三人の生者と三人の死者の絵画10点。死が運命を告げる、メメント・モリの一種 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

三人の生者と三人の死者の絵画10点。死が運命を告げる、メメント・モリの一種

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 ある日、貴族(権威者)は蓋の空いた棺を見つける。その棺から三人の死者が現れ、私は教皇、枢機卿、法律家だったと言い、彼等はこう厳かに告げる。「君達も私達のようになる運命だ」とー・・・。
 この物語は「死の勝利」や「死の舞踏」と同様に、「メメント・モリ(死を思え)」の思想を表現した一つの主題です。人はどのような立場にいても命を落とす。死は必ず訪れるのだから、生前の行いをかえりみよう。という意味が込められています。東方に起源があるとされており、十字軍によってヨーロッパにもたらされ、13世紀頃にフランスを中心にして広まっていきました。
 では、三人の正者と三人の死者、もしくは三名の死者の絵画10点をご覧ください。

 

「フランスのパリにある時祷書より  1480 –90年」
教皇、枢機卿、法律家の元へやってきた死者。同様の帽子を
被っていることから同じ職業であることが分かります。
「どんな権威者でも、蛆が這う死者になるのですよ・・・」

「彩色写本の挿絵より 13-4世紀」
城から出てきた三名の若者の元に現れる死者たち。
「忘れるな。君達はやがて俺達のようになる」と告げています。
骸骨が一周回って男前に見えてきたぞ…!←ぇ

「ノルマンにおける詩より イングランド 1308-40年」
こちらは美しく着飾ったご婦人たちの元に現れる死者。
「どんなにお金を使って華美に飾ったとしても、
やがてはこうなるのですよ」と言っているかのよう。
一番右側の骸骨と目が合って、ちょっと可愛く見えてきますw

「写本の挿絵より」
生者に会おうと歩いている最中なのでしょうか。
スコップや鎌など死を思わせる道具を持って、街へと繰り出します。

「カスティーリャのジョアンナ1世の時祷書より 1500年頃」
勢いあまって馬ごと生者を襲ってしまった死者達。
静かに死を告げるはずが、すぐにでも仲間に加えてしまえ
という意気込みを感じます。

「ドレスデンの祈りの本のマスター作  1460-1520年」
宇宙人グレイを思わせる死者たちが告げた言葉に対し、
若者たちがかなりショックを受けているようです。
美しい装飾の中にも骸骨が紛れ込んでおり、生の儚さが
ひしひしと感じられます。

「ジーン・ル・ノワール作 14世紀頃」
「お前、まだ皮膚があるやないかーい!」って突っ込んでいる
ように見えてしまうのは私だけだろうか・・・w
三名の死者で朽ちていく段階を表現しております。

「フランスの写本の挿絵より 15世紀」
包帯っぽい布を持って通せんぼをしている三名の死者。
この先は死者の領域なのでしょうか・・・。

「Antoine Vérard より出された写本挿絵より 1491-2年」
一人の隠遁者の元に現れた死者たち。キリスト像を見て、
うろたえているようです。人は死に抗えないけれど、神の子は
死を超える。最後の審判の際には全ての者が甦る。という
意味が込めれられているのでしょうか。

「ドイツの詩篇より  16世紀」
旧友に会う感じで「やあ!僕、死だよ!」って手を挙げて
いますねw しかし、手に持つ長矢で彼等の命は儚い花の
如く、刈り取られていくことでしょう・・・。

 
 「3」という数字は、キリスト教においても他の宗教においても特別な数字です。
「3はすべての宗教の中心的な数である」とヴォルフガング・ヘルトさんという方が書籍にて述べています。三位一体や東方の三博士など、聖なる存在として用いられることが多いです。そんな3という数字ですが、ここではあまりプラスのイメージとして使われていないように感じます。

 ただ、運命を司る女神であるギリシア神話のモイライや、北欧神話のノルニルは「過去、現在、未来」を象徴しており、スフィンクスがオイディプスにした謎「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か」の答えは「人間」であり、「赤ん坊、若者、老人」の三つの段階を表しています。時間は死と密接に結びついており、死のシンボルの一つに「砂時計」があります。3は神聖な数字であると同時に、人間の時間的流れを表した、メメント・モリ的な数字でもあるのではないでしょうか。

→ メメント・モリにまつわるモチーフの絵画を見たい方はこちら

 

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【 コメント 】

  1. 管理人:扉園 より:

     >> 季節風様へ
    死はどんなに地位が高い者にも、突然訪れますから…。
    現代の感覚では少しゆるい作風ですが、貴族の者達はこの挿絵を見た後に旅に出ると、「先の橋の傍に木がある。陰から死が現れないだろうか…」と不安に思ったかもしれませんね。

  2. 季節風 より:

    生者が上流階級らしき若い人で、いきなり死神さん達が現れるという感じの絵が多いんですね。怖さが増します。

  3. 管理人:扉園 より:

     >> 美術を愛する人様へ
    こんばんは^^
    長らくお待たせしてしまいすみません…。
    死が身近な存在であったという理由はあると思います。
    科学が進歩しておらず、未知の自然の中で超常的な事を信じていた中世の人々にとって、死というのは現実味のある恐ろしい存在だったのでしょう。
    身近なリアルな恐怖だからこそ、笑い飛ばしてしまおうとユーモラスに描いたのかもしれません。
    また、中世においての美術は「抽象」を奨励されており、リアルに描くことはタブーとされていました。(神やキリスト、聖人達の聖なる姿は人間では表現しきれないから、象徴的に表されるべきという思想)
    中世の独特のヘタウマ美術は、こうした思想から生み出されています。
    もう一つ、キリストは「死」を超越したと考えられ、死は抗えない存在であっても悪魔と似たように考えられている部分があります。
    恐ろしい悪魔や地獄は侮蔑されるように、ユーモラスに描かれることがあり、そういった理由もあるかもしれません。
    長々と失礼しました^^;

  4. 美術を愛する人 より:

    新しい記事、お待ちしておりました。
    死がどこかユーモラスに描かれているのは、時代によっては死が現代よりさらに身近だったためでしょうか。ある意味、生きた人間より表情豊かに表現されている気がします。

  5. 管理人:扉園 より:

    >> 美術を愛する人様へ
    こんばんは。
    ありがとうございます!^^
    再開の第一記事は、やっぱりメメント・モリ系にしました。これから色々な記事を書いていきたいと思います!
    亀のようなのんびりとした更新ですが、よろしくお願いします。

  6. 美術を愛する人 より:

    はじめまして!
    再開、おめでとうございます!
    新しいダークでユニークな世界を拝見できる事、とても嬉しい気持ちです。
    お忙しい中での更新は大変かと思います。
    これまで紹介してくださった作品を振り返りながら、次の更新を楽しみにお待ちしております。
    ありがとうございます。

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