• メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

    ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

    ヘラクレスとオムパレーの絵画14点。女装豪傑とワイルド女王のカオスめいたお姿

    Luca Giordano -

     ヘラクレスとオムパレーはギリシア神話に登場する、力自慢の英雄とリューディアの女王です。
     ある日、ヘラクレスは女神ヘラに狂気を吹き込まれ、親友イピトスを殺めてしまいます。それ故に病を患ってしまい、ヘラクレスはデルポイに訪れて神託を受けようとしますが、巫女は取り合ってくれませんでした。彼は怒り、三脚台を奪おうとした為、止めに入ったアポロンと戦闘となりました。ゼウスは双方の戦いを仲裁し、アポロンは「三年間奴隷として奉公すれば、殺人の償いとなり病は治るだろう」と予言を残します。

     こうしてヘラクレスはヘルメスに連れられ、リューディアの女王オムパレーの元で奴隷生活を送ることになりました。その間にもヘラクレスは様々な功績を残したされていますが、こんな伝説もあります。オムパレーは尊大な女主人で、ヘラクレスは女装させられた上に糸紡ぎの仕事をやらされました。オムパレーはヘラクレスの獅子の皮を身にまとい、棍棒を持ちましたが、その重さによろめいたそうです。オムパレーの領地が敵に攻撃された時、ヘラクレスが棍棒を持って敵を掃討したので、オムパレーは彼を夫として、三人の子をもうけたとされています。この物語は画家達の興味を引きたてたようで、想像以上の作品が残されていました。
     糸紡ぎをする女々しいヘラクレスに、棍棒を担ぐ勇ましいオムパレー。あべこべな二人の絵画14点をご覧ください。

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    聖エラスムスの絵画14点。拷問に耐えたが、巻き取り棒で腸を出されて殉教した聖人

    Heinrich Vogtherr 1516 -

     聖エラスムスは3~4世紀頃に生きたとされる、カトリックの聖人です。アンティオキアのエラスムスとも呼ばれ、生きながらに腸を巻き取られて殉教したとされています。
     聖エラスムスはシリアのアンティオキアの司祭でした。彼はキリスト教を迫害しているローマ皇帝ディオクレティアヌス帝に捕らえられ、激しい拷問を受ける事になります。その内容は凄まじく、暴行、汚物をかける、斧で打ち、蛇やミミズのいる穴に投げ込む、煮えたぎる油&硫黄に放り込む等を行いました。しかし、聖エラスムスは何事もなく無傷でおり、彼が神に祈ると拷問史達に落雷が起きたそうです。

     この時は聖エラスムスは生き延び、マクシミアヌス帝の時代になりました。今度も彼は拷問を受ける事になり、鋭い針が突き出した樽に入れて転がす、やっとこで歯を抜く、指に鉄の爪を打ちつける、松脂や硫黄、鉛等を熱して口に流し込みましたが効果はなく、聖エラスムスは生きていました。
     しかし、無敵の聖エラスムスにも臨終の時が訪れます。303年、イリュリアの場でまたもや捕らえられた聖エラスムスは、片腹を裂かれて腸を引っぱり出され、巻き上げ機に腸を結ばれて巻き上げていかれたのです!こうして殉教してしまった聖エラスムスですが、この逸話は印象に残ったのか、何名かの画家によって生々しい作品が残されています。
     では、腸をぐるぐると巻き取られてしまった聖エラスムスについての絵画14点をご覧ください。閲覧注意になりますので、ご了承ください。

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    化粧するヴィーナスの絵画13点。鏡を見つめ、侍女に身支度をさせる美を司る女神

