中世時代において、宗教画は「リアルであってはならない」ものでした。
現世に生きる私達が、神聖なるキリストや神、聖人達を表現できる訳がない、聖なる存在を現実的に描くのは冒涜的である、という理由からです。それ故、中世の作品は象徴性が重視され、ヘタウマみたいな個性的な絵となったのです。その流れの中でイエス・キリストと言う存在は概念化、象徴化されるようになり、独特の表現が用いられるようになりました。
それがこの「キリストの五つの傷(The five wounds of Christ)」、または「五つの聖なる傷(Five Holy Wounds)」と言う主題です。傷が付いたハートと手足が浮かんでいる姿。なんかもう、シュールすぎますよね・・・^^;
これはキリストが磔刑された際に受けた傷 (手足は釘で打たれ、胸を槍で刺された) を表しており、彼が人類の原罪を背負って亡くなったという意味を強調しております。この表現は意外に使われていたようで、多くの挿絵が残されていました。
では、キリストの五つの傷の作品、14点をご覧ください。少しだけ閲覧注意のところがあります。
「Abraham Aubry と Johann Toussyn 作 1651-1700年」
磔刑された姿から聖なる傷を強調するあまり、顔、両手、両足、心臓
だけの姿となってしまいました。傷口からは血が噴き出して足元に
溜まって泉と化しています。
「マグダラのマリアの絵画の親方作 1483-1527年」
こちらはもうキリストの姿さえ見えず、十字架に茨の冠がかけられ、
手足、心臓が浮かんでいます。「キリストは人々の為に血を流した」
という事を象徴的かつダイレクトに伝わるようした結果、
こうなってしまったのです。
「イギリスの書籍の版画挿絵 1495年頃」
こちらの版画作品も同様の表現をしていますね。当時の人々は
心臓はハート型をしている、と思っていたという事が分かりますね。
このキリストの傷は「聖痕」とも呼ばれています。
「ドイツの画家作 1484-92年」
なんかもうキリストが可哀想に思えてくる作品。
十字架に磔にされて傷を負った話だというのに、バラバラ事件に
なってしまったかのように感じます。
「ドイツの彩色写本の挿絵より 1469年頃」
なんか手足とハートのみが描かれた作品だというのに、生々しく
感じますね^^;キリストが心肺停止したかどうか確認する為に、
兵士の一人が心臓に槍を突き刺したとされ、その槍は「ロンギヌスの槍」
と呼ばれて、様々な伝説が生まれています。
「イギリスの書籍の挿絵より 1475-1550年頃」
十字架も茨冠も、釘も槍も血の盃も取り払われ、残ったのは
手足と心臓のみ。切り口の感じとハート型の心臓の感じが、
名状しがたい鬼気迫る気迫を生み出しているような気がします・・・。
「イギリスのステンドグラスより 15世紀」
ステンドグラスに登場してしまった「五つの聖なる傷」。
心臓というよりも、なんか一種の果物のように見えますね。
手足の生えた果物・・・。シュールすぎます。←失礼すぎる
「ドイツのヴァルトブルク時祷書の挿絵より 1486年頃」
心臓のど真ん中をぐっさりとやられてしまっています。
手足の生え方が雲に巻かれているようであり、独特の表現ですね。
もうこういう生物のように思えてきました。このまま浮いてそう・・・。
「イギリスの書籍の挿絵より 1495-1505年頃」
こちらはハートから手足が生えてしまいました。もう既に一種の
生命が誕生してしまいました。これが私達の原罪をあがなった
イエス・キリストであると紹介されて、当時の人々は納得したの
でしょうかね。怒らないのかな・・・。
「サイモン・ベニング作 1525-30年」
天使に導かれた手足心臓だけのキリストが現出し、教皇や司祭、
信者の人々は深い祈りを捧げています。私から見たらせめて
顔は描いてあげよう!と思うのですが、五つの聖なる傷だけの
表現で良かったのでしょうかね・・・。
「イギリスの彩色写本の挿絵より 15世紀」
心臓は描かれず、画面いっぱいに描かれた傷で胸の傷を表現して
います。なんかもう恐ろしい事件か、ホラー映画にしか思えない作品
ですね。この手足が廊下を浮遊して来た日には・・・。気絶します^^;
「作者不詳 フランス 1700-25年頃」
こちらは五つの聖なる傷から離れ、傷のついた心臓だけとなった
キリスト。表現が行くところまで行った結果、手足すら無くなって
しまいましたね・・・。天使達が祝福と祈りを捧げる中、
神と鳩(聖霊)とキリストで三位一体を成しています。
「Jose de Paez作 1770年」
こちらも手足がなくなり、傷のついた心臓だけとなった姿。
ここで注目すべきは心臓の形です。ここに来てかなりリアルに
なりましたね。医学の発展が絵画に影響を与えました。
祈る二人は聖イグナチオ・デ・ロヨラと聖ルイス・ゴンザーガです。
「Loftie Hours の挿絵より 15世紀半ば」
時代は過去に戻りますが、五つの傷の究極の到達点はこれでは
ないでしょうか。キリストの姿は何もかも消え、あるのはただ傷口のみ。
概念や表現の複雑さを削っていった結果、こうなったのでしょうかね。
なんかもう、そのアイデアに脱帽です。
どうしてそのような現象が起こるか解明されていませんが、キリストの受けた五つの「聖痕」は、宗教を深く信仰する信者たちの身体にも生じる事があります。外的な要因なくして、手足や胸が痛み、血が流れてくるのです。聖痕が確認され出したのは13世紀頃だとされ、信心深い女性に多いとされました。列聖に加えられた修道士の者の中にも聖痕が生じた者がいました。伝説によると、聖痕が生じる前にキリストや聖母マリア、天使の姿を見たり、声を聞いたりするとされ、傷口から芳香を発することもあるそうです。
そのメカニズムは全く分かりませんが、一種の強力なシンパシー(共鳴)が原因なのではないかと考えられています。これらの絵画を顧みてみると、当時の人々がどれだけキリストの聖痕を重要視し、強調したかったのかは感じられますね。この凄まじい熱意が超常現象を生み出したのかもしれません・・・。
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