アタランテとヒッポメネスの絵画13点。結婚を賭けたレースに黄金の林檎で勝利する | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

アタランテとヒッポメネスの絵画13点。結婚を賭けたレースに黄金の林檎で勝利する

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Willem van Herp 1650 -

 アタランテとヒッポメネスはギリシャ神話に登場する、徒競走で結婚する事となった男女です。
 アタランテはアルゴナウタイにも参加した優れた女狩人でした。彼女は男子を欲していたアルカディア王によって捨てられ、雌熊に育てられたのです。アタランテの名声が高まるにつれ、「嫁に欲しい」という男が詰めかけました。しかし、彼女は「私と徒競走して勝利したら結婚する。ただし、負けたら絶命よ」という条件を出しました。俊足に覚えのある若者がぞくぞくと立候補しますが、アタランテの素早さに完敗し、屍の山が生まれます。そんな中で名のり上げたのは、ヒッポメネス青年でした。

 彼はアタランテに敵わないと自覚していたので、ある秘策を持っていました。アフロディテ(ヴィーナス)に祈り、三つの黄金の林檎を授かっていたのです。「それらを走っている最中に順番に落としなさい」と女神はアドバイスしました。ヒッポメネスは言われたとおりにし、彼女が三つ目の林檎を拾っている間にゴールしました。かなりのズルですが、ともかく二人は結婚したのでした。
 しかし、彼等はキュベレーの聖域で情事をしてしまい、(アフロディテへの感謝を怠った為に女神が怒り、愛に狂わせたという説があります) そろって獅子の姿に変えられてしまったとされています。
 林檎を落として拾うアタランテとヒッポメネスの絵画13点をご覧ください。




クリスティーヌ・ド・ピザンの書籍の挿絵  1364-1430年」
「私と結婚したかったら徒競走に勝ちなさい」という無茶ぶりをする
アタランテに挑む若者達。しかし、彼等はことごとく完敗し、
殺されてしまったのでした。かなりゆるーい走り方で走っていますね。
こう見えて時速70kmくらいで走っているかも!?←ぇ

Christine of Pizan

「写本 Harley MS 4431 の挿絵より  1410-14年」
魔の競争に挑むは青年ヒッポメネス。彼はアフロディテに祈り、
三つの金の林檎を授けられていました。よーい、ドン!と走った
瞬間一つの林檎をぽろり、アタランテはそれを拾います。
追い抜かれそうになると、またぽろりします。
Miniature of Hippomenes racing Atalanta, from Harley

「ノエル・ハレ作  1762-65年」
アタランテが三つ目の林檎を拾おうとした瞬間、ヒッポメネスは
ゴールをすることに成功します。「そんなの反則よ!」と怒ることなく、
アタランテは結婚する事を承諾するのでした。
Noël Hallé 1762-65

「Willem van Herp 作  1650年」
落ちる林檎を毎回拾うなんて、アタランテさんはきっと几帳面な
性格なんですね。←ぇ 「林檎を捨てるなんて勿体ない!」って
ヒッポメネスに林檎を投げ付けなかったのでしょうか・・・。
Willem van Herp 1650

「グイド・レーニ作  1622-25年」
競争というより、一種のダンスをしているかのような流麗な姿の
二人。林檎がヒメリンゴみたいに可愛らしいですね^^
Atalanta and Hippomenes, Guido Reni, 1622–25

「グイド・レーニの追随者作  17世紀頃」
レーニ師匠の作品を参考にして描かれました。
うん、ポーズや布の流れはレーニを思わせますが、いかんせん
フォルムが違いすぎますね・・・。もちっとした感じです。
Follower of Guido Reni

ジェイコブ・ピーター・ゴーウィー作  1615-61年」
林檎を拾うアタランテに、もうゴールだー!と喜びを露わにしている
ヒッポメネス。このまま盛大にずっこけそうな予感!?

Jacob Peter Gowy 1635-37

「Jan Tengnagel 作   1610年」
すごーくコソコソと走っているように見える二人。
「あんたなんで林檎落としてんの!?」という恨みのこもった目で
アタランテさんが見ているような気がします。
応援団はハラハラと展開を見守っていますね。
Jan Tengnagel  1610

「ヤーコブ・ヨルダーンスの工房作  17世紀頃」
二人がこちらに向けて走って来る、遠近感を用いた珍しい作品。
林檎を二つ持っているので、スタート直後って感じですかね。
なんか色彩的におどろおどろしく見えるような・・・。
Studio of Jacob Jordaens

「Nicolas Colombel 作  1680年」
こちらはゴールを目前にして、優雅にこちらを向いているヒッポメネス。
アタランテさんは林檎拾いがなんだか楽しそうです。
彼女の大好物だったのかな、と思ってしまいそう。
Nicolas Colombel 1680

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン作 1780₋1809年」
女流画家の一人娘である、ジャンヌ・ジュリ―・ルイーズを
モデルにして描いたアタランテの作品。金の林檎を持って、
はいポーズ。少しあどけなさが残る可愛らしい姿ですね^^
Louise Vigée Le Brun  JEANNE JULIE le brun1780-1809

「Louis de Boullogne(子)作 1654–1733年」
なんやかんやでめでたく結ばれた二人。アタランテとヒッポメネス
の結婚を描いています。頭上にはアフロディテ、左にはサテュロスや
ニュムペー、ゼウス(?)がいますね。
Louis de Boullogne the younger (1654–1733)

クリスピン・ファン・ドゥ・パス作  1589-1637年」
しかし、二人の幸せは長くは続きませんでした。キュベレーの聖域を
汚したことにより、獅子の姿に変えられてしまったのです。
この後二人はどうなったかは知られていませんが、夫婦喧嘩で
ヒッポメネスが粉々になっていないことを祈ります・・・。
Crispijn van de Passe 1602-7

 女と結婚する為に男が命を賭けて競技をするという話が、ドイツのジークフリート物語にもあります。アイスランドの王女ブリュンヒルトが結婚条件として出したのはこんなのでした。

「私よりももっと遠くへ槍を投げ、私よりももっと重い石を放り、その石よりももっと遠くまで飛ぶことができれば貴方と結婚します。負ければすぐに死んでいただきます」と。

 物凄い腕力と技術の持ち主のブリュンヒルトさん。次々と男を屠っていきました。そこに現れたるはブルグント国のグンター王。彼は英雄ジークフリートの力をこっそり借りて、まんまと結婚にこぎつけることに成功します。他力本願で結婚条件をクリアしてしまうあたり、ヒッポメネスによく似ていますね。もしかしたら、この二つの伝説は根源を同じにしているのかもしれませんね。

→ ジークフリートについての絵画を見たい方はこちら


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