    The Toilet Of Venus by Peter Paul Rubens -

     化粧するヴィーナス (The Toilet of Venus) は、ルネサンスからバロック、ロココ時代に流行った絵画テーマです。
     化粧をしているのではなく、鏡を見たり、キューピッドや侍女に身だしなみを整えさせている美の女神ヴィーナスとして描かれることが多いです。原題の「Toilet」 はトイレという意味ですが、「身だしなみを整える」という意味としても使われ、身支度をしていることを指します。古代ローマの時代から身だしなみを整える女性の絵画は存在しており、それが派生して美しさの象徴であるヴィーナスに変化したのだと思われます。
     よく似た題名に「鏡のヴィーナス(Venus with a Mirror)」 がというものがあり、鏡に顔を映して身支度するヴィーナスの絵画に使われます。これらは時として混同されて用いられており、この記事では同一として紹介させていただきます。
     では、化粧するヴィーナスの絵画13点をご覧ください。

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    老人と美女の絵画13点。金品と欲望の皮肉に満ちた、フランドルで流行した絵画主題

    Lucas Cranach the Elder. Ill-matched Lovers -

     年の差婚。現代でもあまりにも年の離れたカップルは話題となり、様々な詮索を受ける対象となりがちですね。
     当時の西洋では、現代以上に年の差婚が行われておりました。純粋な恋愛による年の差婚はあまりおらず、国政や貴族の血統の権力によるものだったり、金品や美貌、名誉の為だったりと、欲望が渦巻いていました。
     老人と若い女(不釣り合いなカップル)という主題は古く、古代ローマの喜劇にも存在するとされていますが、16世紀頃のフランドルやドイツの画家達は、その主題を復活させて皮肉を込めた作品として描きました。老人は欲望がこもった目で娘を見て抱き寄せ、娘はお金や宝石を握ってほくそ笑んでいるというのが一般的に多いですが、娘が嫌がっていたり、逆に若い男と老婆という主題も見られます。
     では、老人と若い娘の絵画13点をご覧ください。

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    ロンギヌスの槍に関する絵画13点。キリストを突き刺したローマ兵の伝説なる聖遺物

    Gerard de la Vallee Longinus piercing Christ’s side a spear -

     ロンギヌスの槍は、キリストの磔刑時において彼が息を引き取ったのかを確認する為に、脇腹を刺したとされている槍です。聖槍とも呼ばれています。
     伝説によると、槍の所有者であるロンギヌスはローマ兵であり白内障を患っていました。槍を脇腹に刺したところ、滴った血が目に当たって病気が治り、彼はキリスト教に改宗して聖人となりました。重要な聖遺物とされたロンギヌスの槍は、真偽のほどは定かではありませんが歴史上に度々登場します。

     イエスの処刑から約600~700年後には、槍は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあるアヤソフィア大聖堂にあるとされていました。その600年後にフランス国王ルイ6世が先端部のみを買い取りましたが、フランス革命により行方不明。本体の部分は15世紀にオスマン帝国のスルタンが教皇インノケンティウス8世に送り、現在においてもサン・ピエトロ大聖堂に非公開で保管されているそうです。

     また、このローマの聖槍以外にも「アンティオキアの聖槍」、「神聖ローマ皇帝の聖槍」、「アルメニアの聖槍」など様々な槍が「ロンギヌスの槍」であると解釈され神聖視されてきました。アーサー王の聖杯伝説においてもロンギヌスの槍は登場し、様々な伝承や伝説が融合した結果、「所有する者に世界を制する力を与える」という魔力めいた能力まで有するようになります。北欧やケルトの神話や民話において、伝説の武器を使いこなす者は国を総べる。というエピソードが度々みられるので、その影響がみられるような気がします。
     では、伝説のロンギヌスの槍にまつわる絵画13点をご覧ください。

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    レンブラント・ファン・レインの絵画13点。光と影を追究し、栄誉と転落を味わった画家

