イサクの犠牲はイサクの燔祭(はんさい)とも呼ばれ、旧約聖書の物語の一つです。
ある日、アブラハムは息子イサクを生贄にせよ、と神託を受けました。信仰する神のお告げは絶対ですが、イサクは年老いてもうけた一人息子であり、非常に愛していたので、アブラハムは深く苦悩しました。悩んだ末、彼はロバに鞍を付け、愛すべきイサクを連れて神の命じられた場所へ向かいました。イサクは「どうして捧げ物の動物がいないの?」と問いかけるものの、父は「神がきっと授けてくださる」と言うだけでした。
生贄を捧げる場所へ到着し、アブラハムは息子を縛って祭壇の上へ寝かします。イサクはすでに事情を察しており、悟りきった様子で成すがままになっていました。苦悩を抱えたまま刃物を握り締める父。そして、アブラハムは息子に向かって凶器を振り上げ・・・。
イサクの犠牲を描いた傑作の数々をご覧ください。
「クリスチャン・ヴィルヘルム・エルンスト・ディードリッヒ作 18世紀」
祭壇の上に乗るよう、父が息子に伝えています。
画面の余白が物寂しさを生み、これからの悲劇を物語っております。
「ヤン・リーフェンス作 1659年」
「これは神が望んでいることだ。お前は犠牲の子羊にならねばならぬ」
「・・・はい、分かっております。お父様」
アブラハムは息子へ向かって、刃物を振り上げた。そして・・・。
「レンブラント・ファン・レイン作 1635年」
「アブラハム、お止めなさい。貴方の敬虔さは伝わりました」
舞い降りてきた天使が、彼の腕をそっと掴みました。
ナイフは乾いた音を立てて地に落ちます。
「Pedro Orrente 作 17世紀」
どこからともなく現われた羊を指し、天使はこれを使いなさいと言いました。
「神は貴方を試しました。清き信仰を示し、息子は助かったのです」
「ヤーコブ・ヨルダーンス作 1630年」
正座をしてぎゅっと目をつぶり、全身の筋肉を硬直させるイサク。
彼の緊張を迫真で描き出しています。
「カラヴァッジョ作 1603年」
父の押さえつけ感が恐ろしい。天使さんも厳しめの表情。
息子さんの顔が、恐怖と痛みに歪んでいますから。
「ティツィアーノ・ヴェリッチオ作 1544年」
イサクの年齢は諸説あり、5歳~37歳まで様々。
ティツィアーノのイサクはほんの少年です。それでも悟りきった表情を。
「Juan de Valdes Leal 作 1659年」
黄色と赤の色が鮮やかな天使が、そっと手を置いて制止しています。
劇的なシーンですが、緊迫した静寂さが漂います。
「ハンブルクの聖ピーテルのGrabowerの祭壇一部 1383年」
中世時代のイサクの犠牲は、天使が片手真剣白刃取りで、羊が
二足歩行してくるようです。何とも言えないシュールな素敵さを感じます。
「ヤン・リーフェンス作 1638年」
こうして息子は助かり、父はよりいっそう神を信仰するようになったそう。
天を仰いで抱き合う二人と、足元に転がるナイフが印象的です。
ハッピーエンドだったとはいえ、信仰の深さを試す為に息子の命を天秤にかけさせるなんて、神様は鬼畜すぎるなぁと私は思うのですが。もしアブラハムがイサクの方を選んだら、神はどうしたんでしょうか・・・。恐ろしい結末と化すんでしょうかね。聖書の内容は悲惨なものも多いですし。なかなか時代や文化の違いの垣根は高いです。
なんにせよ、二人が助かって良かったです。
【 コメント 】
>> 季節風様へ
こんばんは^^
神の啓示を受けていない普通の人が息子を生贄に捧げたら、大犯罪ですね…(汗)
片手真剣白刃取り…って、過去の自分が書いた文章が何気に恥ずかしい^^;
元々神に動物を生贄として捧げる風習があり、神は「動物ではなく息子を犠牲にせよ」とアブラハムに宣言しました。
アブラハムの覚悟と信仰を理解した神は天使を遣わせて子殺しを阻止させ、「これを生贄に捧げなさい」と羊を寄こしました。
その後、アブラハム&イサクは羊を犠牲にして神に祈りを捧げたのでしょう。
こんばんは。
アブラハムは神の御言葉を聞いたり天使に腕を掴まれるほどの特別中の特別な人ですからね。普通の人がこんなこと仕出かすと大犯罪ですが。
レンブラントの絵に強く感動します。ハラっと宙に浮くナイフも緊張します。
「中世時代のイサクの犠牲は、天使が片手真剣白刃取り」が武士の情けな天使で素敵です。
羊が描かれてる作品が多いですが謎です。