• メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

    ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

    ショップ「めめんと・もり -美術と神話の不思議かいぶつ雑貨-」が名古屋のクリマに再出展します!
    2018年12月1日(土)の一日出展となります^^

    ダヴィデの子アブサロムの絵画14点。父に謀反して長髪が仇となり絶命した美青年

    James Tissot - Death of Absalom -

     旧約聖書の「サムエル記」に登場するアブサロムは、イスラエル王ダヴィデの三男です。彼はかなりの美貌を有しており、中でも滑らかな長髪を自慢にしていました。
     ある日、異母兄であるアムノンが妹のタマルに乱暴を働き、アブサロムは激怒しました。その事をダヴィデに伝えましたが、父はアムノンを裁いてくれません。業を煮やしたアブサロムは、二年後に兄弟全員を集める席をもうけ、手下を派遣してアムノンを殺害してしまいました。彼はシリアの祖父の所へ亡命し、その三年後にダヴィデの赦しを得て故郷へと戻っていきます。

     しかし、アブサロムはその時から父への謀反を計画し始めます。長男であるアムノンが消えた為、次に自分が王座に就くにふさわしいと触れ回り、着々と仲間を増やしていきました。ヘブロンで挙兵したアブサロムはエルサレムを奪い、ダヴィデは都へと落ち延びていきます。危機一髪に陥ったダヴィデでしたが、部下フシャイの機転で兵力を盛り返し、エフライムの森でアブサロム軍と激突します。アブサロム側は大敗し、彼は単身ラバに乗って逃れようとしました。しかし、自慢の長髪が木に引っかかり、宙づりになってしまったのです!
     
     それを知らされた腹心ヨアブはダヴィデに「絶対に手を出すな」と言われていたにも関わらず、手下と共に心臓に槍(矢)を突き刺し、アブサロムを殺してしまいます。その遺体はくぼ地に投げ込まれ、石塚で覆われました。息子の死を知ったダヴィデは深く嘆き悲しんだそうです。
     ロン毛の悲劇アブサロムについての絵画14点をご覧ください。

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    女傑ゼノビアの絵画13点。勇敢なるパルミラ女王と野心的な夫に尽くした二人の女性

    Zenobia by Carlo Antonio Tavella -

     ゼノビアという勇敢なる女性が、伝説上に二人存在します。
     一人目は、3世紀にシリアやエジプト周辺に興ったパルミラ王国の女王であるゼノビア。
     ゼノビアはパルミラ一帯を治めていたオダエナトゥスの後妻として入り、夫の参謀役として働きました。しかし、夫が267年に甥に暗殺されてしまったので、息子ウァバッラトゥスを後継者として立て、彼女は息子と二人で共同統治者となりました。268年になるとローマ皇帝ガッリエヌスが暗殺され、ゼノビアと息子はそれに乗じて領土を広げていき、ゼノビアは「戦士女王」と呼ばれるまでになりました。
     270年にローマ皇帝となったアウレリアヌスがパルミラ王国に降伏を迫り、彼女はそれを拒否。全面対決となります。それにより息子ウァバッラトゥスは戦死して大敗し、王国は滅亡してしまうのでした。ゼノビアはローマへと連行され、そのまま病気で死亡したとも、自死したとも、ローマの元老院と再婚して余生を暮らしたともされています。

     もう一人は51~5年に興ったイベリア王国の王子ラダミストゥスの妻としてのゼノビア。
     夫は野心家で、ゼノビアの父を処刑してアルメニアを征服してしまいます。ローマとパルティアの攻撃にあって一度はアルメニアを奪われるも、ラダミストゥスは復権します。しかし、彼がパルティア国に組した都市を罰した為、都市はパルティア王子をアルメニア王として立て、彼は地位を追われてしまいます。ラダミストゥスは身重であるゼノビアを連れて馬で逃げました。
     タキトゥスの伝説によると、ゼノビアはその時こう言ったとされています。「身重で乗馬に長時間耐えられない。足手まといになって敵の手に落ちるくらいなら、どうか私を殺してください」と。夫はその願いを聞いてやり、海岸で彼女を刺して一人旅立ちますが、ゼノビアは奇跡的に命を取り留め、羊飼い達に発見されます。彼女はそのままパルティア王の元へ連れられたものの、手厚くもてなされたそうです。一方、自国に逃走した夫は父に対して陰謀を企て、処刑されてしまったとされています。
     二人のゼノビアに関する絵画13点をご覧ください。

