底辺の地位で生きる物乞い。厳しい西洋の身分社会を生き抜く乞食の絵画 11選 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

底辺の地位で生きる物乞い。厳しい西洋の身分社会を生き抜く乞食の絵画 11選

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 西洋の中世時代は厳格な身分制社会でした。
 裕福層と貧民層が明確に分けられ、貧民の者が富を手に入れることはごくまれで、基本は産まれた地位のままで生を終えました。そして、身分社会の底辺で生き抜く人々が「物乞い(乞食)」です。物乞いとして生きる人々は病気や怪我の治療もままならずに道端で命を落とし、名も知られないまま葬られてしまいます。共同墓地にすら入れられない場合もあります。
 このテーマは難しい問題を含んでいる為、気を付けたつもりですが不快な表現がある場合があります。それでは、下層の人々の絵画11点をご覧ください。

「聖エドマンド王の挿絵  1130年」
王から施しを受ける物乞いたち。貧者に喜捨をすると天国へ行ける、
とキリスト教は教えていた為、裕福層の中には物乞いへ
積極的に施しを行う者もいました。

「ジャック・ベランジェ作  1615年」
ぼろぼろの衣服を身にまとい、人の援助を受けて生活する物乞い。
中には町から町へ渡り歩く、旅人的な物乞いもいました。

「フランスの作者作  16世紀」
長く施しをもらって生活している物乞いは、どうやって掛け合ったら
施しがもらえるか熟知しており、一種の職業と化していました。
貧乏な一般人より満たされている物乞いもいたそうです。

「ピーテル・ブリューゲル(父)作  1568年」
働くことが難しい、身体の不自由な障害者、病気持ちの方が
物乞いとなる可能性は高かったです。西洋社会は一目見て身分が
分かるように、決められた服装をしていなければなりませんでした。

「作者不詳  18-19世紀?」
19世紀頃まで「Sin Eater(罪を食べる者)」 (wiki) という風習が
行われていました。葬式の場で出された食事を貧者に与えることで、
死者の魂の罪が軽くなると考えられていました。
右側の貴族が見るのも嫌だといった感じに、顔を隠しています。嫌な奴じゃ・・・。

「ギュスターヴ・ドレ作  1881年」
スペインのバルセロナにある大聖堂の前でたむろする物乞いたち。
教会から施しの食べ物を貰おうと溢れえかえり、中には物乞いに
成りすまして食べ物を貰おうとする一般人もいました。

「John Worley 作  1705年」
その為に「Beggars badges(乞食のバッジ)」 (wiki)を作り、
登録制にしたとか。バッジを持っている町の公式の物乞いしか施しを
与えず、その他は追い払うという対応を行いました。

「Giacomo Ceruti 作  1736年」
老人の男女。乞食の中にも組合(ギルド)があり、上下関係があった
そうです。組合に入れば援助も優遇されるし、情報も入る。
彼等の目付きは鋭く、生活の厳しさが感じられます。

「バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作   1645年」
たくましく生きる少年たち。子供とはいえ支援はほとんどなく、
自らの力で生きていかなければなりません。
葡萄とメロンは今でも当時でも高級品なので、盗んできたものなのでしょうか。

「Giacomo Ceruti 作  1720年」
乞食の中で一番苦しみを味わっていたのが、
子供連れの寡婦や未婚の女性でした。西洋社会の女性は
非常に低い地位となっており、労働しようにもできない立場にありました。
この女性は古い糸をかき集めて、糸を紡ごうとしているのでしょうか。

「ドイツの画家作  19世紀」
雪の日に少女が何かを売ろうとしており、マッチ売りの少女の
ようにみえます。当時、住む場所も食べる物もなく、雪の寒さに
震えて命を失った少女は何名もいたのでしょうか。

 乞食はキリスト教の施しによって援助を受けておりますが、全く施しを受けられない者もいました。人々にさげすみの目で見られていたし、宿無しなので寒い日には凍死しますし、病気の影響を一番に受けました。しかも、彼等には裕福になる手段は殆どなく、一生乞食として過ごさなければならないのです。
 他にも貶められている身分はたくさんありました。死刑執行人、墓堀人、皮剥人、牢守人、粉引き、遍歴職人、芸人などです。彼等も人々に白い目でみられ、肩身の狭い思いをしなければなりませんでした。こういった差別意識は絶対になくさなければならないように思います。

【 コメント 】

  1. 管理人:扉園 より:

     >> 思い出様へ
    こんばんは^^
    私も以前に東欧や北欧に行った時、何人かの路上生活者を見ました。
    ツアー参加だったので、そこまで沢山はいませんでしたが…。
    ヨーロッパは情報の発信地であり、洗練されていて、美しい国であるというイメージ(先入観?)を日本人は持っているような気がします。
    パリ症候群にかかる日本人が多いと言う話も聞きますし…。
    パリやローマ、プラドなど、表向きはきらびやかな芸術多き国ですが、その裏は物乞いや犯罪などの問題が激しいですよね。
    表と裏。それを全てひっくるめての国であると認識したいですね。
    暗い思い出を想起させてしまってすみません^^;
    それでも私は西洋にまた行きたいなぁと思ってしまいます。

  2. 思い出 より:

    扉園さん、こんにちは。
    あるとき訪れたパリの路上にはたくさんの物乞いがいました。
    その姿は、上の絵に描かれた物乞いが美しいと思われるほどでした。
    綺麗に着飾った女優さんがパリの街並みを颯爽と歩く姿などをテレビで見ると、その足元も写して報道して欲しいと思うことがあります。
    ゴミ・物乞い・スリ・・・。
    ヨーロッパの他の都市を訪れた知人からも同じような話を聞きましたが・・・。
    このページを眺めて、旅先での暗い気持ちを思い出しました。

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