決闘は決められたルールのもと、二人が武器を使って命を賭けて戦い合うことです。
はじまりはゲルマン民族の伝統とされており、6世紀頃には制度となっていました。法律では解決できなかった事件や、名誉挽回の為に決闘を申し込んだのでした。時代や国により条件は異なりますが、申し込まれた決闘を断る事は「いくじなし!」と周囲から後ろ指を指されてしまうので、受託しなくてはなりませんでした。武器は剣や短剣、近代では銃を使いました。どちらかが戦意喪失すれば決闘が終わりということもあれば、どちらかが死ぬまで決闘が終わらないこともあり、敗者は処刑するという恐ろしいルールの場合もありました。
西洋では15~16世紀に合法的な決闘は廃れ、決闘裁判はほぼ行われなくなりましたが、個人的な決闘はたびたび起こっていたそうです。フランスではアンリ四世の統治中、年平均235人が命を落としたとか。多いじゃないですか・・・。数は少ないものの女性間でも決闘は行われたそうです。
では、決闘の絵画13点をご覧ください。
「作者不詳 写本の挿絵より 1295-1363年」
盾と剣を使った一騎打ちの図。両者公平となるように、太陽が
水平となる場所で行われていたとされています。
二人とも余裕ありげな表情をしておりますが、太陽が右の者を
見ているので彼が勝利したのでしょうか・・・。
「パウルス・ヘクトル・マイアーの蒐集による写本の一部 16世紀」
アウグスブルクの決闘による裁判。15-6世紀頃まで法律で裁く
ことができない問題があると、「神が判決を下してくださる」と
決闘裁判が行われました。勝利した者を神が選んだと判決するのです。
「フランシス・デ・ゴヤ作 1820-23年」
初期の頃は貴族の特権であった決闘も、時代を経るにつれて
平民も行うようになりました。こちらは二人の平民と思しき
男性が棍棒を振り上げ、互いに殴りかかろうとしております。
「ロバート・アレクサンダー・ヒリングフォード作 1828-1904年」
軍人間と思われる決闘。命や国がかかっている戦争についての
意見は食い違う事が多かった事でしょう。意見や名誉を賭け、
味方の立場でありながら決闘する者も多かったに違いありません。
「ジョン・ペティー作 1839-93年」
尻込み気味で観戦する者がいない分、ちょっと地味に見えて
しまいますね^^;命を賭けた決闘もありますが、相手が負けを
認めたり、怪我をしたりしたら終了する場合も勿論ありました。
「マルクス・ストーン作 1840-1921年」
うら若き乙女が「止めて!」と決闘を止めようとしています。
中年の貴族の元へ彼女が嫁いでいくのを、幼馴染の青年が
許せず、決闘を申し込んだと私は想像しました!←ぇ
「エミール・バヤール作 1884年」
決闘は男性がやるものという印象が強いですが、少ないながら
女性同士がやった事例も存在します。彼女達は自らの名誉を
守ろうと、互いに武器で戦い合ったのです。
流石に服は着ていたと思いますが・・・^^;
「エミール・バヤール作 1884年」
「和解」という題名。ダークレッドの衣服の方が勝利したようですね。
亡くなる寸前かと思ったら、女性の決闘はだいたい相手に怪我を
させて終了する事例ばかりのようで、この絵画の女性も腕をざくっと
やられて戦意喪失したのかもしれません。
「チャールズ・コッドマン作 1800-42年」
こちらの男性の決闘も決着が付いたようです。
奥の白シャツの者はまだいきり立っているように剣を拭いており、
手前では肩を貫かれた者がぐったりとしています。
ち、治療をすれば助かるのかしら・・・。
「アイザック・ロバート・クラックシャンク作 1789-1856年」
拳銃が普及するようになると、拳銃での決闘も起こりました。
互いに後ろを向いて数歩進み、振り向いてバーンと撃つ。
弾は1~3発以内と決められていたようです。この作品では
右の男性の方が早かったようですね・・・。
「イリヤ・レーピン作 1844-1930年」
寒々とした雪原の中、行われた決闘。胸を打たれた男性は既に
事切れているようです。名誉や愛を守るという口実の命の奪い合いは、
なんとも儚く虚しいように感じてしまいます。
「Adrian Volkov 作 1869年」
ロシアの作家アレクサンドル・プーシキンVSフランス士官ジョルジュ・ダンテス
の決闘。ダンテスはプーシキンの妻ナターリアの姉と結婚しましたが、
彼はナターリアに言い寄り、怒ったプーシキンが決闘を申し込みました。
結果はダンテスの勝利。怒りも虚しくプーシキンは息を引き取りました。
「イリヤ・レーピン作 1899年」
上記のプーシキンさん作の小説「エヴゲーニイ・オネーギン」に登場