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    医療占星術についての写本14点。12星座の生物が人体に乗っかるシュールな挿絵

    Très Riches Heures du Duc de Berry 15th -

      中世の時代、、病気の患者に医療と占星術が結びついた治療を行っていました。それは医療占星術(メディカルアストロロジー)と呼ばれ、患者の星座と現在の星の位置を考慮したうえで、診断や治療が為されたそうです。
     星座は人体の部位と関連しているとされ、一見して分かるように人体に12星座がくっついたかのような「獣帯人間(zodiac man)」という特殊な絵が描かれました。頭には羊が置かれ、肩には二人の男女、胸にはカニが配置されていますね。その部位に置かれている動物(人)が該当する星座とされ、特に健康面において気を付ける箇所と言われています。以下が一覧となります。

    4月 牡羊座・・・頭部
    5月 牡牛座・・・首
    6月 双子座・・・肩、腕
    7月 蟹座・・・胸
    8月 獅子座・・・心臓
    9月 乙女座・・・腸
    10月 天秤座・・・腰
    11月 蠍座・・・生殖器
    12月 射手座・・・大腿、尻
    1月 山羊座・・・膝
    2月 水瓶座・・・ふくらはぎ、足首
    3月 魚座・・・足、足の裏

     私は天秤座なので、特に腰に気を付けなければならないということですね。これから紹介するゾディアックマンを見ていただくと、腰の部分に天秤が描かれているのが確認できると思います。まだ腰は痛めていませんが、将来ぎっくり腰にでもなるのかな?気を付けなくちゃ・・・(^^;)
     では、これらを踏まえながら医療占星術のゾディアックマンの写本挿絵14点をご覧ください。閲覧注意風の部分がありますのでお願いいたします。

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    ピュラモスとティスベの絵画14点。ライオンによる誤解により絶命した悲劇の恋人たち

    Pietro Bianchi, Pyramus and Thisbe, c. 1724-5 -

     ピュラモスとティスベはギリシャ神話に登場する恋人たちです。オウィディウスの「変身物語」に掲載されています。
     バビロンの街の隣人同士である二人は愛し合っていました。しかし、彼等の親は折り合いが悪く、その恋に猛反対。会う事すら許してくれず、ピュラモスとティスベは毎夜ごと壁に空いた穴から愛をささやく事しかできませんでした。月日は経ち、二人は駆け落ちをして何処か遠くで暮らそうと決心し、バビロンのはずれのニノスの墓所で落ち合おうと約束したのです。

     約束の夜にティスベは家から抜け出し、墓所へと到着します。ピュラモスはまだ来ていません。彼女が泉のほとりの桑の木の側で待っていると、恐ろしいうなり声が聞こえてきました。ティスベは慌てて逃げたものの、被っていたベールを落としてしまいます。姿を現したのは口元を血で染めたライオン。猛獣は水を飲み、ベールにじゃれついて遊んだ後に遠くへと去っていきました。

     そのタイミングでピュラモスが現れてしまいます。目に入って来たのは血まみれで引き裂かれたベール。彼はティスベがライオンに食べられたと思い込み、絶望の余り持っていた短剣で自分を刺して絶命してしまったのです。もう安全と思って元の場所に戻ったティスベが見たのは、ベールを握ったまま息絶える恋人の姿。彼女はピュラモスが握っていた短剣を胸に当て、後を追ったのでした。翌日になり、惨劇を知った互いの両親は深く哀しみ、和解をして二人を一緒に埋葬してあげたそうです。
     悲劇の王道とも言えるピュラモスとティスベの絵画14点をご覧ください。

