旧約聖書の「ヨブ記」は、善人ヨブが理不尽な苦難を負わせられる物語です。
ヨブは正しい人でした。10名の子供がおり、彼は人生に満足を感じていました。一方、天界では神とサタンと御使い達が集まっていました。サタンは「ヨブの信仰心はまやかしで、偽善である。財を失えば神を呪うだろう」と指摘し、神はヨブを信頼していたものの、試してみることにしました。サタンはヨブの財産や家畜、子供達を奪いますが、彼は罪を犯しませんでした。「肉体的な苦しみがあれば、神を裏切るだろう」とサタンは考え、今度はヨブを傷付ける権利を神から得ます。ヨブは酷い皮膚病にかかってしまい、伝染の恐れから社会から隔離されることになりました。彼の妻があまりの不幸に悲しみ、神を呪いなさいと言いますが、ヨブは決して神へ恨み言を言いませんでした。
サタンの苦難にも耐えたヨブでしたが、彼の元に三人の友人がやって来て議論を戦わせることになります。「知らずに罪を犯していたのでは」と疑い、彼等はヨブに神に懺悔をするように勧めますが、彼はそんなことはないと強く自己主張します。その時、天から「因果応報で何もかもが説明できるわけではない」という声が届き、ヨブは我が出すぎたことを反省し、災いも神の支配下にあるという事を再認識して三名の友の為に祈りを捧げます。こうしてヨブの病は癒え、家畜は二倍になり、再び子宝に恵まれて寿命をまっとうしたとされています。
「義人の苦難」をテーマにしたヨブ記の絵画、13点をご覧ください。
「Corrado Giaquinto 作 1750年」
神の御前に出たサタン。ヨブを信頼している神に対し、サタンは
「ヨブは偽の信仰だ。不幸になれば神を呪うぞ」と進言し、
ヨブの財産全てを奪う権利を与えられます。ヨブは家畜と子供たちを
同時に失いますが、神への信仰を止めませんでした。
「時祷書 15世紀」
今度は「やり方が甘かった。肉体的な苦痛が続けば神を呪う」と
サタンは言い、神からヨブを傷付ける権利を得ました。ヨブ記における
サタンは、神に反抗しながらも部下のような役割をしています。
「フランスの聖書 16世紀」
サタンはヨブを散々うちすえ、全身に嫌な腫物を生じさせました。
サタンがゆるいです。ムッ〇とガ〇ャピ〇の仲間のような顔をしています…。
ヨブの奥さんがバッチグー!と言った感じに親指を立てて
笑顔なのが恐ろしいです。
「写本「Mirror of Human Salvation」の挿絵 15世紀」
小物感があるサタンが鞭のようなものを持って、ヨブを虐めています。
それに妻はご立腹の様子で、サタンより妻が大きく強そうに見えます。
妻がサタンをやっつけてエンドというとんでもないストーリーに・・・。← ぇ
「ベルギーのアーフリゲムにある写本 12世紀」
口から火を吐きながらヨブに襲いかかるサタン。
全身に赤い斑点ができたヨブは、死んだ目で灰の上に座っています。
皮膚病は当時治らずに末期とみなされ、死ぬまで隔離されていたのでした。
「ウィリアム・ブレイク作 18世紀」
ブレイクはこのテーマの作品を何枚も描いています。
ヨブに乗ったサタンはドヤ顔をして、腫物をまき散らかしています。
足元の妻は顔を覆い、嘆き悲しんでおります。
「アルブレヒト・デューラー作 1504年」
皮膚がただれて腫物ができても神への信仰を止めないヨブに、
妻は水をかけながら侮蔑の目を向け、「あんたを不幸のどん底へやった
神なんか呪ってしまいなさい!祈っても利益にもなりゃしない!」と言います。
「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 1593 – 1652年」
そういう妻に対し、ヨブは「私たちは神から幸福を得たのだから、不幸も
得るのも道理ではないか」と言って妻の言葉をはねつけます。
デューラーとラ・トゥールの作品は表現の仕方が全く違いますが、
お互いに二人の心境がよく表れているように感じます。
「ウィリアム・ブレイク作 18世紀」
腫物に苦しむヨブの元に、遠出から帰って来た三名の友人が現れます。
彼等はヨブに「無意識のうちに罪を犯したから罰を受けたのではないか。
神に深く懺悔をしなければならない」とアドバイスをします。
→ ウィリアム・ブレイクの絵画をもっと見たい方はこちら
「Gerard Seghers 作 17世紀」
しかし、ヨブは「そんな覚えはない。私は神への忠誠を貫いている」と
自己弁護をします。災いを巡って、三人の友とヨブは議論を戦わせます。
そのシーンがやたらと長いんですよ・・・。ヨブは弁護をしている内に
自己主張が過ぎてしまうようになりました。
「イリヤ・レーピン 作 1869年」
その時、神自身が現れ、いかに神の見地が高いかを知らしめました。
これによってヨブは反省し、三名の友のために深く祈りました。
忠誠を証明するとその病はすっかりと治り、財産もこれまでの二倍となり、
子宝にも恵まれて寿命まで幸せに暮らしました。
「フランドルの画家 1480‐90年」
異時同図法となっている絵画。左側から神とサタンの駆け引き、ヨブへの
攻撃、右に行って妻とヨブの会話、右下で三名の友人との議論、
奥はヨブの救済が描かれていると思います。
「レオン・ボナ作 19世紀」
ヨブ記は正しい人にも不幸が襲いかかる。何も悪いことをしていない
善人でも深く苦しむことがある「義人の苦難」というテーマを扱っています。
ガリガリに痩せた老人ヨブは「どうしてですか」と苦し気に天を
見上げています。悲痛な声が絵画から漏れ出てくるように感じます。
悪事を働いたら天罰がある。善行を行ったら幸せが訪れる。そう私たちは信じがちですが、世の中は上手くいかず、そう簡単な構造にはなっていません。犯罪をしても捕まらずに平穏に生きている人もいれば、聖人のような者でも夭逝してしまう人もいます。この世は理不尽に満ちていて、予測ができません。
ヨブ記は神とサタンの駆け引きとして表されているものの、慈悲深い神と現実の理不尽さの矛盾を説明するような作品のように思います。どんな不幸があったとしても、人類の思考を凌駕している神だから、私たちには理解できない。凡人の私はヨブのようになれず、妻の意見に賛成してしまいそうです…(^^;
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