイザヤ書には、
「明けの明星、曙の子よ。
お前は地に投げ落とされた
もろもろの国を倒した者よ。
かつて、お前は心に思った。
『私は天に上り、
玉座を神の星よりも高く据え
神々の集う北の果ての山に座し
いと高き者のようになろう』と。
しかし、お前は陰府に落とされた
墓穴の底に。」(イザヤ書 14ー12〜15)
明けの明星とは、ルシファー(金星)のことです。
「地に投げ落とされた」や「陰府」という言葉から、堕天したことがわかります。
このイザヤ書の記述では、カナアンに伝わる土俗信仰の伝承に由来していると思われています。
明けの明星シャヘルと宵の明星シャレムは双子の兄弟でしたが、ある時、シャヘルは太陽の座を奪おうと、クーデターを企てましたが、逆に天から落とされてしまいました。
この双子の神になぞらえて、ルシファー(シャヘル)とミカエル(シャレム)を兄弟とする説が生まれたようです。
兄と弟の戦い…。胸熱展開ですね。(笑)
長文失礼しました。
>> 季節風様へ
こんばんは^^
口頭を書きとって編纂した娘さんも凄いですし、ミルトンもあんな長編を順序立てて語ることができるのは凄いとしか言いようがありません。
私だったら「何処まで喋ったっけ!?ていうか台詞忘れた!」ってなりそうです^^;
この記事の後に失楽園の上巻だけ読みました。
ルシファーの言動も一理あります。
神に従い祝福されて生きるのも、反逆して地獄へ行くのも全ては自由意志。悪は悪なりの正義がある。
読んでいると段々と格好よく感じてきてしまいます。
ミルトンの娘さんも大変な功績ですね。
「ギュスターヴ・ドレ作 1832-83年」ミカエル軍に従う方が無難な人生かもしれませんが。ルシファーのことは何故か憎めないです。
>> 美術を愛する人様へ
こんばんは^^
聖書だけではなく、神話や歴史の知識も必要で難しいですよね。
比喩が多くて「何のことを言っているのだろう?」と混乱しきりだった記憶があります。
これを期に、堕天使さん達を堕天させてみてはいかがでしょうか^^
アテナを生むゼウスにも確かに見えますね。
思考から生まれた罪を、知恵と関連付けて描いた可能性はありそうです。
罪は暗闇の中で光り輝いており、負の思考というより天啓の閃きのようにも感じますね。
こんばんは。失楽園は神曲と並び、チャレンジしては挫折を繰り返している作品です。
前半しか読めていないので、今のところ堕天使さん達はただの勤勉な開拓者です。
フュースリーさんの絵、まるでアテナを頭から生むゼウスのようにも見えますね。
知恵のイメージと罪を重ね合わせた表現なのでしょうか。