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    カリストの絵画13点。アルテミスに化けたゼウスに狙われ、熊となった可哀想な美女

    Jupiter  Callisto  François Boucher 1763 -

     ギリシャ神話に登場するカリストはアルテミスに化けたゼウスによって妊娠し、本物のアルテミスによって熊に変えられてしまった美女です。
     カリストは恋愛やお洒落に興味を示さず、アルテミスの従者として狩りを行っていました。しかし、ある日ゼウスが彼女を見初め、アルテミスに化けてカリストに近付き、想いを遂げてしまいます。彼女はこの事実に恐怖し、妊娠したことをずっと女神に隠していました。しかし、数か月後にアルテミス達と沐浴する機会が訪れ、衣服を脱いだことにより妊娠がばれてしまいます。アルテミスはその事実に怒り、恐ろしい呪いを掛けました。(ゼウスの妻ヘラの呪いという説も)美しいカリストの容姿は真っ黒な剛毛に覆われ、爪は鋭くなって牙が生え、うなり声しか出せなくなりました。彼女は恐ろしい熊に変えられてしまったのです。
     
     変身物語によるとカリストはその後、数十年間熊のままで生き続け、残酷な苦しみを味わいました。彼女とゼウスの息子であるアルカスは、マイアに預けられて立派に成人しました。ある日、アルカスが狩猟をしていたところ、巨大な熊と出会って射ようとしました。それを見ていたゼウスは二人を不憫に思い、カリストをおおぐま座、アルカスをこぐま座として天へと上げたとされています。
     偽アルテミスに迫られ、本物には糾弾されるカリストについての絵画13点をご覧ください。

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    聖フロリアンの絵画13点。火炙りされて川に沈められた、消防を司る軍司令官の聖人

    Saint Florian by Francesco del Cossa, 1473 - コピー

     聖フロリアン(聖フロリアヌス)はローマ帝国時代の聖人です。
     現在のドイツ・バイエルン地方の軍司令官であった彼は、消防団も率いていました。帝国側はキリスト教の崇拝を辞めさせる為にアキリヌスを送り出しました。アキリアヌスはローマの神々の信仰を強要しますが、フロリアンは断固拒否。怒った帝国側はフロリアンを棍棒で殴り、釘で打ちつけて火で炙って拷問しました。そして首に大石をくくり付け、ドナウ川に沈めてしまったのでした。
     フロリアンはそれにちなんで消防関係者の守護聖人とされ、フロリアン十字は消防団の紋章として広く使用されています。
     では、聖フロリアンの絵画13点をご覧ください。

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    ヒエロニムス・ボスの絵画を赤外線にかけたら新発見が!下地を赤裸々に見せます

    Bosch 表紙

     2016年はヒエロニムス・ボスの没後100年の節目に当たり、様々なボスのプロジェクトが持ち上がりました。この赤外線の調査もその一環で、色を塗った下にあるモノクロの下地(グリザイユ)の部分が調べられました。(X線でも調べられました) すると、描かれていなかったものが浮かび上がった作品があったのです!
     もう2018年にもなって紹介が遅れてしまいましたが、赤外線によりスケスケになったボスの絵画をご覧ください。変化がないものと変化があるものがございます。では、レッツ、スケルトン!


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    ユニコーンの絵画13点。獰猛だが処女にだけ心を許す、神秘をまとう伝説の一角獣

    Gustave Moreau  1885 -

     かなり有名な伝説の生物であるユニコーン。一角獣とも呼ばれ、額の中央に長い角が生えた白馬の姿で描かれることが多いです。
     ユニコーンが初めて書籍に現れたのは古代ギリシャの歴史家クシテアスが書いた「インド誌」とされ、その後アリストテレスやプリニウスが一角獣についての言及をしています。その頃は姿が一定しておらず、馬ではなくロバや山羊、象、鹿などが混ざったキメラだとされていました。