する決闘シーン。主人公オネーギンは友人レンスキイを怒らせて
しまい、決闘により殺めてしまいます。決闘シーンを書いた作家が
自ら決闘により命を落とすのは、皮肉に感じてしまいますね・・・。
西洋で15-6世紀に決闘は下火になったと明記しましたが、ロシアでは18世紀後半から19世紀初頭にかけて決闘が流行したようです。もともとロシアでは「決闘は野蛮な風習だ」とされ、行われていませんでした。それがピョートル大帝の時代に「欧州と肩を並べる為」と決闘が肯定化され、エリート階級の間で決闘が流行することになってしまったのです。 しかも、ロシアの決闘は銃を用いルールとしての距離も近かったので、死者が続出しました。上記のアレクサンドル・プーシキンの時代と重なりますね。
プーシキン博物館へ行くと、実際に使って彼の命を奪った拳銃が展示されているそう・・・。プーシキン以外にも、作家のミハイル・レールモントフも決闘により命を落としています。
野蛮な風習とされていたはずなのに、皇帝が肯定する(ギャグじゃないですよ!^^;)だけで流行し、殺し合いが始まる。決闘の行為だけではなく、社会の影響力の恐ろしさを感じますね・・・。
【 コメント 】
>> 今更ながら……様へ
こんばんは^^
うわぁー恥ずかしい!ご指摘ありがとうございます。
自分の中ではプーキシンだと思い込んでいました。
なんという恐ろしき目の錯覚。
直しておきましたー^^;
ロシアの小説家チェーホフさんが引用しているなんて、プーシキンさんは有名で劇的な詩人だったのでしょうね。
プーシキン美術館、没後100年を記念して名前が変更されていたとは。
私も知らなかったです。
しかも、プーシキン美術館の所蔵数はエルミタージュに次ぐ第二位であったとは。
ロシアってそんなに所蔵数が多いのか…。
サマリー婦人、ぜひ来日して欲しいですね^^
プーシキンですね、プーキシンではなくて。
どこかで聞いた名前だと思ったら、チェーホフの『かもめ』ででした。
ちなみに、ルノワールの描いたサマリー婦人の肖像画があるのも「プーシキン」と名のつく美術館。……まあ別のプーシキンでしょうけど……と思ったら、同じプーシキンさんでした( ̄▽ ̄)
そうか、詩人の名を冠した美術館だったのか……
以前見たプーシキン美術館展は風景画の展示で、サマリーさんは来日してなかったので、いつか見たいです……
>> ソースを探してきました( ̄▽ ̄)様へ
こんばんは^^
わざわざソースありがとうございます!
夫VS妻のシュールな決闘に不謹慎ながら笑わせていただきました(笑)
あの中世の作風と格好、ポーズは反則ですね。
穴よりも格好にツッコみたくなりますw
この記事に入れ込めば良かったのになぁ…と今更ながら後悔しています。
女性のトップレスの決闘を描いた作品(写真も!)は結構あるのですね。
決闘するほど本気なら、脱いでも恥ずかしくない!って感じなのでしょうか。
現代の感覚で考えてしまっていました。
女性は強しですね…^^;
http://scorpionsufomsg.hatenablog.com/entry/2018/02/13/045543
https://ameblo.jp/koryu-nozomu/entry-12245769048.html
http://sekaishinbun.blog89.fc2.com/blog-entry-345.html
他にも、「決闘/穴/男女/中世ヨーロッパ」などで検索すると出てきます( ̄▽ ̄)
>> 平和を愛する人( ̄▽ ̄)様へ
こんばんは^^^
なんと、上を脱いで戦うのは史実でアリなのですね!
あながち的外れな表現ではなかったとは。ドレスでは動きづらいですからね…。
現代だと「Tシャツ着ればいいじゃん」となりますが、当時だと女性は男性の衣服を着てはならず、ドレスが嫌なら脱ぐしかなかったのかもしれませんね。
リベーラの女性決闘と言えば、イサベラ・デ・カラッツィVSディアンプラ・デ・ペティネルラの作品でしょうか。
リベーラが滞在していたナポリで実際に行われた決闘みたいです。彼女達は服着ていましたねw
男女の決闘の場合は、女性側が代理人を立てると思っていました。
代理人なしで決闘に挑む女性もいたのですね。
それにしても穴に入るハンデって、なかなか酷なような気がします^^;
女性同士の場合、当時の服装では動けないもんだから上だけ脱いでいた……みたいなことをどこかのサイトで読みました。(ソースなくてすみません^^;)
リベーラの描いたローマ人女性? の決闘は、時代が別でしょうから、服着てましたけどね。
ちなみに、男女の場合、男性が穴の中に入って戦うというハンデがあったそうな。戦っても紳士? ですから( ̄▽ ̄);