    Man with a Falcon on his Wrist (possibly St. Bavo) 1661 -

     レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(1606-69)は、バロック期のネーデルラント(現オランダ)出身の画家です。「光と影の魔術師」という異名を持ち、明暗を強調した画風で知られています。
     8番目の子として生まれたレンブラントは1613年にラテン語学校に入学し、7年後には飛び級でライデン大学へ進学。翌年に画家を志して大学を退学し、歴史画家ヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフに弟子入りして三年間絵画について学びます。更に18歳の時にピーテル・ラストマンに弟子入りし様々な技法を学びました。

     レンブラントは自宅にアトリエを構え、製作にかかりました。同様にラストマンに師事していたヤン・リーフェンスとも知り合い、切磋琢磨しながら技術を向上させ、1628年には弟子を指導するまでになりました。技法研究に熱心であった彼は版画も手掛けるようになり、名声が世に広まってきました。1630年にレンブラントは故郷からアムステルダムへ移り、画商&画家のヘンドリック・ファン・アイレンブルフの工房を借りて制作を続けます。その後、彼のいとこであるサスキアと結婚し、邸宅を購入して大規模な工房を作ります。

     富と名声を得たレンブラント。しかし不幸も舞い込んできました。生まれた三名の子供は立て続けに死去。末っ子のティトゥスを産んだ翌年には、妻が病気になり亡くなってしまいます。「夜警」を手掛けていた頃でした。妻の看病や息子のお守りの為に雇われた未亡人とレンブラントは愛人関係となり、かねてから行っていた様々な骨董品を買い漁る浪費癖、彼の美術表現と依頼者の希望の乖離により、段々と仕事がなくなり資金が底をついて来ました。

     更に家政婦ヘンドリッキエとも愛人関係となったレンブラントは、未亡人と法廷で争って泥沼状態になります。金が底をついた彼は借金を背負って邸宅を手離し、貧民街に移りました。ヘンドリッキエと成人になった息子ティトゥスがレンブラントを支え、画家として細々と暮らしました。浪費癖の治らないレンブラントは借金と返済を繰り返して生活していましたが、ヘンドリッキエが病死。更にティトゥスも急死。最晩年のレンブラントは彼女との子供コルネリアと質素な暮らしをしながら、ひっそりと息を引き取りました。享年63歳でした。

     なかなか波乱万丈な人生を送ったレンブラントですが、彼の名声は400年後の日本においても褪せることなく輝いています。では、ブログでまだご紹介しておらず、更に独断と偏見で決めたレンブラントの絵画13点をご覧ください。

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    天地創造の絵画13点。唯一神は6日の間に天地と動物、アダムとイブを創造する

    The Creation Of The Birds And Fish by Flemish School -

     旧約聖書の「創世記」よると、世界は6日間の間に神によって創造されたとされています。
     1日目は宇宙と地球、昼夜を形作り、2日目は天空、3日目には大地と海、植物を創造します。そして4日目には太陽と月と星が生まれ、5日目には魚と鳥、6日目には獣と家畜と人間(アダムとイブ)が創られました。7日目になって神は休憩したとされています。天地創造の題材はルネサンスやバロックの画家達に人気があり、幾つかの絵画が残されています。
     では、世界と人間を生み出している神の姿13点をご覧ください。

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    夏の夜の夢の絵画13点。人間と妖精が織りなすシェイクスピアのあべこべ恋愛喜劇

    Scene From A Midsummer Night's Dream  by Sir Edwin Landseer -

     夏の夜の夢は、16世紀後半にウィリアム・シェイクスピアによって作られた喜劇です。
     貴族の娘ハーミアはライサンダーを愛しているものの、彼女の父親は「許嫁ディミートリアスと結婚しろ!さもなくば死刑か修道女だ!」と言い、その事をアテネの公爵シーシアス(テセウス)に告げます。シーシアスはアマゾン国のヒポリタ(ヒッポリュテ)との結婚を間近に控えており、「結婚式が行われる4日間の猶予をやろう。それまでにどの選択肢が良いか考えるがよい」とハーミアに言い渡しました。恋人達と許嫁、彼女の友人ヘレナの四人は森へと足を踏み入れます。また、6人の職人がシーシアスとヒポリタの結婚式の芝居の練習をする為に、森へと出かけていきました。

