血からワインを作るキリストの絵画11点。我が血液はワインなりを実践した救世主 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

血からワインを作るキリストの絵画11点。我が血液はワインなりを実践した救世主

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ec flamande, pressoir mystique, 1600 -

 キリスト教ではない方でも、イエス・キリストの血とワイン(葡萄酒)と関連があることを知っている方はいるのではないでしょうか。新約聖書の「最後の晩餐」において、キリストはパンをとって「これが私の身体である」と言い、ワインの入った杯をとって「これが私の血である」と言って弟子達に与えたということから、パンとワインはキリストを表す重要なものになりました。

 ユダヤ教の過ぎ越し祭では、子羊を殺めてその血を神の生贄に捧げることが行われました。その犠牲は「罪があがなわれる契約の血」とされています。旧約聖書のイサクの犠牲においても、子羊の犠牲の儀が行われています。キリストのパンとワインはそれを象徴しています。教会のミサでそれらが使用されることで需要が高まり、西洋においてワインはメジャーな存在になっていったそうです。
 「イエス・キリストの聖なる血=ワイン」という構図は絵画でも表現され、救世主自らがワインを作ったり、血をそのままワインとして民衆が飲んでしまう、なんていう作品もあります。
 では、血がワインにかわるキリストの絵画11点をご覧ください。



「写本の挿絵より 1450年」
中世の人々はワインを作るために葡萄を踏んで潰して発酵
させていました。そのお仕事をキリスト自らがやっています。
その手作りワインが数多の民衆の元へと運ばれています。
le Christ et les sacrements der spiegel des lindes cristi 1450

「モントフォート伯のウルリッヒ7世の彩飾写本より 1515-20年」
磔刑された御姿のまま、ワインを作る為に葡萄をふみふみして
います。創造主と天使さんがお手伝い。神のワインづくりも
大変です。
Livre de prières de Ulrich de Montfort

「作者不詳 彩飾写本の挿絵より」
血だらけのキリストからワインを採取しようとしている
天使さん達。天使がキリストをいじめているように
見えてしまう・・・。すみません。
Christ in the mystical winepress

「作者不詳 彩飾写本の挿絵より 1485-93年」
助けを求めるかのような表情、だばだばと桶へと流れる血。
拷問器具にしか見えないぃ・・・!
Miniaturiste anonyme provençal1485-93

「作者不詳 17世紀」
脇腹の傷口から生えた樹から、ラズベリーにも似た巨大な葡萄が
生えています。その実をを持ちワインに。
Unidentified painter 17th

「Jehan Bellegambe 作 1470-1534年」
血であるワインを飲むどころか、お風呂のように人が入っています。
こちらは「神秘の入浴」という作品で、美徳の象徴である
女性が罪を洗い流している最中であるとのこと。
Triptyque du Bain mystique Bellegambe Jean 1470-1534

「ドイツのボーゲンベルクにある作品 17世紀」
人々の為に流した贖いの血。それを溜めて下に流し、罪深き
人々に捧げています。やっている行為はちょっと恐いですが、
皆さんが敬虔な表情をしているので納得はできますね。
XVII Eglise du salut Bogenberg Allemagne

「フアン・コレア作 1690年」
フランシスコ会の説教者であったポートモーリスの聖レオナルドさん。
キリストの天を向く表情が「あれ、私は何故こんな事を?」と
いう疑問に思えてきてしまう罪深き私。
St. Leonard-Port Maurice 1890

「マルコ・ピーノ作 1571年」
天上で栄光の光を浴びるキリストの下では、十字架に圧し潰され
そうになりながら歩く姿が。その下の血だまりをせっせと壺に
回収する聖職者たち。象徴的な表現だと知りつつも、キリストが
報われなく思えてきます・・・。
o dal Pino Mystische Kelter und Christus in der Glorie 1571

「フランドル出身の画家作 1650年」
こちらのキリストは快く我が血を差し出し、葡萄というか
ライムみたいな果物と共にワインに変えられています。
背後の天使さん達もなんだか楽しそう。
anonyme flamand, La Fontaine de Vie. 1650

「ベルギーのヘントの聖堂の絵画より 作者不詳 1600年頃」
足を怪我している者、病を患っている者、老人など、様々な
人々がキリストの血であるワインを求めてやってきています。
奇跡のルルドの泉などと同様、キリストの血は治癒の効果が
あると考えられていたようです。
ec flamande, pressoir mystique, 1600

 血をワインへと変えて人々に飲ませる、というある意味衝撃的な内容の作品。ですが、キリストはワインの他にもう一つこう残しました。パンを手に取って「我が身体である」と。それならば「キリストの身体がパンに変わって人々に与える絵画もあるのではないか!?」と思って調べてみましたが、流石にありませんでした^^;
 最後の晩餐でパンを掲げていたり、貧しい人々にパンを分け与える作品はあったのですが、キリスト自らがパンになるという衝撃的な作品は、残念ながら見つかりませんでした。中世やルネサンス時代の人々も、流石にそこまで直接的な表現は躊躇したのかもしれませんね。

 ここで私は日本の不屈の名作「アンパンマン」を思い出しました。調べてみると、作者のやなせたかしさんはクリスチャンであったようです。自らの身体をパンとして飢えた者に分け与えるアンパンマンは、ここから端を発しているのですね。
 身体をパンに、血をワインに。そのまま絵画で表現してしまうとシュールな感じになってしまいますが、その「他が為に」の真理は深く清く美しいものがあります。困った人がいたら、すっと手を差し伸べられるような人に、私もなりたいです。

→ 入ると若返るとされる「若さの泉」についての絵画を見たい方はこちら
→ イサクの犠牲についての絵画を見たい方はこちら


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