     ユニコーンは美しい姿とは裏腹に、非常に獰猛で俊足。長い角はどんなものでも貫けるほど強靭とされています。しかし、その角は水を浄化し毒を中和する力があるとされ、あらゆる病気を治す特効薬と考えられていました。それ故、危険を承知で人々は角を求めたそうです。幸いにもユニコーンは美しい処女に弱いとされ、処女が現れると従来の凶暴さは成りを潜め、膝の上に頭を乗せて眠り込んでしまうとされています。(少年を美しく着飾って処女に見せる事も行われたそうです) その隙を見計らい、狩人たちはユニコーンを捕まえるのでした。一角獣の角は破格の値段で取引がされましたが、現代の調査ではそれらはイカックやサイの角ばかりであったそうです。
     貞潔や高貴の象徴ともされるユニコーンの絵画13点をご覧ください。


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    旧約聖書エステル記の絵画13点。ハマンの陰謀からユダヤ人を救ったペルシャの妃

    Jean-François Portaels 1869 -

     エステル記は旧約聖書の一つで、ペルシャの妃となったユダヤ人エステルが知恵を使って民族を守る物語です。
     モルデカイの養女エステルは、父の勧めによりペルシャ王アハシュエロス(クセルクセス1世)の後妻に選ばれる事になりました。王はアガグ人(古代パレスチナ周辺)であるハマンを高い地位に据え、彼に敬意を表してひざまずくよう人々に布告を出しましたが、モルデカイは拒否しました。元々ハマンはユダヤ人を憎んでいましたので、それを口実にしてユダヤ人の抹殺を計画します。ハマンはアハシュエロス王にユダヤの殺害を認めさせる事に成功したのでした。
     
     王妃エステルはハマンがユダヤ人虐殺を企てている事を知ります。モルデガイに促されてエステルは王にユダヤ人の救済を嘆願する為に、ハマンと同席の酒宴を確約させる事に成功します。その夜、偶然アハシュエロス王はモルデカイが王の暗殺を防いでいた事を知り、彼に褒美を与えました。酒宴の席でエステルは王に自分はユダヤ人であると明かし、ハマンは悪人であると説きました。ハマンは命乞いを行ったものの、王の決定によりモルデカイの処刑用に建てていた支柱で、自分が処刑される羽目となりました。こうしてエステルとモルデカイ親子はユダヤ人達の人々を護る事ができたのでした。
     エステル記の絵画13点をご覧ください。

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    テオドール・ジェリコーの絵画14点。馬や事件、狂人を描いて迫真性を追究した画家

    Theodore Gericault 1818 - コピー

     テオドール・ジェリコー(1791-1824)は、フランスのロマン主義の画家です。現実の事件や馬や人物画の迫真性を重視した画風で、ロマン派の先駆者とされています。ドラクロワに影響を与えました。
     彼は北フランスのルーアンで生まれ、5歳の頃にパリへと引っ越しています。弁護士の父は画家を志すことを反対していましたが、ジェリコーは夢を諦めきれずに17歳の時にカルル・ヴェルネの元へ弟子入りをしました。ヴェルネは馬や騎馬像の第一人者と呼ばれた人でありましたが、ジェリコーは馬の躍動感、迫力を求めており、師の描く馬は迫真性が足りないと思っていたそうです。その後、彼は一年間ピエール・ナルシス・ゲランの元で修行し、それからはルーブル美術館へ足しげく通って巨匠の作品を参考にするようになりました。
     
     21歳のジェリコーは作品をサロンに出品し金賞を取り、二年後にも作品を出しています。イタリアに旅行に行った後に大作「メデューズ号の筏」を出品したものの、実際の生々しい事件をとり扱っていた為に、母国には受け入れてもらえませんでした。その後二年間イギリスへと滞在し、画力を尚も高めました。しかし、二度に渡る落馬が原因でカリエス(脊髄結核)という病気に罹ってしまいます。フランスに戻った後は、精神異常の方を題材にした10作の連作を手掛けたものの、1824年に病状が悪化してしまい、32歳の若さで命を落としてしまったのでした。
     では、テオドール・ジェリコーの作品14点をご覧ください。閲覧注意の絵画がありますのでご了承ください。

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    中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
    師匠はヒエロニムス・ボス。
    神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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