サルヴァトール・ローザは1615年-1673年に生きた、イタリアの画家兼、詩人です。
ローザはナポリで生まれ、祖父ヴィートの手によって育てられました。幼いころから絵画に興味を持っていた彼は、親戚の叔父のところで絵画の基礎を学び、画家を志しました。20歳になったローザはローマへ移り住み、風景画を描きます。病の為に一時帰国、二年後にローマにまたやって来ますが、当時有名な彫刻家であったベルニーニを風刺した為に、ローマを追い出されてしまいます。
1640年頃にジャン・カルロ・デ・メディチ枢機卿に招待されて49年までフィレンツェに滞在することになり、「アッカデミア・デイ・ペルコッシ」という私設のアカデミーを彼は開きました。このアカデミーは知識人や芸術家たちの交流の場で、絵画や風刺詩がそこで生み出されました。ローザは魔女や怪物がテーマの絵画や、神話画、荒々しい自然の風景画を描きました。その後、彼は再びローマに移り、歴史画家として名を馳せさせようとしたものの、よく売れたのは風景画でした。1673年、ローマで起こった暴動に巻き込まれてしまい、ローザは命を落とします。
癖が強い画家、サルヴァトール・ローザの絵画13点をご覧ください。
「自画像 1645年」
口は真一文字で、眉根に皺を寄せてこちらを睨んでいる自画像。
ラテン語の碑文は “Keep silent or say something better than silence”
「黙っているか、沈黙より良いことを言う」と書かれています。
なかなか深い名言ですね。出された言葉は責任を伴う・・・。
「魚の習作 17世紀」
ローザはこのような習作の静物画も描いています。
絵画のみならず、彼は音楽、詩、執筆、エッチング、演技など幅広い
分野に着手しました。
「魔女のサバト 1635-54年」
ローザは魔女や悪魔を主題にした絵画を何枚か描きました。
魔女が骨や松明を持ち、怪物たちと共に踊っています。
→ 魔女の集会サバトの絵画をもっと見たい方はこちら
「魔女の光景 午後 1645-49年」
ローザの作品はダークで退廃的で、虚無に満ちているものが多いです。
彼は当時のローマ芸術を礼賛する風潮を風刺しています。
それ故、「永遠の反乱者」という異名があります。
「聖アントニウスの誘惑 17世紀」
彼の気性は激情型で攻撃的だったので、他の画家とトラブルを起こした
こともしばしばでした。思いこんだら真っすぐ、批判されたらかっとなる
タイプだったのですね。
→ 聖アントニウスの誘惑の絵画をもっと見たい方はこちら
「デモクリトス 1650年」
デモクリトスは古代ギリシャの哲学者で、「原子論」を確立しました。
ローザの描くデモクリトスは苦悩に押し潰されているように見え、
退廃に満ちております。足元には骨がごろごろ。
「アエネアスの夢 1660-5年」
この作品はギリシャ神話の英雄、アエネアスを描いたもの。
トロイ戦争の最中、寝ているアエネアスの元にヘクトルの霊が現れ、
「お前は逃げろ!」と警告を残します。
「荒野で説教する洗礼者ヨハネ 1660年」
荒んだ暗い風景の絵画は「ピクチャレスク絵画」と呼ばれ、ローザの
作品はヨーロッパ、特にイギリスで絶大な人気を得ました。
「軍の両側に川を流したタレス 1663-4年」
タレスはギリシャの哲学者です。ローザの作品は、ロマン主義者や
ウイリアム・ターナーなどに影響を与えました。
18世紀に恐怖小説が始めて誕生しましたので、ホラー的なものが
支持される流れがあったのでしょうか。
「竜を退治するイアソン 1665年」
イアソンはギリシャ神話に登場する英雄です。眠らない竜によって
守られている、コルキスの金羊毛毛皮という宝物を手に入れる為、
イアソンは魔法使いの王女メディアの力を借りて退治に成功します。
「サウルに現れるサミュエルの影 1668年」
サウルはイスラエル王国最初の王です。王はギルボア山の戦争の前に、
エン・ドルに住む霊媒師を訪ねてサムエルの霊を呼び出させました。
サムエルはユダヤの高名な預言者でした。
「トビアと天使 1670年」
トビト記に登場するシーンですが、ローザは人物より風景画を意識して
描いていることが分かります。彼は作曲家であるとも考えられていましたが、
最近の研究で作曲は行っていないことが分かりました。
→ 旧約聖書「トビト記」の物語を知りたい方はこちら
「オデュッセウスとナウシカ 17世紀」
ギリ
シャ神話の英雄であるオデュッセウスは、トロイ戦争の後、故郷に
帰る為に様々な冒険を行いました。サイクロプスやセイレーン、スキュラ
などの怪物をやり過ごして、遂に救済者である王女ナウシカの元へ付きます。
→ オデュッセウスの冒険の物語を知りたい方はこちら
ローザは歴史画家、風刺画家として名を馳せたいと思っていましたが、実際によく売れたのは風景画でした。廃墟や断崖などの荒々しく暗い風景は、18世紀のロマン主義の心を打ち、特にイングランドに絶大な支持を得ました。ギリシャローマ文化の踏襲から脱却を唱えたローザは、自分の意図していた方向とは違いますが、風景画家の革新者、先駆者的な役割を担ったのです。人生どのように転ぶか分からないものですね。
【 コメント 】
>> 絵画と額縁を愛する人様へ
初めまして、こんばんは^^
額縁は「立派だなぁ、年代物だなぁ」と思う事はあっても、歴史や名称を調べた事がありませんでした。
サルバトール・ローザ様式という額縁があるとは!
しかも、額縁としてよく見かけるものだったとは知りませんでした。
こちらこそ新しい発見を教えてくださり、ありがとうございます^^
初めまして
額縁の様式にサルバトール・ローザ様式というものがあり、サルバトール・ローザという画家を調べていたらこのサイトにたどり着きました。
ローザの様子が克明に書かれているのでとても参考になりました。
有り難うございます。