     一方、森ではオベロン王とティターニア女王が喧嘩をしていました。オベロンは嫌がらせの為に妖精パックを遣わして、眠るティターニアのまぶたの上に媚薬を塗ってしまいます。それは目覚めて一番に見た者を愛してしまうという効果を秘めていたのでした。パックはこの媚薬をティターニアだけではなくライサンダー達にも塗り、男二人がヘレナを愛してハーミアをけなすという、とんでもないことになりました。パックは職人のボトムをロバ頭に変えてしまい、あろうことか女王は彼を最初に見て恋心を抱いてしまいます。気が済んだオベロンは女王を気の毒に思い、魔法を解いてあげます。この事件でディミートリアスはヘレナを愛すようになり、彼はハーミアの父に頼んで罰を取り消してもらい、ハーミアとライサンダーの愛は認められたのでした。6名の職人も結婚式の芝居を成功させ、パックのお陰で誰もかもが丸く収まり、めでたしめでたしとなったのでした。
     では、夏の夜の夢の絵画13点をご覧ください。

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    聖ウルスラの絵画13点。ローマ巡礼後のケルンで大勢の乙女と共に殉教した聖女

    St Ursula Virgins The Master of the Legend of Saint Barbara -

     聖ウルスラは4世紀頃に生きたとされる、ブリタニア出身の伝説の聖女です。
     「黄金伝説」によると、ブリトン人の王の娘であったウルスラは、異教徒であるイングランドの王子に求愛されます。彼女は結婚を承諾する条件として、「キリスト教徒に改宗する」「十人の同伴者と11000人の乙女を集める」「ローマへの巡礼の旅に出る」という約束を取り付けました。王子は了承し、ウルスラは11000人の乙女を連れてローマへ巡礼の旅に出かけたのです。
     無事にローマ巡礼を果たした一行でしたが、帰り道に悲劇が訪れます。ケルン(ドイツ)で北アジアの遊牧騎馬民族であるフン族に襲われ、11000人の乙女と共に虐殺されてしまったのでした。ウルスラと乙女たちはケルンで丁重に葬られ、聖ウルスラ教会が建立されたそうです。
     罪なく殺されたウルスラと乙女たちの絵画13点をご覧ください。

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    ペトロの否認の絵画13点。鶏の鳴く前に私はキリストの仲間ではないと三度宣言する

    Follower of Gerard Seghers 1628 -

     ペトロ(ペテロ)の否認は、キリストがユダヤ側に捕まった際に、女中の「貴方も仲間だろう」という言葉に対し、ペトロが三度「違う」と宣言してしまった事件のことです。
     最後の晩餐の時、キリストは十二使徒のペトロに対して「貴方は鶏が鳴く前に、三度私の事を知らないというだろう」と告げ、ペトロは「そんな事はありえません!」と返します。その翌日、裏切者のユダが銀貨30枚でユダヤの祭司長たちにキリストを売り渡してしまいます。ペトロはキリストを守ろうと応戦しますが失敗。使徒たちは事件に怯え、その場から逃げ去ってしまいました。
     その後、責任を感じたペトロはキリストが捕らえられている屋敷に忍び込み、様子をうかがおうとしました。しかし女中の一人に見つかり、「あなた、イエスと一緒にいたでしょ」と言われるとペトロは「違う。分からない」と否定します。ペトロが三回否定した時、甲高い声で鶏が鳴いたのです。かつてキリストに言われたことを思い出し、「その通りだった!」とペトロは号泣するのでした。
     否認のシーンはバロック期の画家達に人気があり、暗闇の中で「違う」というペトロが沢山存在します。では、ペトロの否認の絵画13点をご覧ください。

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    中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
    師匠はヒエロニムス・ボス。
    神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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